海側生活

「今さら」ではなく「今から」

”時”は人に無関心

2016年08月28日 | 感じるまま

(浄妙寺/鎌倉)
チャンネルをオリンピックに回すと、思わず新体操に寝不足気味の眼が釘付けになった。

カラフルなレオタードに先ず気が惹かれた。それに演技者五人がまるで測り揃えたかのように細身の身体で手足が長い。リボンやボールなどの手具を使いながら音楽に合わせて、13m四方のフロアマットで演技を行い、美を競っている。

相次ぎメダルを取った柔道やレスリングを見ていた時間が長かったためか、新体操はユニホームの色や選手のプロポーション等の明らかな違いに自分の眼が戸惑っている。2分30秒の演技が終わった時、やはりこの欧州のチームは人種が違うのだ、日本人にはあり得ない身体特徴を持っていると思った。日本人はどんな芸術性が高い演技を発揮しても敵わない競技だと痛感した。しかし日本でも選手選抜の際には、身体能力だけではなくプロポーションも審査基準になっているらしい。
以前聞いたこともある。クラシックバレーの世界でも、子供をスクールに入れる際、著名な伝統あるスクールでは子供の面接の他、当然として母親との面接も行い、母親の現在のプロポーションなどを観察し、どんなDNAを持ち合わせ、どんな生活環境などか等を推し測るらしい。

演技が終わるとスタンドにTVカメラが向いた。同時に「スタンドのお母さんも大喜びです」とすかさずアナウンスが入る。映し出された画面に、一瞬我が目を疑った。TVカメラの捉え間違いではないかとも疑った。そこには演技者とは似ても似つかわしくない、柔道で言うなら最重量級の逞しいオバサンが立ち上がり、大きな胸や腹を左右上下に波打たせながら国旗を振りかざし何やら大声で叫んでいる。

この演技者の将来を見た思いがした。この演技者がタイムマシーンで瞬間に20年後にタイムスリップすれば、お母さんみたいに変化するのか。
現在の美はどこに行ってしまうのだろう。

改めて考える。
“時”は人に無関心で、人は“時”に無関心。“時”が人のために止まることはないと。

重ねた手

2016年08月17日 | 感じるまま

(NIGHT WAVE/逗子海岸)
リオ・オリンピックで日本のメダルダッシュが続いた。
競技種目の開催スケジュールが、日本のお家芸の柔道が開会式翌日から始まったためかもしれない。

柔道は選手が会場に上がる前に、コーチが選手の背中をドンと叩いて送り出す。水泳のリレーは選手同士が肩を組む。バレーボールでは選手が輪になる。こんな光景を何度も目にするたびに、ふと先日のテレビで流れたあるシーンを思い起こさせた。
それは4年後の東京オリンピックに関して、当選したばかりの東京都知事と関係機関等の四人が会談後に記者会見をした。
これから開催までの四年足らずの間に東京の街は、交通網を始めインターネット環境も劇的に変化するに違いない。しかし地球上のあらゆる地域から日本に来る人々に、どんなおもてなしで迎えるのか、今後競技場を始め多くの施設や建物が建設されるが、オリンピックが終わったらそれらの有効な利用計画はどうなっているのか。オリンピック開催に対し自分たちの使命感や夢、あるいは首都再生元年に位置付け、どんな計画が発表されるのかと期待してテレビに見入った。

そこで語られたのは開催に要する予算に関してのみで、まるで一時代前の会計係のような話だけだった。
そして四人は手を重ねあった。
重ねられた手を見て、つい思い出すのが子供の頃、トランプ遊びで似たような事をしたものだ。勝った者が叩き役で負け組が手を重ねる。一番負けた者が一番上で、二番目がその下と言った順に手を重ねる。一番下だからと言って安心は出来ない。叩き手がビシッと来る直前に上の手が逃げると、その下の手が叩かれる。全員が逃げると叩き手は空を切って痛い目に遭う。

四人の会見はいかにも意味深いシーンではあったが、使命感や夢は無いが、トランプ遊びの時のように、手を重ねつつ相手のイキを計っている。叩き手はわざとらしい手ぶりをしてみせ、受けての方もヤバイと思えばサッと手を引く。その用意は抜かりがない。


月見草

2016年08月08日 | 思い出した

(光明寺/鎌倉)
月見草を一度も目にしたことがない。

月見草と言えば「富士には月見草が良く似合う」といった、太宰治の言葉を思い出す。
読み返すと、太宰は『富岳百景』の中で、「あんな俗な山、見たくもない」と富士山に反発し、そして「三七七八米の富士の山と立派に相対峙し、みじんも揺るがず、何というのか金剛力草とでも言いたいぐらい、けなげにすっと立っていたあの月見草はよかった」と書き、その後例の句を続けている。因習や伝統に反発した太宰らしい言葉だ。

月見草は白い花が夕方開いて翌朝には萎むと言う。だから月見草と言う名がある。
この儚い花を一度は目にしたくなった。
鎌倉の寺社には花の寺として名を馳せている寺が3寺ある。昨年から幾度となくそれらに足を運んでみたがどこの境内でも目にすることが出来なかった。誰に尋ねても花の名は皆が知っている。しかし、それがどこで咲くかは誰も知らない。

目に出来ない訳がやっと分かった。この花はメキシコ原産で江戸後期に日本に入ってきたが、弱い花で野生化しなかったらしい。だから現在見掛ることは無いと言う。現在一般的に月見草と呼ばれている花は待宵草だと言う。

待宵草と言えば竹下夢二の「待てど暮らせど 来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬそうな」を思い浮かべるが、植物学的名は待宵草。夢二は名前を間違ったのか、それともこの言葉を創作したのか。花は黄色だが夕刻に開き,翌朝しぼんで紅色になる。色の違いを無視すれば、確かに月見草に似ている。

翌朝には萎んでしまうこの花の儚さゆえか、『宵待草』や『月見草の歌』も、その後も多くの人に歌い継がれ、また多くの歌人等に詠まれ、人の心の奥深くにヒッソリと潜んでいる。

トンボが飛び交っている。
あどけない少年期に、何かの拍子に刷り込まれ、気持ちがザワザワするような記憶が、胸の奥深い引き出しから、フッと思いがけず顔を覗かせた。