(ミヤマキリシマ/阿蘇)
『故郷は遠くにありて思うもの そして悲しく歌うもの---』と室生犀星の詩集にある。また別のエッセイには『故郷と言うものは、一人でやって来て、こっそりと夜の間に抜け出て帰るところであった』」とも書いている。
特異な生い立ちを持つ彼とは比べようもないが、自分は故郷に足を運ぶ度にくすぐったい感情を持つ。
「ふるさと」という言葉には、『♪兎追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川…♪』に象徴されるイメージが染み付いている。だからその「ふるさと」の現実がイメージとかけ離れた近代的な姿になっていようと、または見る影もなく凋落した姿に変貌していようと、記憶の間にある故郷は、やはり幼い少年時代の独壇場であり、嬉しかった事は嬉しいままに、悲しいかった事や辛かった事ですら、遠く過ぎ去った時のなかで甘く懐かしさを熟成している。
ゴールデンウイークの混雑を避け、その後、九州の北半分ほどを旅した。
九州に生まれ育ったのに九州について詳しく知らない。知っているような気がしていたが、足を踏み入れる度に始めてみる光景ばかりだ。育った時代は、NHKの朝ドラの「梅ちゃん先生」にほぼ重なる。あの頃は、親戚の家に法事か盆で、親に付いて行った程度しか旅行なんてしなかったと言うかできなかった時代であり、知らないのも無理はないと自分を納得させる。
佐賀平野を横切る高速道路の車窓から一面の黄色の畑がどこまでも続いている、まさに麦秋の季節だ。
梅雨前のこの季節が麦にとっては収穫の時だ、まもなくその後に二毛作としての田植えも近い。
久住高原の信号も無い曲がりくねった道は、牧草の萌えている新緑の中をどこまでも続く。時折、眼にする黒い点、放牧された牛だ。
阿蘇山の麓のミヤマキリシマの群落も眼を見開かせてくれた、花びらが小さい。
唐津・名護屋で居酒屋を営む、従弟の奥さんの弟にご馳走になったスルメイカの活き作りは、身を半分ほど食べた頃でも、まるでカラオケの音楽に合わせるかのように、アタマの部分が青白く光ったり消えたりしていた。
松浦富士と詠われる伊万里の小高い山も悠々と元の位置に在る、元気?と声を掛ける。
実家だった近くを今も透き通った水が流れる名も知らぬ小さな川、思わず手を浸したくなる。
今後も海側生活を続けるか、或いは山側生活か街中生活に変えるか、それとも故郷生活に軸足を移そうか等と新たな夢が膨らみ想いが定まらない。