海側生活

「今さら」ではなく「今から」

係留されたまま 

2018年11月18日 | 魚釣り・魚

(小坪港/逗子)
ただ一艘の釣り船だけが港に係留されたままになっている。
他の船は夜明けとほぼ同時に出港した。

「改めておはようございます」
毎朝6時過ぎ頃になると船長のマイクを通した張りのある声が、寝起きに緑茶を飲んでいるベランダまでも聞こえてきた。船長は乗船している今日の釣り客に、港から数百メートル沖に出たあたりで、一日の行程と釣り方などを簡単に説明する。

9月下旬で時期は終わったけれど、カツオ狙いの日は説明がやや長くなっていた。カツオは30メートル船下の針先に掛かった瞬間から四方八方に走り回り、他の全員の釣り人の釣り糸を絡めてしまう。そのためヒットした人は大声で「ヒット」と船全体に聞こえるように叫び、他の釣り客は被害を最小限に保つため、釣り糸を急ぎ巻き上げる。一匹釣れるたびに3~4人は仕掛けが使えなくなり、釣るタイミングを外してしまう。カツオ釣りは船全体の共同作業でもある。船長は複雑に絡み合った釣り糸を元に戻す神業で素早い。またある時は、城ケ島の沖合での鯵釣りは錨を下ろしノンビリと釣り糸を垂れる。それでも水深は100mを遥かに超える。潮の流れが速い日はポイントを掴むのが難しい。ある時、持参した大型クーラーが満杯になり、早々に早上がりした日もあった。そんな日は船長は何も言わない、笑顔で船全体を見渡しているだけだ。家で料理しながら釣った数を数えたら100匹を超えていた。又ある日はその近くのポイントで30㎝は超すアマダイを5匹も釣り上げ感激をした日もあった。船長の「そのサイズは最近では珍しく大きいですよ」の一声が嬉しかった記憶が蘇る。
別の日には、港から比較的近い水深10~15mでのシロキス釣りでは錨を下ろし、船長も自分用の釣り竿を持ち出す。隣に座り釣り糸を垂れたまま、この遊漁船以外の別のビジネスの夢も語っていた。短く借り上げた頭髪に、真っ黒に日焼けした顔、船中ではトレードマークの白色の長靴をいつも履いていた。人懐っこい笑顔が周囲を常に和ませていた。

突然の訃報が耳に入ってきた。
別のビジネスで海外出張先のホテルでシャワー中に心筋梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人になってしまったと聞いた。

あれから三週間が経った。遺体の運送に手続きに時間がかかったそうだ。

船は港に係留されたままだ。ロープが時折揺れているのが見える。主がいない船も何だか寂しそうだ。

やはり天然モノ

2013年06月20日 | 魚釣り・魚

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                                       (日没/相模湾)

思わず聞いた。『この鮎は、どこの川で生まれたのでしょうか?』

今年も、前の小さな湾で、鮎の稚魚の捕獲作業が終わった。
二艘に漁師が10人ぐらい乗り、長さが100メートルはあると思われる網を使っている。網目が小さい。網の両端をそれぞれに結わえた二艘は左右に分かれ進み、湾の中心部分で輪を描くように網を閉じる。そして獲った鮎を波止場に待機していた車に積まれた大きな水槽に放つ。

作業をしている人達の中に、一人だけ制服みたいなものを着ている。水産試験場の担当者、だと言う。
『この湾には、今は道路の下を流れていますが、一本だけ川が流れています』

日頃、人と話す機会が少ないと言う彼は、質問に対して待っていましたとばかりにスラスラと教えてくれた。
『鮎は年魚といわれるように寿命はほぼ一年です。秋に卵から二週間ぐらいで孵化し、海や湖へ下る。翌年春、川と海の水温が同じになる頃から川へ遡上して成長し、秋に成熟して産卵した後、その生涯を終ります。遡上中は群れを作るが、中流域に達する頃には群れを離れ「縄張り」を持つようになり、5月頃から本格的に成長のスピードが増し、2~3ヶ月で体長は20cm以上になります。石に付着する藻類の繁殖が盛んになる夏場は、一日3cmは成長します』

彼は、聞いてよと言わんばかりに、仕事の苦労話や鮎に関係する様々事を話してくれる。自分はただ相槌を打つだけだ。
『鮎は年魚とも呼ばれ寿命は一年です。しかし雌には越年するのも珍しくない。人間に限らず鮎だって、女性のほうが長生きするのですね---』

また、『アイナメと言う魚がいます。主に煮魚として賞味されますが刺身でも美味い。この魚は「鮎魚女」とか「鮎並」と表記される。どこと言って鮎に似ていませんが---。多分、見た目の姿ではなく、鮎のように縄張りを持つからでしょう。アイナメは、魚偏に“六九”と表記する場合もあります。実際にそんな漢字は無いので、紙に書いて下さい、分りますか。なぜ魚偏に“六九“と書いてアイナメと読むのか。ここはアラビア数字で”69“と書いた方が良いですね。これ以上は説明出ません』
この瞬間だけは、彼の眼は笑っていた。

『しかし最近は養殖モノが多くなった。やはり鮎は天然モノでなければ?-。ではどこで見分けるか。天然モノには黄色の斑があり、そして顔付きが違います』
天然モノは鼻ペチャが多いそうだ。

話は尽きそうにも無い。

改めて彼の顔を覗きこむと、鼻ペチャだが、帽子に隠れていた彼の眼は、まるで魚のようにまん丸でキラキラと輝いていた。


河豚が美味い季節

2012年11月28日 | 魚釣り・魚

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                                                         (報国寺/鎌倉)
魚は誰がどんな能書きを垂れようと、獲りたてを漁師の浜小屋で、潮風を浴びながら食するのが一番美味い。
河豚も例外ではないと思っていた。

臼杵を訪ねた、河豚を食べに。気配りが見事な従弟夫妻に連れられて。
先ず城下町を散策した。臼杵城の真下に辻と呼ばれる広場が残り、街路が放射線状に延びている。他の城下町には無い近世城下町の町割と街路が良く残っている。昔の建築物も残されているだけでなく、天保の改革や西南戦争など日本の近世史にも度々登場し、歴史好きには魅力ある街だ。予てより観たかった石仏群もある。

旦那が手料理で河豚鍋を造ったが、どうにも心細い。そこに乞食が来たので『どうだ、食べるか?』と分けてやる。そして暫くして乞食の様子を見に行かせると、乞食はピンピンしている。そこで旦那も安心して食べ始めた。暫くして乞食が又やって来る。
『もう河豚はないぞ!』と言えば、乞食が
『こちらの旦那さんも食べられましたか?』
『ああ、食べられた---』
『どうもありませんか?』
『別に---』
『では私もこれから頂きます』。
ご存知、落語の「河豚鍋」である。乞食のほうが一枚上手であった。

こんな落語を思い出しながら席に着いた。地元の関鯖と関鯵を堪能した後、河豚の登場だ。

運ばれて来た大皿の盛り付けを見た瞬間に驚いた。刺身“てっさ”の身が厚い。今までどの地域で、又どんな料理屋でも“てっさ”と言えば、盛り付ける皿の模様が透けて見えるほど薄く切ってあった。口にした事の無い厚さだ。噛み締めるほど弾力感と独特の濃い旨みが口中に広がる。

大皿には地元名産のカボスが何個も置いてある。噛むほどに、カボスの酸味に調和して、(てっさ)に甘味が加わってくる。飲み物も焼酎では物足りなくなった。ヒレ酒を注文した。香ばしさも加わり、杯も進んだ。

九州では「ふぐ通は臼杵で食する」と言う。また全国のふぐ通が高い運賃を払ってまでも、わざわざ臼杵まで河豚を食べに来る理由も頷けた。
臼杵の河豚は、他の地域に比べ一枚も二枚も上手であった。


トビウオの先導

2012年08月02日 | 魚釣り・魚

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                            (葉山沖)

海原は開放感が抜群だ。

猛暑予報の中、陽が昇ると同時に出港し、釣りポイントの城ヶ島の南辺りに向かう。今日の狙いは鯵だ。

三浦半島に沿って船は南へ走る。風も無く波も無い。まるでどこか高原の広い湖を走っているように海面は穏やかだ。
気温の急激な上昇のためだろう、遠く半島には一面に靄が掛かり、浮いている孤島のようだ。逆光になった半島の海岸沿いに点在している建物も、まるでサン・マロ湾上に浮かぶ小島に築かれた修道院のモン・サン=ミシェルのような雰囲気でシルエットになり、靄の中に浮かび上がっている。遥か正面には小さく伊豆大島も目に入ってきた。
船の進行方向を眺めていると、時折トビウオが近づく船を導くかのように斜め前方に飛び去っていく。水を分けて20ノットで進む船体の先頭からは飛沫が左右にほとばしり、右側の飛沫には小さな虹が立ち、すぐ消えては、またすぐ立っている。まるで昼間の花火みたいだ。

日中になればこの海域はヨットやクルーザーで賑やかに彩られる。

潮の流れが極端に早い。150gの錘を付けているのに、横流しに仕掛けと一緒に潮の流れに持って行かれる。海底が掴み難い、電動リールの糸は船長が言う水深よりも50%以上も多く出て行く。やっと海底に着いてもすぐ錘は浮き上がってしまっているようだ。タナが取れない。

悪戦苦闘しながら、用意した二本の飲料水が空になる頃、黒い背びれを水面に出した二頭のイルカが遊泳しているかのようにユックリと船縁近くを湾内方向へ通って行った。

船長は言う。
『この時期、速い潮流が相模湾内に流れ込んでくる。この速い流れに乗って様々な魚達もやって来る。イナダやカツオ、更にワラサ、メジマグロなどが』と。

この流れを待っていた漁業関係者は多い。

ここには今日、狙った釣果がボウズだった自分がいる。
しかし心は十分に満たされ、生きている実感に包まれている。


全力を込める

2011年11月07日 | 魚釣り・魚

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やっと秋らしくなったのか、早朝の港に吹き込む風が思わず身震いさせた。

海水温度が例年より高く、思うようには獲れないと日頃から愚痴ってた“せいちゃん”の顔に今日は笑みが浮かんでいる。
浜に引き上げられた舟に積まれた網から、掛かった魚を手際良く一匹づつ外す手先を見ていると、実に様々な魚がいる。まるで小さな水族館だ。

“せいちゃん”の今日の本命はカサゴだ。
本命の他にメバルもいる、コハダやメジナも混じっている。中には歓迎されない魚もいる。体長50cmぐらいの可愛いサメやアンコウに似たシビレ、この生き物は素手で触ると手首あたりまで電流が走るそうだ。
網に掛かっているのは魚だけではない。サザエの空殻や海草の屑も無数に絡まっている。ヒトデもいる。

思わず目を見張る魚が顔を覗かせた。カトッポだ。オチョボ口で愛嬌のある目が自分を見ている。
この浜でも“達人”は器用に調理するが、自分は出来ない。身は無毒だが体表から毒を出す。やはり下手な調理は危ない。
故郷に近い長崎・五島でこの料理を食べた事がある。このハコフグは全身を硬い甲羅に包まれ、形は箱状になっている。釣りでは滅多にお目にかかることは無い。
しかし食べると最高に美味い。焼いて腹部の甲羅を外して、味噌とミリンと合わせたものを腹に詰めて焼く。繊維質の身は味噌と良く絡む。一緒に葱や生姜も合えると又一段と美味くなる。又刺身にしても透明感のある白身は甘味が強く美味い。

カサゴも箱にイッパイになった。

自分は魚の顔を見るのが好きだ。いつでもビックリしたように、全力を込めた目でモノを見る。魚の顔ほど真面目で真剣なものは、他には見られない。


魚を釣る魚

2011年02月28日 | 魚釣り・魚

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鎌倉駅に向かうバスに乗ったら、途中でテープの音声が社内に流れた。
「警察からのお知らせです。『振り込んで』と言われてもすぐには振り込まないで、本人確認をしましょう」それとなく車内を見渡すと高齢者が多い。相変わらず振込め詐欺が続いているようだが、関係者と身内以外は誰も驚かないほど日常の事件になってしまった。

この放送を聞いて今朝、浜で見た珍しい魚を思い出した。“せいちゃん”の網に掛かっていた「カエルアンコウ」の事を。
ユニークな風貌で、肉厚な胸ビレと腹ビレを手足のように器用に使って海底を歩き回り、泳ぎは下手で体長10センチほど。
最大の特徴は頭から生えた釣竿のような棒の先端に“エスカ”と呼ばれる白っぽくてゴカイに似た疑似餌をつけ、この疑似餌をクネクネとリアルに動かし小魚をおびき寄せ、まるで釣るように大きな口を開けて獲物を丸飲みすると言う。

魚のくせに魚を釣るという「カエルアンコウ」。
人間のくせに人間を釣る「振り込め詐欺」。

「カエルアンコウ」は、生まれ付きの本能であり、持って生まれたその特殊機能を生かさなければ生きていけない。人間には、人間を釣らなくても生きる術は他にもある。「カエルアンコウ」の真似などしなくても生きられる。第一「カエルアンコウ」に失礼だ。

写真に撮った後、「カエルアンコウ」を両手で包むように静かに海に帰すと、より深い所を目指し一歩一歩と歩き出した。


海鼠(なまこ)

2011年01月26日 | 魚釣り・魚

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今、浜では海鼠漁の最盛期だ。

今朝も獲れた桶一杯の海鼠を眺めていると、見た目にグロテスクな、こんなモノを人は良く食べるなと感心する。
古くは単に「こ」と呼ばれていた。干したモノを「干しこ」とか「いりこ」というのに対して、「生こ」とされたらしい。
漢字の「海鼠」の字は、夜になると這いずり回り、又その後ろ姿が鼠に似ていることから当てられたと言う。
三月ごろから夏の間は、餌にする海藻、貝類を捕るのを止め深場に落ちる。そして水温が16度以下になる冬に活発に活動すると言う。
また海鼠は危険を感じると内臓を出して天敵の目をくらますらしい。その内臓は再生することが出来るとも聞いた。

夏目漱石は『我輩は猫である』中でこう書いている。
「始めて海鼠を食ひ出だせる人はその胆力に於て敬すべし、始めて河豚(ふぐ)を喫せる漢はその勇気に於いて重んずべし。海鼠を食えるものは親鸞の再来にして、河豚を喫せるものは日蓮の分身なり」
何でこんなところに親鸞や日蓮が出てくるのか分からないが、しかし初めて海鼠を口にした奴は確かに偉いと思う。

自分の郷里では、正月のお節料理の大皿が幾つも並んだお膳の真ん中に、海鼠の切り身を三杯酢にした大きな器が据えられ、正月料理の定番だった。また自分のオヤジは、自分で捌いた海鼠の内臓の塩辛を「このわた」、卵巣の塩辛を「このこ」と、来客に最上の珍味だよと自慢げに説明しながら、酒を口に運んでいた。

自分は、捌いたものを熱湯に潜らせ、身を多少柔らかくして食するのが好きだ。
しかし海鼠を食べた事が無いと言う人は多い。

海鼠に限らず食べ物は、その人が本当に美味しいと思うようにして食べたら良い。通ぶって美味しいものを不味く食べるのは愚かな事だ。


カワハギの肝合え

2010年12月14日 | 魚釣り・魚

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酒が美味い季節になった。
肴は自分が釣った魚を自分で捌き、自分の好みの食べ方でイッパイやるのが良い。しかし、この時は酒の相手が欲しくなる。釣り上げた魚の自慢話でもしたくなる。

やはり酒が美味いと感じるのは、プロが料理した肴が杯の隣にある時だ。場所は夜の看板が立ち並ぶ路地の小料理屋だ。
カウンターだけの店で、一人で椅子に座ると、客の顔を見るだけで、何も聞かず好みの素材を、今日の体調に合わせて調理してくれる板前が居て、傍らには真っ白い割烹着を来た女将が居る。話題は旬の魚や野菜に関する事だけ。このひと時は、現在の自分にとっては医師にも勝る存在だ。

今が旬の“カワハギの肝和え”を口にしながら、静かに杯を運ぶ。
刺身の薄作りに肝のコッテリとした甘さが絡み、口中に静かに広がってゆく。その例え様の無い独特の甘さが次の酒を呼ぶ。
お銚子が三本目ぐらいになった頃、「恋とお酒は薄めてはダメよ」って、どこからか聞こえてきそうな錯覚を覚えながら、又杯を傾ける。

男はいくつになっても夢を見る。


挑戦者の色か

2010年08月06日 | 魚釣り・魚

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釣り船に乗った
小坪港を出て10分ぐらい走った葉山の沖あたりで、隣に立って海を眺めていた、釣スタイルの決まっている青年が「コバルトブルーだ、綺麗だな」と誰に言うともなく呟いている。その声に導かれ、船べりから身を乗り出すように、走る船のすぐ横を見下ろすと、確かに朝陽を受けた海は普通の青ではない、もっと何倍も薄い青い海の色だ。空の青が映っているのでもない。
この辺りは、深さも無く、海底は砂地だ。

青と言うと先月「青の洞窟」に入ってみた。
ナポリから船で40分、カプリ島に着く。大きくは無い港には豪華なヨットやクルーザーが舳先を並べ停泊していた。
カプリ島の周囲の多くは断崖絶壁であり、そこには海食洞が散在している。「青の洞窟」は、そのうちの一つだそうだ

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この洞窟には、洞窟のある入り江から手漕ぎの小船に乗り替えて入って行く。入り口は狭く、半ば水中に埋もれている。船頭は入り口に張られた鎖を引いて小船を洞窟内へと進めるが、その際に乗客は頭と体を船底に沈めるないと頭をぶっつけてしまう。天候や波の状態により、進入不可能である場合も多いとか。

洞窟内に入ると外からは予想もできなかった、かなり広い空間が広がっていた。洞窟の入り口から日光が差し込み、透明度の高い海水をつきぬけて海底で反射した光が暗い洞窟内の海水面から抜け、それが海底からライトアップされたような効果となり、入り口付近の海水を青い光で満たし、洞窟全体がクリスタルブルーに染まっていた。神秘的な雰囲気だ。暗い洞窟の天井にもその青さが写っていた。

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「青の洞窟」は沖縄のダイビングポイントとして有名な恩納村真栄田岬で潜った経験を持つが、そこには様々な魚達が乱舞していた。
カプリ島の「青の洞窟」にも潜ってみたいと言う衝動に駆られた、海中で青い光りの帯の中に身を委ねてみたいと思った。
しかしダイビングは禁止されていた。

青色に接すると気持ちが妙な騒ぎ方をする。
ボクシングの世界では青コーナーには挑戦者が控える。チャンピオンは常に赤コーナーだ。
ビジネス現役時代からの習慣がいまだに心の片隅に残っているのか。

釣果は狙ったカイワリを始めて釣り上げた、40cmだった。 船長がこのサイズのカイワリは滅多に目にしない、記念にとTシャツを頂いた、釣宿のネーム入りだった。
カイワリは刺身にして食した。シットリとした旨み味が十分で、シマアジよりも美味かった。
気がついたら白ワインが一本、空になっていた。


その手は食わぬ

2010年06月18日 | 魚釣り・魚

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窓から見える目の前の海面には、海底は岩場であろう部分には空きスペースがないほどに蛸(タコ)網が設置されている。この漁師町でも蛸漁が最盛だ。これまで近場の漁の中心だったサザエ漁は、これから二ケ月間は資源保護のため休漁となる。 

日本人は蛸が好きだ、世界の蛸消費量の約6割を日本が占めると言う。

かつてイギリスでは「悪魔の魚 devilfish」などと呼んで、伝統的に殆ど全く食用にはされなかった。しかし地中海沿岸諸国では古来、蛸は食用であり、身近な存在であったらしい。お隣の韓国では日常的な食材である。特に、イイダコを生きたままぶつ切りにし、塩と胡麻油および胡麻と和えて踊り食いにするサンナクチは、上手に口を動かさないとイイダコの吸盤が咽喉に張り付いてチョットしたパニックを起こしてしまった経験がある。その時は張り付いた吸盤を剥がすため急いでお酒を咽喉に流し込んだ。だからサンナクチを食べるときは、いつも酔いが早い。

もっとも日本人でも関東人と関西人とでは蛸の食い方が違う。関東人は正月に酢蛸にして食べるのが粋だと思っている節がある。関西人は夏に刺身や、煮て食べるのが普通だ。実際に蛸が美味いのは夏だ。

頭が大きく、複数の吸盤が付いた8本の「足」を持つのが蛸だと思っていた。

しかし、一般に「」と呼んでいる部分は、学術書などでは「(触腕)」と表現されるし、英語でも「arm(腕)」と呼ぶらしい。

ジョークを思い出す。

タコが海岸で昼寝をしていた。そこへ猫がやって来て、蛸の足をご馳走になる。鈍感な蛸で七本の足が食われるまで眼を醒まさない。残り一本になった時、慌てて気が付いた蛸は陸上では猫に敵わないので海に飛び込み猫に向って残りの一本で「おいで、おいで」をした。猫を海に引きずり込んで、やっつけてやろうとした。

しかし猫は言った、「その手は食わぬ」。