海側生活

「今さら」ではなく「今から」

ウマさん

2013年12月29日 | 思い出した

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             (報国寺境内にて/鎌倉)

住所録を整理しながら、幼馴染みの友達を思い浮かべようとした。

あの「エロ山」や「ブタゴリラ」は、今どうしているのだろう。歳を重ねた分だけ、自分と同じくトシヨリになっているはずだ。しかし歳を重ねた「エロ山」や「ブタゴリラ」の顔が想像できない。思い浮かぶのは、ドロンコになって遊んでいた時の喜怒哀楽をむき出した当時の表情だけだ。

今、遊んでいる時でさえ、あだ名で呼び合う子供がいない。冬休みに入り、ボール遊びをしている近所の小学生達の会話に、苗字が池田なら「イケちゃん」、名前がカオリなら「カオリン」と言うあだ名はあっても、「エロ山」や「ブタゴリラ」など性格や容姿から付けられたあだ名は、ほとんど聞かれない。不思議に感じ、子供たちに聞くと『友達を「さん」付け、「君」付けで呼ばないと先生に怒られる』との事。
確かに、最近の小学校では友達を傷付けない「フワフワ言葉(優しい言葉)」を指導しているとも聞く。

自分のあだ名は「ウマさん」だった。きっと幼い頃より顔が長かったからだろう。誰が名付けたのか知る由もないが、いつの間にかその呼び方が通り名だった。友達をあだ名で呼び合うことで、友達との距離感がグッと近くなることが確かにあった。それに大人から見れば、イジメと思える事柄でも、子供同士の世界では、案外何でもないことも多い。

名前は忘れても、あだ名だけは覚えている友達が沢山いる。「オッサン」、「ザリガニ」、「ヒメ」、「セニュリータ」----。

新年の干支は午だ。自分は午年に生また「ウマさん」だ。

来る新年も「お・ち・あ・い・法則」で我が儘に迎えたい。

明るい新年をお迎え下さい。


サヨナラ国立

2013年12月06日 | 思い出した

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                         (国立競技場)

会場に着いたのは、キックオフの二時間も前だったのに、どの入口も四列の人の波が300メートルぐらい並んでいる。

周りの神宮外苑の街路樹も赤や黄に染まり、去りゆく秋を楽しんでいるみたいだ。目指す入口近くには、競技場内の狭いスペースで吹奏部が音合わせを行っている。懐かしい校歌や応援歌が耳に届く。

紫紺とエンジのジャージが文字通りぶつかり合う。この競技場では最後の試合になる伝統の一戦だ。
2020年の東京オリンピックに備え、建て替えも決まっている。数々の名勝負を生んだ競技場には、様々な世代の思い出がある。

卵型ですり鉢状の観客席に声援が渦巻く。「メイジ!」「ワセダ!」。少年からオジサンやオバサンまでが大声を張り上げる。ここにも引き継がれる伝統がある。
47000人の大歓声は、遠く過ぎ去った切なかった感情を、ふと思い出させてしまった。上京して間がない頃、ホームシックで遣り切れなくて、また寂しさを紛らわせたくて、幾度となく、ここの大観衆の中に身を置いた日々が頭をよぎった

やがてノーサイド。
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肩を落として 土をはらった
ゆるやかな冬の日の黄昏に
彼はもう二度と嗅ぐことのない風 深く吸った
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“さよなら国立セレモニー”と題し、両校の応援団によるエール交換の後、ユーミンの独唱の『ノーサイド』が響き渡った。大写しのスクリーを眺めると涙を拭っている選手もいる。

新しくなる国立競技場には、どんなドラマが待っているのだろう。

七年後の東京オリンピック時に、もしも観客席に座れたら、自分は何を感じ、何を思うだろう。