海側生活

「今さら」ではなく「今から」

子供に見惚れる

2019年01月27日 | 感じるまま

           (鶴岡八幡宮)
「この子には叔父さんも叔母さんもいないし、従兄弟(従姉妹)も一人もいないのです」と言う、一人っ子同士で結婚した若い夫婦が子供を連れ遊びに来た。

長く言われ続けている少子化が進み一人っ子が増えてきたので、そんなこともあり得ると納得した。自分には当初は叔父さん叔母さんが20人ぐらいいたし、今でも従兄弟・従姉妹たちは、何かと付き合いのある人だけでも15人はいる。

夫婦の話によると、学校の運動会に要請されて夫婦で参加してみると、運動会に参加している子供の数より、父母や祖父母の人数がずっと多いのに驚いたという。長寿化が進めば祖父母が四人とも健在だという子供も多いに違いない。そして曾祖父母も健在という世になったらどんな事になるのだろう。八人の曾祖父母が目の前に現れて「私が貴方の祖先よ」と言ったら、子供であっても「私はどこから来たの?誰なの?」と哲学的な疑問も感じ目をシロクロさせるのではないか。

ふと家系図を考えた。自分の上に父母がいる逆さまの家系図だ。父母の上に祖父母が四人いる。その上に会ったことも無い曾祖父母が八人、その上には十六人と倍々していくと、二十数代遡ると、その数は一億人を超す計算になる。「私はどこから来たの?誰なの?」と言う問題はこの家系図を見たら茫然自失になる。

自分にもそろそろ孫が出来てもおかしくないし、その出生を待ち望んでいるが、自分の遺伝子は四分の一しか入っていない訳だ。しかし、いろいろの血が混じったその子の幸福を願っている。

若い頃には他人の子なんかどうでも良いし、或はむしろ煩わしい存在だったのに、今ではどの子供も天使のように可愛く、特に透き通った眼に見惚れてしまう。自分の遺伝子も、この子のようにどこかで生きていくに違いない。自分は忘れられても、どこかの幼児の中に伝えられるのだろうと安心する。


冬の匂い

2019年01月22日 | 鎌倉散策


好きな白ワインに似た、少しツンとしたコーヒーの香りに交じり、蝋梅の甘い香りがほのかに漂っている。先月は水仙が添えられていた。

季節にはその季節ごとの匂いがあり、一番鮮やかに嗅ぎ分けられるのは、もちろん春だけど、冬の季節の匂いは、街を歩いていたりする時、突然何の前触れもなく鼻の奥から脳天に突き抜けるように広がり、ふと自分の脚の運びを止めさせてしまう時がある。きな臭いようなそれでいて甘酸っぱい匂いの感覚が、それは何だったか又誰だか忘れてしまった誰かを思い出させる。

正月風景の撮影を止め、早々にお気に入りの茶寮で一休みしながら、先ほどの匂いは何だったか、誰だったかと、座って静かにコーヒーを楽しみながら記憶をたどってみた。結局は分からない。遠い過去の出来事だろう。
蝋梅の香りを引きずりながら、庭に出て腰を屈めると福寿草が小さな頭を出し始めている。

いつもとは少しだけ違う装いをして、いつもとは違った食べ物を食べ、いつもとは違う分厚い新聞に一通り目を通し、そして年賀状を一枚ずつ読んだ正月も、松の内を過ぎたらいつもの日常に戻った。

季節はいつものように巡っている

ひとり旅への想い

2019年01月09日 | 海側生活

(逗子・小坪から)
元日の朝は晴れていた。

陽が当たり始めたベランダ越しに、透き通った空の青を海面にそのまま映した青い海原が穏やかに横たわっている。富士山は五合目辺りまで冠雪し、陽に反射して眩いばかりだ。風はソヨとも吹いていない。日常の漁船の行きかうエンジンの音も今朝は全く聞こえてこない。夜明け直前頃から鳴き交わす鳥の声が後ろの山側から微かに聴こえてくるだけだ。目を凝らすと、海面には漁船が行きかった航跡の水脈も全く無い。細波すら立ってない、まるで静まりかえった大きな湖のようだ。

ふと、昨夜の除夜の鐘を打った時とは違う感情が内から込み上げてくる。

誕生が山の湧き水とするなら、死は海であり、人生は川の流れそのものだと言えると、誰の言葉だったか記憶が蘇ってくる。
川は多くの水をたたえ、その一部を蒸発させて雨に変え、また川を流れ下らせる。やはり基本は海、すなわち死かもしれない。人間は川の流れに乗った藻にすぎない。どんなに考えたところで、川は海に向かって流れてゆく。それならば、自然の成り行きに任せ、自分を改めて自覚しようと思いを新たにする。

自分はこれまで随分と長い間、ある時は留まり、またある時は寄り道をしながら考えていた以上に流されてきた。あと海までどれくらいの距離まで来たのだろう。或はすでに入り江まで着いているのかもしれない。突然に急な潮の流れが起き、すぐにでも一人旅を始めるかもしれない。そうなったら湘南の海岸沿いに、この相模湾を一周するのも面白い。真鶴あたりから相模湾の真ん中に出たらまた違った風景に出会えるかもしれない。やがて南下して思い出の詰まった城ケ島の沖あたりから、伊豆半島の先端の爪木崎や城ケ崎を右手に見ながらさらに南へ流れ、そして大島から伊豆七島を通り抜け,やがて八丈島から小笠原諸島近くに差し掛かったらイルカの群れにも久し振りに出会えるだろう。後はどちら方向に流れの向きを変えようか。出来たら太平洋の大海原をさらに南下したい。

行雲流水も又楽し。元日の朝に想った。