海側生活

「今さら」ではなく「今から」

桜貝の悩み

2016年11月12日 | 浜の移ろい

(材木座海岸)

「こんにちは~」。声の方に目を向けると、犬のリードを手にし、最近、滅多に見ないお下げ髪の少女がにこやかに微笑んでいる。

小春日和の材木座海岸でカメラを肩から下げユッタリと歩いた。富士山の冠雪が随分と進んだ、七合目辺りまで真っ白だ。柔らかい潮風を深く吸い込むと、気が身体中に充満してゆくのを感じる。またこの時期はピンク色の桜貝を見つけ易いなどと考えながら歩いていた時の事。
少女とは昨年の同じ時期に、砂に浅く埋まっている桜貝の見つけ方を教えたことがある。それから数回だろうか、この海岸で偶然に出会っている。やはり少女は犬の散歩がてら桜貝を探していると言う。

少女は話し始めた。
家では、やるからには一番を目指しなさい。一番を目指して頑張るから成功を手にすることが出来るのだと、幼い時から言われ続けている。そんな刷り込みをされているから、一番にならなければ成功したと思えず、自分にOKが出せず、いつまでも頑張っています。でも最近思うのです。どうして一番でなければならないのだろうかと。少し疲れました。

少女は意見を聞かせて欲しいと言う。
自分は幸せな人生のためには一番を目指す必要はないと考える。一番を目指すと言う事は、周りを意識し競争することを意味する。常に競争に明け暮れて、周りはライバルばかりでは疲れない?だから「一番」ではなく「一流」を目指す考え方もある。「一流」とは他者との比較ではなく、その道で輝くと言う自分なりの尺度だ。「一流」を目指せば、その技術や知識の習得し、自分が成長するたびに達成感や満足感や幸せ感を得て、自分の人生の質がどんどんアップすると思う。
それなのに「一番」と言う順位だけにこだわると、常に「もっともっと」と欠乏感に付きまとわれてしまう事になるのでは。「一流」を目指す方が幸せには近いと思う。

少女は桜貝を探す手を止め、前に広がる海を眺めたまま黙って聞いていた。

別れた後で思った。答えになっただろうか、或は迷わせてしまう意見を言ってしまったのかと。
取った桜貝を少女に渡し、残した一個が手の中でザワザワしていた。

春一番も

2015年02月21日 | 浜の移ろい

(円覚寺/鎌倉)

浜ではワカメ漁が今日から始まった。

真冬の間は閑散としていた浜の朝も、今日から梅の花が散る頃まで、こんなにも人が居たのかと見間違いかと思うぐらいの多くの作業をする人で賑わう。
浜一面に真冬とは違う優しく感じる朝の陽が注いでいる。浜に上げられたワカメは湯を潜り、水洗いされ、干し棚に一枚ずつ吊るされていく。
透き通るような、まるで森の新緑よりもやや濃い緑色のワカメが、まだ冷たい北風に微かに揺れている。
冬の間の磯の香りとは全く違った独特のワカメの香りが港中に漂う。港内の煌めく水面、時折水中から顔を覗かせる鵜も、浜の賑やかに驚いている。 
人々の表情は慌しさの中にも笑いが絶えない。会話も弾んでいる。
人は皆、暖かい光が降り注ぐ春の到来を待ち望んでいたに違いない

背面の山からは鶯の「チャッ、チャッ」の囀りが聞こえてくる。
鶯には、春告鳥(はるつげどり)や経読鳥(きょうよみどり)など多くの呼び名があると言う。
梅の花が咲く頃、鶯は山深い所から人里近くに降りて来て鳴くので春告鳥。そしてその鳴き声が「ホーホケキョ」(法・法華経)と聞こえるので経読鳥と言う。しかし、この「ホーホケキョ」は春から夏にかけての鳴き方で、まだこの時期は笹鳴きと呼ばれる「チャツ、チャツ」としか鳴けない、と浜の長老に教わった。

長老が言うには、若い頃飼っていた経験があるから覚えているが、鶯は警戒心が強く臆病で、鳴き声が聞こえても姿が見えない。冬場は植物の種子や木の実なども食べるが、夏場は小型の昆虫、幼虫、蜘蛛類などを捕食する。「ホー」は吸う息、「ホケキョ」は吐く息で胸をいっぱい膨らませて囀る。

浜にも春が来たと実感する。

一度南へ遠のいた太陽が、又我々の方に近づいて来る。その暖かい輝かしい陽の光を浴びて、おのずから湧き上がる喜び、それが春。

やがて春一番が吹くのも遠い日ではないだろう。

笑顔に朝陽が

2012年02月10日 | 浜の移ろい

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思わず「大きい!」と叫んでしまった。

“せいちゃん”は、サザエを網で獲る。
昨夕から仕掛けていた網を上げ、今浜に戻ってきた。渋い表情だ。口を横にギュッと閉めている時は、獲物が少ない時の彼独特の顔だ。陽はまだここには射していない。北風が身を切る。波打ち際のドラム缶ストーブに続けて大きな薪を入れる。バチッバチッと時々大きな燃える音が響く。

舟に手繰り揚げられ浜に戻ってきた網から、今日の獲物のサザエを一個ずつ外していく。網の整理も半分ほど進んだ頃、岩の塊みたいなものが現れた。網も破けないで揚がったものだと見ていたら、“せいちゃん”が「おっ!」と小さな声を挙げた。
アワビだ、大きい、今まで見たことが無いほど巨大だ。片手の指を左右に大きく広げ当ててみると、まだ10cm以上も余りがある。30cm以上の大きさだ。

アワビはサザエと違い、殻に突起が殆ど無いため網には滅多に掛からない。

アワビの漁期は正月に始まったばかり、しかし海水温度が緩み始めると、船上から箱メガネで覗き込んで獲る方法のボウチョウ漁では成長した海草類が邪魔をして、海底の岩の割れ目等に居るアワビは全く見えなくなる。漁の期間は短い。また小坪では潜って獲るのは禁漁のルールがある。

聞くと、幼貝で毎年春に放流され、水深10m程の岩礁に生息し、アラメ、ワカメ、コンブ等の褐藻類を食べ、年間2~3cmしか成長しない。夜行性で日中は岩の間や砂の中に潜っていると言う。

大きさを比較したくて200gぐらいの大き目のサザエを側に置いて撮ったが、改めて写真を見ると大きさが伝わってこない、ケイタイでも側に置けば良かったか。

いつしか“せいちゃん“の弾けるような笑顔にも、朝日が射し始めていた。

この浜は、間もなくワカメ漁も解禁となり、浜全体が活気付き、一気に春めいていく。


漁師誕生

2011年03月04日 | 浜の移ろい

K

K君は笑顔を浮かべながら沖の漁場から港の浜に戻ってきた。どうやら豊漁だったらしい雰囲気を感じる。
奥さんが迎える。傍らには乳母車の中で赤ちゃんが眠っている。この二月に生まれたばかりの男の子だ。

彼はこの浜のベテラン漁師に二年前に弟子入りし、春夏秋冬それぞれの漁を手伝いながら必死になって網漁や覗突漁を教わり、身をもって覚えた。その間無給だった。そして今独り立ちした。
彼はそれまで渋谷・原宿で服飾の企画・デザインを十年以上も行っていた。ある時、何となく知人に同行してマリンスポーツ店に行った際、自分の感性にマッチするデザインのサーフボードが目に留まり思わず買ってしまった。それ以来、波を求めて方々に出掛けた。気に入ったのが逗子の波だった。
サーフィンをやるためになるべく海に近い所をと希望して引っ越してきた。気に入ったそのアパートは漁師町にあった。
暫くは原宿まで通勤していたが、その間に地元の女性と知り合い結婚した。そして彼は転職することを決意した。
独立の時、彼は仕事のために小さな船を調達した。船体の色も変えた、片側はグレイでもう片方は黒、さすが元ファッションデザイナー
だ。この港には30艘があるがこんな色合いの舟は見たことが無い。また自分の身なりもこざっぱりと黒と灰色に統一している。
舟の名前もそれぞれの父親の頭文字を一文字づつ貰って命名した。夫々の両親は漁業には全く関係ない人達だ。

現代は様々な働き方がある。社員、契約社員、派遣、パート、アルバイトなど、また農業分野ではボラバイトと呼ばれる働き方も有る。
サーフィン好きが高じて、湘南のサーフショップに勤めたり、或いは自分で飲食店等を開設した人は多いが、漁師に転職した人には会ったことがない。

先輩漁師達とは同じ海・地域で獲る魚や漁法も同じ、彼にとって互いに競争相手でも有る。
そして新米と言えど、漁をするにもまた販売面でも様々な組合の制約や、浜独自の慣習や決め事もある。それらと葛藤も続くだろう。

「まだ新米ですから一生懸命です」と屈託が無いが、あと二、三年もすれば「パパ」と息子が波打ち際まで駆け寄り、パパの沖からの帰りを出迎える光景を目にすることが出来る事だろう。その時まで、渋谷・原宿での全ての経験と人脈を、どんな形で自分の漁師としての業と結び付けていけるか。
彼がサーフィンのように、今後漁師として波に乗れるかどうかは、従来とは違った販路開拓次第だ。

“好きなことがしたい”という一生懸命な生き方に拍手をして激励したい。


大切なもの

2010年11月24日 | 浜の移ろい

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現代から取り残されたような小さな漁師町で、海側生活を始めて三年が経とうとするのに、この漁港で行われている小さな伝統作業を始めて知った。

彼は毎年九月頃から海中に生えているいるポイントを数ヶ所チェックし、その後生育状態を一週間に一度は確認し、11月23日の一週間前にそれを採取して、大きな樽に入れ、常に新しい海水を注ぎながら、それに付着している海の汚れを取り除き、生かしたまま保存する。そして海水に入れたまま、一日前に皇居に出向き天皇に献上する。
彼は老齢のため本業の漁は休みがちだが、彼一人だけがこの作業を何十年も行ってきた。

「海松(みる)」の手触りはスポンジの様に柔らかく、うどんほどの太さの枝が規則正しく枝分かれして、高さは40cmほど。全体の形は松の木のように末広がりになっており、松の葉によく似ているので「海松」の漢字を当てたと言われている。

新嘗祭(にいなめさい)は宮中祭祀のひとつ。収穫祭にあたるもので、11月23日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、また自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する行事とか。飛鳥時代に始められたと書いてある。
そして現在は勤労感謝の日として国民の祝日だ。

新嘗祭には各地から五穀、新酒、海産物等が奉納される。その内、海産物として奉納される「海松」は、小坪の海で採取された物が使用されている。
彼は言う。『どうして、小坪の海松が使用されるようになったのか、また海松が海藻類の代表として使われるのかは、現在の宮内庁の担当者にも解らないとの事。しかし、小坪が鎌倉から江戸時代を通じて都の蛋白質の供給地として確固たる地位を占めていた事、そして、「海松」は文様として平安時代から用いられていた事、海松文には海松丸という丸文の一種があり、この丸文は染型紙や漆器の文様に使われて来た歴史がある事等を併せて考えると、なんとなく納得できる』と言う。
また彼は『献上した海松は細かく刻まれ、お吸い物にされるようです』とも話してくれた。
しかし自分自身の今後については、何も話して貰えなかった。

季節は巡り時は流れる、人には一生と言う時間の制約があるが、ここには変わらず六百年以上(相州小坪浦漁業史)も続いている伝統もある。

今日という日に、自分にとって何が大切なのか、つい振り返ってみた。


慰めの言葉が見つからない

2010年11月12日 | 浜の移ろい

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この漁港で一番の水揚げを誇る元気者の“せいちゃん“に彼らしさが無い。
何時も人を笑わせ周りの人達を陽気にさせていたのに、夏以降は言葉数が減り、しかめっ面することが増えた。気のせいか眉間にシワも時々見える。

“せいちゃん”得意の海老網に依るサザエ漁も、最盛期だと言うのに殆ど獲れない。
浜に戻った網には身の無いアワビやサザエの殻だけがずいぶん多い。「アワビやササエの餌になる海草のカジメが、この夏以降、海水温の異常な上昇で十分には育たず、アワビやサザエにとっては餌も無く、身の隠し場所もなく成長する前に天敵に食われてしまったのでは」と“せいちゃん”は言う。

しかし今年の気候変動、中でも夏の猛暑の影響は現在でも尾を引いている。
この漁港でもいつもの年とは違う。この港でも名物のシラスも、漁をしても全く獲れない日もあり、漁獲高は昨年の半分以下らしい。
港の風物詩で、自分もいつも何が入っているかと楽しみにしていた定置網も、早々に解かれ浜に長々と干してある。
また、沖縄で良く見た原色をした魚が網に掛かっていたり、釣りでも始めて目にする、名前すら知らない魚が掛かる事もあった。     
日本海で見られた有名なあの「越前クラゲ」が、この相模湾でも目にした人は多いと聞く。
今でも水温が異常に高い。通常より二度は高い。

猛暑に依る海水温の上昇が魚達の生態系までも変えてしまったのか。
刺身で絶品のカワハギもこれからの冬場を越すために、その肝に脂肪を蓄え、そして自分に釣られ、肝合えとして刺身で食べられるのを待っていると言うのに、その肝は夏場の大きさと同じくらいでまだ小さい。
暦では立冬を過ぎたのに自分はまだワラサを狙って釣りをしている。例年だったらワラサは今頃にはもっと暖かい海に移動している。しかもまだ当分は続けると釣り船の船長は言う。

魚ばかりではない。ワカメも天然モノはもとより、種付けを始めた養殖モノも、今の水温では育たないかも知れないと浜では皆が不安がっている。
米も各地で等級が低い物が多かったと聞く。野菜の高騰はまだ続いている。秋を彩る果物も不作だと聞こえてくる。
今年の大雨と猛暑で、例年になく豊作なのは松茸だけだ。

今晩あたり松茸と一升瓶を提げて“せいちゃん”を訪ねようか。
しかし慰めの言葉が見つからない。


浜の子育て盛り

2010年07月07日 | 浜の移ろい

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日課にしている漁港の浜を散歩する。ここの浜はコンクリートに覆われ、波打ち際からスロープになっている。所狭しとばかりに漁船やそれを繋ぎ止めているロープ、様々な網、漁具の数々が置いてある。午後のせいか漁師達は作業も終え人影も疎らだ。

人は居ないはずなのにある浜小屋のほうから、ゴトッゴトッと断続的に音が聞こえてくる。音が聞こえてくる方に眼をやると奇妙な行動をしている一羽のカラスがいる。浜に落ちている子供の握り拳ぐらいの大きさの何かを口に咥え、3メートルぐらい真上にバタバタと言う感じで羽ばたき、咥えたモノを下に落としている。それを注視すると、それはサザエの殻だ。どうして食べられないサザエの殻で遊んでいるのだろうと思った。落とすとすぐカラスは直ぐ降りて来て、サザエの殻を片足で押さえつけ、殻の中を突いている。そして又バタバタと咥えて舞い上がり又ゴトッゴトッと落とす。何回も同じ動作を繰り返している。やがて殻の中のものが取れる状態になったのか、四五回ほど啄ばむと裏山の方に飛んで行き姿は見えなくなった。浜に残された殻を手に取って覗き込んだ、それはヤドカリの一種で、この浜で言うアマガニだった。殻の周りには身の無い足の部分だけが残っていた。

カラスは賢い動物として知られている。問題解決能力に優れ、自動車に木の実を轢かせて割る、瓶の中で水に浮く餌を取り出すために石を沈めて水位を上げるなど、霊長類に匹敵する知的行動も取れるし、さらにヒトの顔を見分けて記憶することが出来るらしい。
今、燕や雀と同じように、裏山のどこかに孵った雛に餌を運んでいるに違いない。一夫一妻制で協力して子育てを行うと言う。

あのカラスに愛称を付けたい。
そして、どんな言葉で挨拶を交わそうか。


ワカメは好きですか

2010年03月12日 | 浜の移ろい

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久し振りにワカメ漁に船を出すどの漁師も、今朝は笑顔だ。交わす挨拶にも力が入り、気持が弾んでいるのが自分にも伝わってくる。
思えばこの十日間余りは最盛期を迎えているワカメ漁だけでなく、殆どの漁が出来なかった。
天候が良くなかった。春一番らしい風が強い日もあり、梅雨みたいな雨が降る日もあり、津波騒ぎもあった、雪が降った日もあった。

ワカメ漁は、メガネと呼ばれる海底を覗き込む大きな箱を口に咥え、足で舵を操り、長い竹竿に釜が付いた道具を使って、海底に生えたワカメを刈り取る。天日と寒風で乾燥させる方法を取る小坪では、風や波の強い日や雨の日は作業が出来ない。昨日は快晴で、朝から富士山から大島までもスッキリと浮かんでいたが、前日の強風でウネリが残り、また海水も透明ではなかった。海底が見えないと刈ることが出来ない。

この十日間余り港は静かだった。朝夕、数少ない遊漁船が出入りするだけで、日中は物音一つしなかった。どの浜小屋からも音が途絶えていた。人が居ないと猫も姿を見せない。
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ワカメ漁の作業は手間が掛かる。手がいくら有っても充分と言う事はない。ご近所のご隠居さんもまた漁業に関係ない人でも近くに住む人は手伝いに浜に来る。また、土地の人ではない若者達も作業に加わっている。しかも彼等は労働の対価を求めてはいない。
自分は、度々顔を合わせる若者の一人に興味が湧き、作業の合間に聞いた。
「ワカメは好きですか」
「好きです。-----でもワカメと言うより、浜で潮風を浴びながら、年代も価値観も全く違う人達と作業をしている時間は、私にとっては一種のセラピー。多忙の日常からふと抜け出し、ユッタリと流れる時の中で淡々と肉体労働すると、心身ともにすっきりリセットされて感覚も冴えるような気がします」
判るような気がする。自分は、それらを求めてここで「海側生活」を始めた。

都心の外資系企業でデスクワークをしているこの若者は、これからも休みの度にこの浜に来るだろうと思う。
人として自然との繋がりを求めて。

薄曇の中、浜一帯に春の香りが漂っている。


浜の正月準備

2009年12月14日 | 浜の移ろい

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いよいよ年の瀬、カレンダーも残り少なくなった。
明年の干支である「寅」が、こちらを窺うのが見える頃になった。

浜でもお正月に使われる品の漁が、あちこちで行われている。
正月の、特に関東の御節料理に欠かせない、カタクチイワシ(小坪ではゴマメ言っている)の幼魚の乾燥品「田作り」作りが急ピッチで作業が行われている。浜一帯にゴマメを干している香りが北風に乗って漂ってくる。
また、注連飾りに飾られるホンダワラも、ただ一人の漁師によって獲られ、浜一杯に吊るし乾燥させている。簡略化された家庭の鏡餅ではこれらを飾らない事が増えたが、延命長寿、一族繁栄、福徳につながる謂れを持つ品々は、今でも根強い需要がある。
他に伊勢海老や鯛やナマコや蛸も正月にはなくてはならないモノだ。早朝から漁師達は連日、漁場に舟を進めている。

一方、各人は恒例行事の正月の蜜柑投げの準備にも余念がない。
舟の内外を磨き上げ、蜜柑投げの際、舟に飾る大漁旗を浜小屋から取り出してはチェックすることも忘れられない。
ただ、身内にこの一年不幸があった場合は、この蜜柑投げは行う事は出来ない。

カレンダーに終わりがあることは良い事だ。何を失くしたのかが良く判る。それに終わりがあれば自ずから新しい始まりが来る。
我が身が一年古びた。どれだけの寿命を受けているか判らないが一年分の「いのち」を失った事は確かだ。「いのち」を失っていくからこそ生の実感が強くなる。

我が身が一年古びた分、記憶が増えた。

記憶は大事にしたい、自分の最大の財産だ。


台風一過

2009年10月09日 | 浜の移ろい

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東北地域でまだ台風18号が猛威を奮っているとテレビは伝えている。

その頃、逗子の海は風も殆どなくなった。
ただ波だけが、午前中に比べると大人しくなったとは言え、まだ高さは2~3mはある。波の音だけが何処からともなくゴッーと聞こえてくる。
箱根辺りに沈む今日の夕陽は、何故だか晴れがましいような沈み方をしている。今日の台風と何を語ったのだろうか。
目を転ずると離れた天城山から、遠く伊豆大島辺りまで山ぎはが柿色に染まりだしている。

伊豆半島の山々が、やがてシルエットとなって浮かんできた。
中でもやはり富士山が一際目立つ。どの雲より高くいつもの姿を見せてくれている。
周りの雲は殆ど動いていない、しかも色に染まっていない、ただ黒っぽい色してジッと浮かんでいるだけだ。今日の台風は何をもたらしたのだろう。

夕陽が相模湾を挟んで湾の向こうの、また伊豆半島の向こうに沈むまでの情景は、いつ眺めても映画の一シーンみたいだ。
また沈んでからのひと時には、心を奪われてしまう。
赤く染まる海面が、やがてグリーンがかった紅色に変わり、忍び寄る闇に同化して行くまでの光景には言葉を失う。

やがて江ノ島の灯台に今日も明かりが灯った。
その後、対岸の小田原、真鶴、熱海、伊東そしてさらに離れて熱川の町の明かりが点になって灯り始めた。

少なくとも四日間は、この町は眠っていた。
明日から又この漁港の船舟も人も、そして猫も動き始める。