海側生活

「今さら」ではなく「今から」

浜にも春が来た

2009年02月28日 | 浜の移ろい

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住まいの隣の浜にも春が来た。

冬の間、伊勢海老・サザエ・ナマコやメバル・カサゴなどを中心の漁が、この時期から春を告げるワカメ漁が加わり新たな忙しさが始まった。

浜の風景が一変する。

冬の間は漁を終え、海からまだ陽も当たっていない浜に上がると、浜には冷え切った身体に暖かいお茶と真っ赤に燃え上がる焚き火が待っている。

やはり待ってくれている人が居るという事はホッとする瞬間だ、と思う。
ワカメの時期になると焚き火も小さくなる。

作業も手間が掛かる。
獲ってきたワカメを舟から降ろすと、先ず水洗いをする。次に熱いお湯で短時間煮る。このお湯に入れる瞬間が驚きだ、ワカメの色が黒っぽい茶色から見る見る濃い緑色に変化する。
そして又水に戻し良く洗い、それから一茎ごとに浜一面に準備された干台に吊るし干していく。やがて滴り落ちる水が無くなった頃、大きすぎる茎を二つに分けて干す、前後してワカメの葉先の不純物が着いている部分を切り取る。
後は太陽の当たり具合と風次第で干す持間が決まってくる。
浜一面にワカメ独特の香りが漂う。

自分にもこの春が又迎えられるとはなんとも楽しい。

あの手術から2年が経過した。

人生の中締めをして1年だ。


人は順境で退歩し、逆境で進歩する

2009年02月17日 | ちょっと一言

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住まいのすぐ前は海、裏は100メートルにも満たない小高い山だ。
この裏山にはトンビ(鳶)が多く生息している。
彼らを見ていると、空高く上昇するために、吹き付ける強風の時ほど思い切り大きく羽を広げ、そしてエイ!とばかりに飛び立っている。

そして高く舞い上がると、ヒュウと鋭く鳴き、やがて悠然と大空を旋回している

ビジネスから離れた自分が言うのも筋違いだとも思うが
ビジネスと一緒かなと思う。

ここ毎日、報道では厳しい経済環境を取り上げている。
オバマ大統領を持ち出すまでもなく、今、誰もがいつにも増して変化しなければならぬ時、挑戦を迫られる時の中にある。
これまで使われてきた方程式が殆ど通用しなくなった、と思う。

また、わが国には転換能力と言う強いDNAもある。
過去に何度も試練に直面しながら、したたかな転換能力を発揮して乗り越えてきた。
誰が戦略を作るのか。有識者ではない。
若い有能な信念の強い人々である。

日本人では昨年四人ものノーベル賞受賞者が出た。
彼らが受賞対象となった研究を始めた年齢は皆20~30歳台だそうだ。

いつの時代も若者が時代を作る。

「人は順境で退歩し、逆境で進歩する」とも言う。

自分の役割は何だろう、と改めて考えてしまう。


東京タワーに昇ってみたかった

2009年02月13日 | その時を覚悟した

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退院の日が来た。入院から65日振りだ。
いつもより早く目が醒めた。体重が入院時より12㎏落ちていた。

海に行きたい。
そして広い、青い海を見たい。
潮風にも当たりたい。

その前に病院から近い、毎晩眺めていた東京タワーに上ってみたかった。
高い場所から遠くを眺めて見たかった。
何かあるような気がした。

天気は快晴だ。

歩く練習も病院内でした積もりだったのに足が地に着いていない、すぐよろめいてしまう。人の歩きの早さについていけない、ユックリ歩いた。東京タワーに登るのはいつの日以来だろう、タワーが竣工して間がなかったから----計算が出来ないくらい前の事だ。

チケット売り場には長い列が出来ていた。

タワー完成50周年記念で何かのイベントをやっていた。

上るのを次回にする事にした。

腹からは、まだ管が一本体外に出ていた。


友は有り難い

2009年02月09日 | その時を覚悟した

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手術後は鼻、首、腹などから5本の管が体外に出ていた。
鼻からの管が取れた頃、初めて友人達に入院している旨をメールした。

何気ない励ましの言葉に胸が詰まりそうになる自分の気持を幾度となく抑えた

この頃何気なく見ていたテレビから「千の風に乗って」の曲を聞いた。

歌詞の中の“死んでなんかいません----思わず聞き入ってしまった。

窓からは街中の大小のビルだけが、10階の部屋から見えていたが

通りを歩く人の姿は見えなかった。

食事が四週間ぶりに僅かの椎茸スープから始まった

手術の前日から今日まで口からは何も食していなかった、水さえも。

東京タワーは夜になるとライトアップされていた。

色は日によって、又時間によって様々な色に変わっていく。上って見たくなった。