海側生活

「今さら」ではなく「今から」

麦秋の故郷

2012年05月28日 | 季節は巡る

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                    (ミヤマキリシマ/阿蘇)

『故郷は遠くにありて思うもの そして悲しく歌うもの---』と室生犀星の詩集にある。また別のエッセイには『故郷と言うものは、一人でやって来て、こっそりと夜の間に抜け出て帰るところであった』」とも書いている。
特異な生い立ちを持つ彼とは比べようもないが、自分は故郷に足を運ぶ度にくすぐったい感情を持つ。

「ふるさと」という言葉には、『♪兎追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川…♪』に象徴されるイメージが染み付いている。だからその「ふるさと」の現実がイメージとかけ離れた近代的な姿になっていようと、または見る影もなく凋落した姿に変貌していようと、記憶の間にある故郷は、やはり幼い少年時代の独壇場であり、嬉しかった事は嬉しいままに、悲しいかった事や辛かった事ですら、遠く過ぎ去った時のなかで甘く懐かしさを熟成している。

ゴールデンウイークの混雑を避け、その後、九州の北半分ほどを旅した。
九州に生まれ育ったのに九州について詳しく知らない。知っているような気がしていたが、足を踏み入れる度に始めてみる光景ばかりだ。育った時代は、NHKの朝ドラの「梅ちゃん先生」にほぼ重なる。あの頃は、親戚の家に法事か盆で、親に付いて行った程度しか旅行なんてしなかったと言うかできなかった時代であり、知らないのも無理はないと自分を納得させる。

佐賀平野を横切る高速道路の車窓から一面の黄色の畑がどこまでも続いている、まさに麦秋の季節だ。
梅雨前のこの季節が麦にとっては収穫の時だ、まもなくその後に二毛作としての田植えも近い。

久住高原の信号も無い曲がりくねった道は、牧草の萌えている新緑の中をどこまでも続く。時折、眼にする黒い点、放牧された牛だ。
阿蘇山の麓のミヤマキリシマの群落も眼を見開かせてくれた、花びらが小さい。

唐津・名護屋で居酒屋を営む、従弟の奥さんの弟にご馳走になったスルメイカの活き作りは、身を半分ほど食べた頃でも、まるでカラオケの音楽に合わせるかのように、アタマの部分が青白く光ったり消えたりしていた。

松浦富士と詠われる伊万里の小高い山も悠々と元の位置に在る、元気?と声を掛ける。
実家だった近くを今も透き通った水が流れる名も知らぬ小さな川、思わず手を浸したくなる。

今後も海側生活を続けるか、或いは山側生活か街中生活に変えるか、それとも故郷生活に軸足を移そうか等と新たな夢が膨らみ想いが定まらない。


猫が嫌いでしょう

2012年05月14日 | 感じるまま

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                    (シャガ/長寿寺・鎌倉)

『猫が嫌いでしょう?』

趣味のカメラを昨年からプロに付いて教わっているが、風景写真では第一人者のそのプロが、まだ駆け出しの頃、業務での撮影時に先輩に言われたらしい。猫が警戒している雰囲気が出て、目的の写真になってないと。
また『赤ちゃんや子供の写真は、その親が撮るのが一番良い。子供は親に対して警戒心を持たないから、カメラを向けても自然で素直な感情を写し撮ることが出来る』とも。

季節が移ろう日常で、目の前に広がる風景や足元の小さな花々達にも素晴らしい、綺麗、可愛いと感動する事がある。また絵画や音楽や映画を観て聴いて美しい、悲しい、楽しい等と感動したり感激を覚える事もある。

プロは言う。『全ての感情を素直に受け止め、そしてその感動なり感激を他人に伝えようとする行為が写真表現です』

確かに、いつもとは違った視点や天候状態の時に、日常を観ると新たな発見があると言う経験をした。
二月の講座日は夜半からの雨が朝になっても降り続いていた。
雨は嫌いだ、雨の日は行動が鈍る。特に身体が痩せて細くなってからは、雨に濡れると身体が溶けて、更に細くなるような気がして全ての行動予定を変更してしまっていた。

その朝の気温は3度と表示している。雨具を着込み撮影機材を抱え歩き回るのは億劫だが、他のメンバーに気遣われるのも嫌だと考え集合場所へ重い足を運んだ。

被写体は、咲くのが例年より一ヶ月ほど遅いと言われた梅、撮影場所はある古刹だ。シャッターを押す手も悴み吐く息も白い。境内の高台に移動した時、思わず眼を見張るシーンが眼に飛び込んで来た。

眼の前に梅の木には、まだ二分咲きの淡いピンクの蕾が寒そうに少しだけ開きかけていた。眼を凝らすと蕾の先端には一滴の水滴がキラッと光っていた。蕾のはるか後ろに、晴れた日には何だか締まらないウスラボーとした仏殿の屋根が、鮮やかな緑青色を放っていた。
ピンク色の背景に緑青色。初めて眼にしたような風景だった。

雨が好きになったとまでは行かないが、多少は雨嫌いが直ったかも知れない。

小雨が降りしきる中で紫陽花に挑戦してみたくなっている。


住所を告げたインコ

2012年05月08日 | 感じるまま

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                                  (染まる江ノ島を望む)

ベランダの鳥籠から飛んで行ったインコが三日ぶりに戻った。

迷子になり、警察に保護されたインコ。夜になり突然「サガミハラシ ハシモト---」と繰り返し人の言葉を喋り始めた事に気が付いたお巡りさん。翌朝、インコが話した住所を訪ねると飼い主は飛び上がって喜んだと、この連休中のニュースの一つ。

飼い主に依ると、以前飼っていたインコが逃げたことがあり「迷子になっても大丈夫なように」と住所と電話番号を教えていたという。運動のため屋内で自由に飛ばせた後、誤って鳥籠の扉を開けたままベランダに出すと飛んで行った。
無事に帰宅したインコは2歳の「ピーコ」で、息子から二年前の母の日にプレゼントされたと語っていた。
 
このニュースを耳にしてふと徘徊老人を思い出した。
徘徊は認知症の一症状だが、自分が以前住んでいた地域では、行方不明になった高齢者を早期に保護する目的で防災放送を利用して、徘徊老人の特徴を伝え、情報の提供を求むとのアナウンスが度々流れていた。
目を離した隙に行方不明になったでは不注意が過ぎる。例えば衣類や靴には電話番号と名前を書き、縫いつけておくのがベストだろう。今は徘徊センサーもある。

認知症では、実際に出現する行動は徘徊でも、不満やストレスの発散として「どこか別の地に行きたい」という発想が浮かび、行動している場合が多いと言う。

ピーコは籠の扉が開いていたから、外に出たに過ぎないが、人間の場合は、もっと複雑だ。考えさせられる。まさに他人事ではない。

ピーコの発見で最も驚いたのは飼い主ではなく、自宅住所を喋るインコの声を聞いたお巡りさんだったかも知れない。
その時の顔を見たかった。