海側生活

「今さら」ではなく「今から」

日本も広い

2015年09月22日 | 思い出した

                  (明月院/鎌倉)
「真っ黒い汁を見てみたい」

博多に住む知人が遊びに来た。「何か食べたい物は?」と聞いた時の答えだ。
真っ黒だと聞いている東京の蕎麦の汁を見てみたいし、飲んでみたいというのだ。

西から東京に出てきた人なら皆が一様に言う事だが、初めて東京の蕎麦屋に入りウドンを注文し、そのウドンを目の前にした時の驚きは、長い間忘れられないものだ

東京で生活を始めて間もない大学一年生の時、友人三人と蕎麦屋に入った。東京と横浜出身の二人は蕎麦を注文したが、自分は好物の天ぷらウドンを食べたいと思った。親からの仕送りとアルバイトで生計を立てている身、あの頃は何を食べたいかよりも、先ず値段を見て注文する習慣が身についていた。天ぷらウドンは各種ウドンの中で安い方ではない。しかしその日は、どうしても天ぷらウドンを食べたかった。なけなしの小遣いと値段とを考え合わせ迷った末、勇気を奮って「天ぷらウドン!」と注文したものだ。
天ぷらウドンを待つ間は、友人たちとの会話も上の空で、自分はしきりに故郷のあの天ぷらウドンを思い浮かべていた。

友人達の蕎麦よりも先に、先ず自分の前に丼が置かれた。丼を覗き込んで一瞬「---」息を呑んだ。「これが天ぷらウドン?」
真黒な汁に太過ぎるウドン玉、上に乗っているのは刻みネギと小麦粉の塊の中に野菜の切れ端みたいな何かが覗いている。故郷では薩摩揚げを天プラと呼ぶ。
一口、汁を吸って又驚いた。何だか甘辛い味がするのだ。白いウドン玉が汁に塗れて黒っぽく見えていた。箸で掴み上げると汁が流れ落ち、やや白色に近づいた。

全部が違っていた、ウドン玉・ネギ・天ぷら・味と汁の色と泣き出したくなりそうだった。

始めたばかりの東京での学生生活に夢中になっていた自分は、この天ぷらウドンを食べた時初めて故郷を懐かしく思い出した。

その後、友人達と湘南の海に行った時、この時のウドンを思い出した。
湘南の砂浜は砂が真っ黒だった、あの時の天ぷらウドンの汁のように。白砂しか見たことのなかった自分には恐ろしい汚染された何かを目にした思いがした。砂浜に腰を下ろしたらズボンに砂の色が移りそうで、なかなか座る勇気がなかった。友人達は砂浜に腰を下ろし談笑しているのに。

博多の知人に食べた感想を聞くと、慎重に言葉を選びながら「ウ~ン、日本もなかなか広いね」と感想にならない返事だった。


違いが分かる

2015年09月13日 | 感じるまま
(立秋祭にて/鶴ケ丘八幡宮)

どんな集まりに出掛けてもメンバーの中で一番の年長者だと思うことが多くなった。
ついこの前までは、職場や業界の集まり、セミナーなどでも先輩は常に居た。またお馴染みが集う居酒屋や呑み屋でも「おニィさん」と呼ばれ相手にしてもらっていた積りだったのに。

それでも時に、自分より年長のメンバーが居る時がある。そんな彼は全ての面で経験も話題も豊富だ。長年、生きていれば世の中の出来事に大抵は驚かなくなっている。なんでも知っているのだ。しかし、たまに先輩の言葉から我が身を振り返る思いになる。

カウンターだけの居酒屋でたまたま隣り合わせた年少者が、初めての鰯の酢シメを食して「美味い!」と感動している。その時に、「こんなのが珍しいの!」と、急に物知り顔になり、うんちくを語り出す人がいる。聞くとはなしに耳に入る話の内容は、ただ自分の食べ方の好みを押し付けているか、思い出を話しているだけにしか聞こえない。

子供時から鰯を食べていたと言っても、それが鰯の全てを知っていることになるのか。鰯は鰯!だと知っている気になれば、それで終わり。
鰯にはマイワシ、ウルメイワシ、カタクチイワシなどがあり、調理方法や食べ方も多様だ。

また人の暮らしも似ては居るがそれぞれ微妙に違う。似ていると十把ひとからげにして知っている積りになるのか、違いに気が付いて興味を持つのかの差は大きい。
自分も人生経験が長くなった。あらゆる事に「又、これか!」と感じる事が多くなっているだけに、大いに反省もしたい。

年少者と席を同じくする機会もある今、彼らの感動を大切にしながら、微妙な違いの分かる年長者でありたい。