海側生活

「今さら」ではなく「今から」

迫力ある説明

2014年01月29日 | 海側生活

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                                           ( 夜明け直前/小坪より)

『今朝は寒かったですね』
床屋の椅子に座るなり、いつもの顔見知りとは違う、やや若いオジサンが話しかけてきた。

『寒さが頭から染み入ってくる、だからあまり短く刈らないで!』と応じると、鋏の音も軽やかにオジサンは話し始めた。
『個人差はありますが、我々日本人には頭皮1平方cm当たりおよそ250本ほどあるそうです。だから全体では10万本はあることになります』
『俺にはその半分ぐらいしかないのでは?』
問いには直接には応えないで
『成長の速度もやはり個人差があるようですが、およそ一年に11 cm伸びますから、一日では 0.3 mmぐらいです』
『ヘエ~』
『しかし、忘れていけないのは10万本あることです。全体では一日に30メートル、一年では11キロメートルも伸びているのです。体のどの部分を探してもこれほどの成長を見せる箇所はないと言われます』

プロとは言え。よく自分の道を勉強しているなと感心しながら、ただ聞き入っていた。
更に洗髪、食事、酒とタバコとの関連など、彼は手を休めることなく熱心に話してくれた。ある時期、夢中で研究したに違いない。
暫く間があり、
『しかし、ある時期には諦めも大事ですよ---』
やがて作業も終わり、少なくなったと感じる鏡に映る自分の頭を見ながら立ち上がった。
『今日は有難うございました』とオジサンは丁寧に帽子を脱いで頭を下げた。

目の前には天井の蛍光灯の明かりが反射している眩しい頭があった。なんとツルッ禿だった
『今朝は寒かった、頭がシモヤケを起こしそうだった』オジサンは笑っていた。


几帳面

2014年01月14日 | 鎌倉散策

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            (几帳面/海蔵寺・鎌倉)

撮るモノに困ったら海蔵寺に行け!と言う言葉が鎌倉にはある。

源氏山の麓にあり入山料を取らないこの寺は、いつ足を運んでも境内には何かしらの花を咲かせている。鎌倉花の寺にも選ばれている。
中でも有名なのが春の海棠。折々に咲き乱れる花の中でも、自分が好きなのは本堂の脇に咲き誇る10本を超す山吹の可憐な花だ。
この真冬でも、福寿草が苔の間に点々と、小さい体に冬の陽を浴びて何かを語りかけてきているようだ。間もなく、まるで造花のような蝋梅も姿を見せ始める筈だ。

何気ない風情の趣があるのに、そのくせ雑草一本も目に入ってこない。住職の性格なのか、檀家の意向なのか、それとも何かの特別な理由があるのかは知らない。とにかく庭の手入れも行き届いている。

そう言えば、この寺の本堂の左右の向拝柱は几帳面だ。手間がかかっている。鎌倉の寺ではあまり目にしない。
几帳面とは、もともと几帳の柱によく用いられたところから言うらしい。角柱の角そのものは残し、それぞれの角の内側の両側に溝が彫られている。柱一本にも拘りがある。

現代では、決まり事や約束に適うように細かいところまで正確に処理するさまを言うが、今の自分には、どうも几帳面過ぎても自分を縛ってしまいそうで窮屈だ。
境内に身を置き、陽光が織りなす影をボンヤリ楽しんでいたら、医師でもあり作家でもあった斎藤茂太の言葉を思い出した。90歳になった時だと言う

『ゆったり、あっけらかんと生きていく幸』に、こんな言葉がちりばめられている。
毎日は、手加減、さじ加減、いい加減でちょうど良い
人生は、寄り道、道草、回り道が楽しい
しかし、「いまさら」はやめて「いまから」と言う

思わず読み返した。そして頷いた。