(材木座海岸から)
“平成“も暮れた。
初めて“平成”との呼び名と文字を目にした時、何だか「気の抜けたビールみたいな響きだな」と妙に感じた。
元号とは時代の記号みたいなもので、合理的な意味はないとしても、元号で人の気分が変わるのは間違いない。改元は全てにおいて新しい事に踏み出すきっかけになるだろうか。
明治といえば維新、大正といえばデモクラシーやロマン、昭和といえば戦争と経済成長などと、元号とともにその時代が振り返られる。平成にはどうもマイナスイメージがつきまとうところがあるが、昭和という言葉が、漠然とした「古き良き時代」の代名詞として使われるようになった時代でもあった。
日本が戦争をすることなく過ぎた平成の30年間。それを受け継いで始まる“令和”の時代。そんな平穏のなかでの改元だからこそ、人々は不思議な端境期を楽しんでいられる。
自身を振り返れば、平成は文字通り激動の時代だった。しかもその大きな変化のきっかけはいつも病気発見と、その戦いでもあった。
大学卒業と同時に長年勤めた会社を、椎間板ヘルニアの手術を切っ掛けとして退任し、起業したのが“平成”の始まりの年だった。後に言われるバブル経済の真っただ中だった。数年間は経験が無いほどの高い山と深い谷を味わった。そして深い谷のどん底の頃、いくつかの幸運に恵まれ、普通の社会人に戻ることが出来た。
その後、順風満帆の“平成”の後半には二度の癌に見舞われた。そして一切のビジネスから離れた。同時に想うところがあり、ストレスを感じない好きな海側生活を始めて10年が経った。
この間、思い知らされた。人の厚情、思いやり、慈愛、気遣い、心遣いなどいわゆる情けを。思い起せば、今はただ感謝の気持ちだけが日々新たになる。
“平成”は自分が普通の人間に戻れた時代だったとしみじみ感じる。
この間、情けを頂いた方々に、このブログを通じて、わがまま生活の近況報告をしてきた。しかし、自分の様々な節目が今に集まり、大きな転換期が来た事を強く感じている。これを機にして、ブログも卒業したい。
“平成“の向こうへ、どんな”令和“が動き出すのか。どんな時代が待っているのか。
自分はどう変わるのか、“令和”の少し先の目で今を見詰めてみたい。
長い間、お付き合い頂き、有難うございました。