海側生活

「今さら」ではなく「今から」

男を吸い込む様な深い眼差し

2010年07月30日 | 興味本位

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都心での用事を午前中に済ませ、もっと早く足を運びたかった「マネ展」に出掛けた。
エドゥアール・マネは、後に印象派と呼ばれる画家達だけでなく、後世の芸術家達に決定的な影響を与えた、近代絵画史上もっとも重要な画家の一人と、中学生程度の知識しかなかった。

会場は丸の内の「三菱一号館美術館」だ。
地下鉄で最寄りの二重橋駅を降りて会場に向う道すがら、何か違う、他の美術館へ向う雰囲気と違うなと感じ始めた。ここは日本を代表するオフィス街の真ん中だ。高層ビル群を左右に見ながら着くと、周囲に比べビルは低く、造りは外観も内装も何となくレトロ調だ。

館内は、丸の内に勤務している人達ではない一般の人達で大変混雑している。
11室の大小の部屋には、マネの80点余りの油彩、素描、版画などが、展示されていた。
明快な色彩、立体感や遠近感の表現を抑えた平面的な処理などは、素人の自分にもそれまでの絵画との違いが明確に分かる。
マネの家族や友人達の作品等も展示され、又解説が加えられていて、マネが活動した背景が理解し易く構成されていた。

自分が眼にしたかった「笛を吹く少年」も見た。中でも「すみれの花をつけたベルト・モリゾ」は、男を吸い込む様な深い眼差しや唇、そして白い面長の顔に溢れるあどけなさに改めて見入ってしまった。そして気が付けば、この絵の前に30分以上も立ちすくしていた。

それにしても三菱と言う日本を代表する企業連合の底力を見せ付けられたような気がした。
普通の企業ならば当然、ここにはオフィスビルを建設し賃貸したと思う。
聞けば、『今から120年前に竣工した丸の内で最初のオフィスビルを忠実に復元した「三菱一号館」は、本格的な美術館として活用し、「文化芸術の中核施設」として丸の内地区の文化機能の強化を図っていきます。』との事。

トップを行く企業の誇りか、或いは宿命か又は時代が求めたのか、何れにせよビジネスの中締めをした自分にとって、久し振りに“企業とは”を考えさせられる時間でもあった。


匂い泥棒

2010年07月26日 | 季節は巡る

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駅前通りの商店街・銀座通りを歩いていたら、何処からともなく、香ばしくて甘い匂いが漂ってきた。
そうか、いつの間にか土用の丑の日だ。店の前を通りすがら思い切り鼻から大きく二度息を吸い込んだ。甘い醤油の香りだ。
食欲を誘う。

ケチな男がいて惣菜を買うお金が惜しいので鰻屋の隣に引っ越した。
店の厨房に一番近い部屋を選び、窓を開けて漂ってくる蒲焼の煙を、おかずにして夕飯を食べた。そうやって食費を浮かしたのだ。
でも月末になって、うなぎ屋の旦那が険しい顔つきで勘定を取りに来た。
「俺は鰻など食っていない」と、追い返そうとしたが相手は「食べた分の代金ではなく、匂いの嗅ぎ賃の請求でございます」と言う。
「嗅ぎ賃?」ケチな男は「分かったよ、じゃあ、今、払うよ---」と呟き、懐から銭を出した。そしてチャブ台の上に銭をガチャガチャと落とすと、すかさず拾ってまた懐に戻した。
「嗅ぎ賃だから、音だけ聴いて、サッサと帰れ」

古典落語“しわい屋“の小噺を思い出した。

自分の身体には、脂肪分が多い食べ物は控えなければならないが、野菜や果物で栄養補給をしよう。
大学同窓のS,Mさんから頂いた自分の農園で栽培した無農薬の甘夏“駿河エレガンス”が冷蔵庫にある。
また、かっての仕事仲間のM,Mさんから「今年の収穫トマトです」と送って頂いた、無農薬で栽培された色とりどりのトマト達も、まだ冷蔵庫に山とある。今日は黒トマトをサラダにしてみよう。
お二人の凄さは、第一線でビジネスマンとして活躍しながら、休日の度に畑に出向き手入れしている事だ。

鰻は“匂い泥棒”で我慢しよう。


ハイビスカスの向こうに海が光っている

2010年07月20日 | 海側生活

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自分の部屋に、ハイビスカスが今年も咲いた。
海側生活を始める時に頂いた鉢植えのハイビスカス、オレンジ色で二段咲きの面白い形をしている。三年目も開花した。
名前は通称“オレンジフラミンゴ”と言う事を頂いたときに教わった。
ハイビスカスと言う名前の由来はエジプトの美を司る“ヒビス”の名前にちなんで付けられ『ヒビスのように美しい花』という意味を持っているそうだ。

この部屋の中には、海側生活を始める記念にと、友人や後輩や取引先から頂き、毎年春になると艶やかな姿を咲かせてくれている胡蝶蘭達もいる。
更にあと三週間もすれば、五月に種を蒔いた朝顔と夕顔が、朝には可愛く濃紺の朝顔が、夕には芳香を漂わせて艶やかに真っ白い大きな夕顔が咲いてくれるだろう。
彼らは双葉が出た時、強風で海からの潮の飛沫を浴びたハンデがあるのに、今は、めげずにその蔓を支柱に巻き付け始めた。

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これから夏盛りにかけて、鎌倉のお寺でも様々な花が咲く。浄智寺などでは桔梗、海蔵寺にはノウゼンカズラ、光明寺には蓮などが、散策途中の自分の心を和ませてくれている。

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今、ハイビスカスの向こう側に海が広がり、今、その海はキラキラと光っている。

自分の海側生活の向こう側には、どんな時が待っているのか。


どんどん若くなる

2010年07月13日 | 最大の財産

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頂き物のお礼の電話をすると「はい、後期高齢者のGです」と明るい声が返ってくる。
尊敬する大学の先輩M,Gさんだ。

「元気でやっています、との挨拶の積りで送りました」と、今年も、らっきょうの蜂蜜醤油漬け、蜜柑のマーマレード風ジャム等、M,Gさんの畑で栽培された野菜等の手製の品の数々をお送り頂いた。昨年も収穫までの経緯を説明書付きで紫芋とサツマイモや、また裏山から切り出した青竹に流し込まれた水羊羹やセロリーの溜まり漬け等を頂いた。これらの容器には和紙のラベルが貼ってあり、ラベルには「G庵特製 宮内庁ご用達(申請思案中!)」と書かれていた。

その庵は猿や猪が頻繁に出没する千葉・鴨川の山の中にある。生活インフラは何も無い、電気は最近たまたま引かれ、庵での生活は一変したと聞くが、しかし今でも水道もガスも無い。

横浜のシニアハウスに奥様と二人で悠々と住み、季節になると雨の日以外は、久里浜からフェリーに乗り、着いたら自分で車を運転して鴨川の山中の庵まで30分。一週間ほど寝泊りすることも珍しくないと言う。畑仕事は楽しい、しかし作物の収穫時期になると、猿や猪との闘いに明け暮れるとの事。
又、一方「人生は二毛作」と、得意分野の法律、中でも相続に関する上級アドバイザーとしてボランティア活動もなさっている。

自分が大学同窓生の不動産会の代表を担っていた時は、「母校の評価は、卒業生の現在の資質に在る」と事あるごとに話され、叱咤激励を受けた事を思い出す。

このM,Gさんのパワーは何処から生まれて来るのだろうと、思わずお話に身を乗り出してしまう。

また、ある時「朝起きて鏡の中を覗き込むと、肌がイキイキと艶やかに輝いている。この二三年、年齢を経る毎に、シミやソバカスが消えて行き、どんどん若返って行くような気がする。調子が良いよ」と、溌剌とした声を聞いた。
その後「先日テレビを見ていたら往年の女優さんが同じような事を話していた。その原因は老眼が進み肌の細かいシミやタルミが見えなくなったためだと気付いた」と。念のため医師に診せたら白内障との事。
暫く日を置いて「やはり、自分にもシミは、シッカリありましたよ」との笑い声。

「お酒は控えています」と言いながら清酒をコップ五杯は軽く飲むM,Gさんだが、自分の魚釣りのお師匠さんでもある。
M,Gさんに接していると、齢を重ねるのも悪いものではないなと思う。


浜の子育て盛り

2010年07月07日 | 浜の移ろい

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日課にしている漁港の浜を散歩する。ここの浜はコンクリートに覆われ、波打ち際からスロープになっている。所狭しとばかりに漁船やそれを繋ぎ止めているロープ、様々な網、漁具の数々が置いてある。午後のせいか漁師達は作業も終え人影も疎らだ。

人は居ないはずなのにある浜小屋のほうから、ゴトッゴトッと断続的に音が聞こえてくる。音が聞こえてくる方に眼をやると奇妙な行動をしている一羽のカラスがいる。浜に落ちている子供の握り拳ぐらいの大きさの何かを口に咥え、3メートルぐらい真上にバタバタと言う感じで羽ばたき、咥えたモノを下に落としている。それを注視すると、それはサザエの殻だ。どうして食べられないサザエの殻で遊んでいるのだろうと思った。落とすとすぐカラスは直ぐ降りて来て、サザエの殻を片足で押さえつけ、殻の中を突いている。そして又バタバタと咥えて舞い上がり又ゴトッゴトッと落とす。何回も同じ動作を繰り返している。やがて殻の中のものが取れる状態になったのか、四五回ほど啄ばむと裏山の方に飛んで行き姿は見えなくなった。浜に残された殻を手に取って覗き込んだ、それはヤドカリの一種で、この浜で言うアマガニだった。殻の周りには身の無い足の部分だけが残っていた。

カラスは賢い動物として知られている。問題解決能力に優れ、自動車に木の実を轢かせて割る、瓶の中で水に浮く餌を取り出すために石を沈めて水位を上げるなど、霊長類に匹敵する知的行動も取れるし、さらにヒトの顔を見分けて記憶することが出来るらしい。
今、燕や雀と同じように、裏山のどこかに孵った雛に餌を運んでいるに違いない。一夫一妻制で協力して子育てを行うと言う。

あのカラスに愛称を付けたい。
そして、どんな言葉で挨拶を交わそうか。