(材木座海岸)
「こんにちは~」。声の方に目を向けると、犬のリードを手にし、最近、滅多に見ないお下げ髪の少女がにこやかに微笑んでいる。
小春日和の材木座海岸でカメラを肩から下げユッタリと歩いた。富士山の冠雪が随分と進んだ、七合目辺りまで真っ白だ。柔らかい潮風を深く吸い込むと、気が身体中に充満してゆくのを感じる。またこの時期はピンク色の桜貝を見つけ易いなどと考えながら歩いていた時の事。
少女とは昨年の同じ時期に、砂に浅く埋まっている桜貝の見つけ方を教えたことがある。それから数回だろうか、この海岸で偶然に出会っている。やはり少女は犬の散歩がてら桜貝を探していると言う。
少女は話し始めた。
家では、やるからには一番を目指しなさい。一番を目指して頑張るから成功を手にすることが出来るのだと、幼い時から言われ続けている。そんな刷り込みをされているから、一番にならなければ成功したと思えず、自分にOKが出せず、いつまでも頑張っています。でも最近思うのです。どうして一番でなければならないのだろうかと。少し疲れました。
少女は意見を聞かせて欲しいと言う。
自分は幸せな人生のためには一番を目指す必要はないと考える。一番を目指すと言う事は、周りを意識し競争することを意味する。常に競争に明け暮れて、周りはライバルばかりでは疲れない?だから「一番」ではなく「一流」を目指す考え方もある。「一流」とは他者との比較ではなく、その道で輝くと言う自分なりの尺度だ。「一流」を目指せば、その技術や知識の習得し、自分が成長するたびに達成感や満足感や幸せ感を得て、自分の人生の質がどんどんアップすると思う。
それなのに「一番」と言う順位だけにこだわると、常に「もっともっと」と欠乏感に付きまとわれてしまう事になるのでは。「一流」を目指す方が幸せには近いと思う。
少女は桜貝を探す手を止め、前に広がる海を眺めたまま黙って聞いていた。
別れた後で思った。答えになっただろうか、或は迷わせてしまう意見を言ってしまったのかと。
取った桜貝を少女に渡し、残した一個が手の中でザワザワしていた。