42番目の桑名宿、その七里の渡しから、43番目の四日市宿に向け歩き出して暫くしたら雨が落ちてきた。雨の中を歩くのは苦手な自分は早々に歩くのを止めた。車で30分ぐらいに位置する湯ノ山温泉に後輩達が宿を手配し、車で送ってくれた。天気予報ではこれから雨は強くなり、さらに二三日は続くと言っている。ユックリしよう、急ぐ旅ではない。いつまでに京都・三条大橋に着かねばならないと言う期限があるわけではない。
雨が止んだら、今日中断した地点・桑名宿の国道一号線の交差点から、残り120kmを再開すれば良い。しかし台風2号が日本列島に接近しつつあるという。
広い大浴場には誰も居ない、貸切状態だ。湯の中に手足を存分に伸ばしてこれまで歩いた11日間を思い起こす。
病院との予約があり8日間歩いて中断し、再開した岡崎から池鯉鮒(現在の知立)、鳴海、そして41番目の宮宿(名古屋)の七里の渡しまでの二日間は、自分にとって無くてならない存在の東京に住む“オジサン”が同行してくれた。道連れがいると足取りが軽くなったような気がする。
江戸時代の面影を残す松並木を抜け、田植えが終わったばかりの若緑の水面を見ながら、また幾つもの川を渡り、無造作に咲いている杜若(かきつばた)を見て、「空が広い」、「空気の匂いが街とは違う」、「花の色が何故だか違う」等と会話にならない話をしながら歩を進めた。懐かしい風景等に出会うと、それは自分にとって癒しになっているのを感じる。
一人で歩いていると会話も出来ない。空行く雲や吹く風に、また松の木や花や虫達に、そっと小声で話し掛けるだけだ。
他愛ない会話をしながら自分は、故郷での幼い頃一緒に過ごした、裏山でのメジロ獲りやビー玉、メンコ遊びをした事を、“オジサン”には言わなかったけど思い出が蘇っていた。
「旅は道連れ 世は情け」何て言うが、連れが“オジサン”で良かった。
八橋の杜若、有松の連子格子の家並みと絞り染め、笠寺観音でのお参り、そして七里の渡しと東海道はここまでだが、さらに足を伸ばして熱田神宮でのお参りと源頼朝が生まれた誓願寺への訪問など、二人とも名古屋には浅からぬ縁を持っているのに、足を運ぶのは初めてであった。
二日間で36kmの行程は、“オジサン”との道連れで自分の生涯の思い出になる二日間であった。
ペンを持ったまま宿の部屋の窓越しに外を見遣ると、すぐ向こうの山が白っぽく霞んで見える。雨脚が強くなって来たらしい。