(材木座海岸より)
鎌倉には切通しが七つある。切通しとは、トンネルのように中をくり抜くのではなく、山を切り崩して開いた道の事だ。
長谷から稲村ケ崎へ抜ける道も切通しだ。古い年月を経た道は昼も何となく暗く、土手部分には苔生している。道幅も狭い。さすが舗装はされているが、高い所で20メートルはあるだろう山の切り口は無粋なコンクリート類は一切使われていない、自然のままだ。大寒の中で山肌には蜜柑がたわわに実ったり、紅梅が咲いていたりする。
この切通しで一番高い所に位置する極楽寺は750年を超す古い寺だ。開山は東大寺の忍性上人で真言律宗の格式ある寺だと『吾妻鏡』にも記載がある。当時は広い寺領を持ち東海道筋の名高い寺であった。現在は目の前を江ノ電が走り、ややせせこましく感じるが、茅葺の山門は落ち着いた風格を漂わせている。山門を潜り桜並木の参道を進むと、本堂の前に忍性が薬作りに使ったとされる大きな石鉢と石臼がある。その横には桜の古木があり、一本の木に八重と一重の花が咲く。まるで人も人生も様々と諭しているかのような風情の記憶がある。境内は写真撮影禁止のお寺だ。
建立したのは北条重時だ。本尊は阿弥陀如来で宿坊の中には悲田院や施薬院もあったと言う。極楽寺が他の寺と異なる大きな特色は無料の診療所とも言うべき、孤児や身寄りのない老人・病人また貧民の救済施設などの病養施設が多かったことである。
この極楽寺への切通し道は、様々な人々がそれぞれの念願を持って通ったのではと推測する。
緩やかな坂をダラダラと降りて行けば、突然道は大きく海に開ける。白波が立つ七里が浜の眩い海が目の前に広がる。波の向こうから富士山が迎えてくれる。心理的にも心配事を祈願して寺を出ると、間もなく波立つ海の青さにキラキラと明るい希望が湧いてきたかもしれない。一度暗い道を歩いて、それから明るい道に出る。人生に似ている道だと思うのは自分だけだろうか。
極楽寺に限らないが、七つの切通しを全部歩いてみて、今感じることだが切通しを通り抜けると全ての切通しは平坦になり明るくなる。切通しと言う言い方には、道を切り開いたと言う意味と、人生を切り開くと言う解釈があっても良い。
トンネルよりも切通しと言う言い方に何となく人間の味を覚える