海側生活

「今さら」ではなく「今から」

ローソクも揺れる

2014年08月31日 | 海側生活

         (有村よう子さん/佛乗院)

50人も座れば満席になるお寺の本堂でライブが開かれた。

透き通る歌声と歌唱力 、飾らない親しみ易い人柄を感じさせる話で会場が一つにまとまった。有村よう子さんはジャズボーカリスト。サックスとベースの奏者も一緒だ。

聴衆は年配者が多い、殆どが女性だ。近所付き合いしている関係で出席させて頂いた。
先ず「枯葉」が始まる。三曲目のオードリー・ヘップバーンの「ムーンリバー」(ティファニーで朝食を)あたりから本堂内に手拍子が起こる。
年配者が多いことは事前に解っていたのだろう。演奏曲は40~60年代のジャズで皆が知っている曲だ。会話をはさみながら次から次へと演奏されていく。

涙を拭う人もいる。
愛した人が祀られていているお寺で、かって愛した人と共に楽しみを共有するするひと時は、思い出と共にその人を失った瞬間の記憶が蘇り、何かに付け辛い時間なのかもしれない。

ビートルズの「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」やヒット中の「「レット・イット・ゴー」(アナと雪の女王)と続いた。
ナマの音楽は身体にも優しい。ベースの低い音がグイグイと体に染み込んで来る。そして思わず足拍子をとっていた。始まる前に頂いたワインが効いているのかもしれない。
ご本尊の阿弥陀如来像の前の二本のローソクの炎も微かに揺れているように見えた。

リクエストの拍手がいつまでも本堂内に鳴り響く。「ルート66」と「ミスティ」でお開きになった。
お寺の外に出た人々の顔には、安堵の表情が観て取れた。きっと密やかに心の落ち着く時間だったに違いない。

日常は住職の読経しか聞けないご本尊の阿弥陀如来も、この日ばかりは住職と共に大いに気分転換になったに違いない。明日からどんな表情に変わるかな?さらに柔和になるのかな?
                            


勘違い

2014年08月06日 | 鎌倉散策

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 みつまた大根/レンバイ=鎌倉農協連合販売所

「おみおって何?」
「えっ?知らな~い」
聞かれた子は首を傾げながら、さらに隣の子に聞いている

鎌倉で一番人通りが多く、普通のシーズンは真っ直ぐには歩けないほど混雑している小町通りも、今の夏最盛期だけは人影も疎らだ。
ふと華やいだ賑やかな声が一つの店内から、小町通りまで響きわたって来る。
何事かと足を止め、?つけもの〝と布に染められた大きな文字の暖簾が軒下から床まで掛かっている。狭い店内に足を踏み入れると、7~8人の女子中学生と思しき一行が、家で待つ者へのお土産の物色中なのか、一袋を手にとってはその都度、相談なのか品定めをしている。店の人は彼女達から離れてにこやかに黙って見ている。

彼女たちはどこから来たのか、皆が私服だが、揃いのバックを肩からタスキ掛けしている。言葉の端々から判断すると福島か宮城らしい。彼女たちが迷っている理由を探してみた。陳列ケースの中には一般的な蕪つけ、大根つけ、茄子つけ等の他にチーズつけ等の名前も見える。彼女達の視線の先に、『一番人気!筍つけ』の文字が見えた。その一袋の横に『おみおつけのお供にいかがですか?』の小さな旗が立ててある。
「おみおって何?どんな漬物?」「糠漬の意味?あれは臭いよ」「私も味が苦手だな~」「お母さんは好きかも」と様々な感想。

日本語では尊重すべきものの語頭に『御』をつけることは皆知っている。
しかし、もし「おみおつけ」に『御』の文字を三つも並べ「御御御付け」と書いてあったら、場所がどこであれ、自分だって勘違いしたに違いない。今でも一般的に味噌汁を「おみおつけ」と呼ぶのは古い東京人だけかも知れない。