海側生活

「今さら」ではなく「今から」

タツノオトシゴ

2010年01月29日 | 魚釣り・魚

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一ヶ月に一度検診のために行く病院で、その日は受診する二つの科に時間が空いたから、二階の産科待合室に行って見た。

病院は病人が来る所だが、産科に来る妊婦や新生児は病人ではない。
身体のどこかに不安を抱えている人の目に、新しい命の灯が灯る光景が映るのは、心安らぎホッとした経験をしてから、赤ちゃんをジッと見るのが好きになった。

カンガルー抱きした30歳ぐらいの男性が、ベビースリングの中を覗き込み、なにやら囁き掛けながら、ユックリ歩き回っている。赤ちゃんの受診を、母親の代わりに父親が来たのかと思った。その横向きの姿に似たような光景を、どこかで見たことがあると思った。

思い出した。先日、浜で網に掛かっていた「タツノオトシゴ」だ。

オスが育児嚢で卵を保護する繁殖形態を取るらしい。
身体は環状の硬い甲板に覆われ凸凹がある。口は小さく前に突き出ている。尾は長く、口の付け根に眼がある。
およそ魚には見えない外見だ。
よく見ると前に曲がった首の辺りに小さなエラ穴と胸びれがあり背中にも小さな背びれがある。
聞くと、海中では身体を直立させ、頭が前を向く姿勢で、尾を海藻などに巻きつけて身体を固定していて居ると言う。この姿が竜や馬の外見に似ている事から「タツノオトシゴ」や「ウミウマ」の和名や、「Seahorse」の英語名が付けられているらしい。
又、泳ぐ時は胸びれと背びれを小刻みに震わせて泳ぐが、動きは遅い。しかし身体の色や突起が周囲の環境に紛れ混む擬態を取るため、見分ける事が難しいと言う。

ここら辺りでも安産のお守りとして重宝されている。

暫くすると診察室から、いかにもお産まで間がないと言った感じの大きなお腹をした妊婦が出てくると、真っ直ぐに、その男性に近づき「お待たせ--」と笑顔を投げかけている。
今更ながら、夫婦とは、子供を育てると言う事は、こう言う事なのかと垣間見た様な気がした。

「タツノオトシゴ」をプレゼントしたくなった。


ひと目惚れ

2010年01月25日 | 最大の財産

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彼の笑顔が絶えたのを私は見たことがない。

明治大学の出身者で、不動産業に携わる者の団体に入会させて頂いた折、その入会面接をして頂いたのがM,Sさんだった。
矢継ぎ早に様々な質問を発する際にも、彼は笑顔が絶えない。自分とは全てが違うな、この人と話していると気持が和んでくるな、と思った。聞けば学年も学部も同じだった事に驚いた。二十数年前のことだ。その後、彼は会長に就き、会を磐石に、また大きく飛躍させた。

彼は本当に忙しい。
仕事は当然としても、趣味の範囲が広い。旅行、山、バイクツーリング、酒と、----さすが最近バイクは手放したようだ。
学生時代は体育会ワンダーフォーゲル部に籍を置き、リーダーを勤めた。つい最近まで毎年海外のトレッキングにも出かけていた。


大学を卒業して数年経ったころ京都に旅行した際、一人の和服姿の良く似合う女性と運命的に出会った。彼はその時の出会いを言う。「彼女は天真爛漫で、しかも行儀正しく、物凄くチャーミングで、自分は我を忘れてしまった」と。
その後、彼女に会うため京都まで料金の安い深夜バスを利用して頻繁に通う事になった。土曜日の夜発って日曜日の朝着き、その日を共に過ごし、又日曜日の夜行バスで帰京する。

一年後プロポーズするが返事を貰うのに時間が掛かった。
家業の、幕末に著名な出来事があった老舗旅館の跡取りとして育てられた彼女は、両親の事を考えると家を出られない、との強い思いがあった。
彼も長男で父親との家業が東京にある。
悩み苦しんだ挙句、彼は諦めるべく彼女の両親に挨拶に行った。両親と彼女を前にして「二度と彼女の前に私は現れません。皆様、お元気でお暮らしください---」。そして京都を後にした。

数日後、彼女は上京した。

奥さんになった彼女は二人のお嬢さんを育て上げ、更に美しくなり、持ち前の明るさと聡明さに、パワ-アップされた行動力を駆使し、自ら学院を起こし、今や全国主要都市に六つの教室を開かれている。

そして、 “自分らしく 光り輝いて 周りのために”と言うシャイニング・ワンの生き方を提唱し、“念じても動かねば花は開かない”と言う理念の基、「筆跡心理学」を通じて“品格のある人間性”を目指し、人々の幸せと平和な社会を願いながら今日も東奔西走されている。

お二人の何事にも懸命に、しかも明るく取り組む姿勢や、何よりも“人のために”と言う考え方を貫くそんな彼が、彼女が私は好きだ。

お互い還暦の歳に会の仲間11人で「紫紺の絆 前へ!」を出版した。
先の諏訪大社の御柱祭りには、お二人に同行させて頂き、貴重な思い出を創っていただいた。
このブログも立ち上げの折には彼に手ほどきを受けた。

また何かにつけお二人には「海側生活」にも度々お付き合い頂き、ステキな時間を持たせて頂いた。

これからも彼の、彼女の笑顔に触れたい。
ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けないと言うが、人も人によってしか磨けない。


大寒に咲く

2010年01月21日 | 海側生活

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後輩が自分のビジネスの今後の進むべき道はどうあるべきか、と意見を聞きに来た。

裏山を二人で散策した。
冬の樹を見るのが好きだ。
樹は枝を見る。枝振りの、枝差しの、輪郭の美しさについ見とれてしまう。
樹の枝々の見事さや鮮やかさが最も際立つのが、冬の落葉樹だ。葉と言う葉が全て散りつくして、僅かに一つ二つと枯れ切った葉が散り惜しむかのように、細い枝の先に揺れている。冷たい海風に晒されていても、冬の立ち木は、どこかキリリとすんだ空気を纏っている。黒い枝々の遠くに広がっている青い冬の空がキレイだ。

ふと眼を下に移すと、ピンク色の花が眼に入った。桜の花だ、思わず花びらをソッと手にしてみた。

思えば今日は二十四節気の大寒だ。
ここ逗子では、風は強いし海は荒れているが妙に暖かい。宮古島ではセミが鳴き、夏日を観測したと報道されている。一方、札幌では雪祭りの準備が急ピッチで進んでいる様子も聞こえてくる。

季節も大寒から立春へ、さらに雨水、啓蟄へと確実に続く。
春の来ない冬はない、と言うではないか。

二時間ぐらい歩くうちに、後輩の顔には、いつの間にか来た時とは違ったキリリとしまった顔つきが見えたような気がした。

後輩たちよ!大空を舞う鳥になれ!


宇宙人のクッキー 

2010年01月17日 | 感じるまま

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早朝、浜に行くと思わず眼を取られ、「お菓子」と呟いた生き物が海老網に入っていた。

丸っこくて花びらを形取ったお菓子のようなものを手に取り、忙しく立ち回っている“せいちゃん”に「この名前は?」と聞くと、横目で見ながらすかさず「タコノマクラ」と返事が返ってきた。

茶色っぽくて、10cm弱ぐらいの大きさで、やや楕円形だ。何よりも眼を引くのは身体表面の花びら模様で、短い棘に覆われているが、触っても痛くはない。

ウニの仲間らしい。
普段は海底の砂地や泥地に生息し、海草などを身に纏っている。体中の棘を使って砂の中に潜って身を隠しているらしい。
良く診ると一つの花びらの前端が開いている。花びらの中心部分に生殖孔がある。聞くと生きている時は濃茶色だが、傷付いたり死ぬと緑色に変わるとの事。

“せいちゃん”の5歳になる息子に「お菓子みたいだね」と言うと「宇宙人のクッキーだよ」と言う。既成観念のない幼い子の想像力にはいつも驚かされる。

思えば、上昇志向に何の疑いも持たず、より強く、より早く、より多くと、ただ前のめりにだけ生きてきた自分達の世代も、今体力の衰えに促され、走ってきた道を振り返るようになった。
疲れがそうさせるのか、ふと足元を見る機会も有る。足元を見る自分の視線を新鮮に感じる瞬間もある。

立ち止まらないと見えないモノ、耳を澄まさないと聞こえない音、ビルの中に身を置いていたのでは感じられない風もある。

今日もまた、5歳の幼い子に気付かされた。


何をしないか

2010年01月04日 | 感じるまま

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新しい年のカレンダーが始まった。
「海側生活」を始めて、三年目を迎えた。

長くビジネス社会に身を置き、仕事や遊びの仲間等にも恵まれ、全ての面で満足の行く生活を送っていた四年前に最初の病の発見、さらに三年前の新たな病の発見と、いずれも入院、検査、手術と思わぬ時を過ごした。

そして、人間としてのその時を覚悟した。

通院と治療に時間を取られ、仕事に掛ける自分の情熱が半端では仕事仲間にも迷惑を掛けると考え、先ずビジネスの“中締め”をしよう。

そして自分の人生の“中締め”もしよう。

その結果として、この「海側生活」を始めた。

森羅万象に全開の好奇心を発揮できるのは何とも心が躍り落ち着く。

しかし余りにも心穏やかな毎日を迎えているとふと思う。
我儘をさせてもらっている、この我儘を通すために、周りの人達に無理を強いているのではと。逆の立場で考えてみると、こんなにも身勝手で我儘で、そしていつの間にか居なくなった、もう勝手にしろと思うに違いない。
心が安らぎ、楽しい分だけ人に迷惑を掛けているに違いない。

今、自分はビジネスや都心から離れたからこそ、それらが良く見えるようになった部分もある。

今年は「何をするか」ではなく、更に「何をしないか」を求めたい。

限りある時間だろうが---。