海側生活

「今さら」ではなく「今から」

タラの芽

2009年04月27日 | ちょっと一言

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裏山を何気なく見上げると、すっかり緑色が増した木々の中に、枯れ木のように見える枝の先だけ若葉が放射線状に目を吹いている木がある。それだけが、周りの緑に比べ色が濃く若葉が集中している。
目を凝らすとタラの木だ。あんなに多くのタラの木があったのかと思うぐらい山の斜面の随所にある。
潮風が強く当たるこの場所でも育つのか、強い植物だとつくづく感心する。

海側生活をしている者として、勝手な事を考えてしまう。

若者よ!行動を起こして欲しい。
先人達が、気が付き易いようにもっと声を大にして自分を主張して欲しい。
そしていろいろと提案して欲しい。
“タラの芽”みたいに、人が足を踏み入れ難い急傾斜地に勝手に自生し、枝や葉には人は近寄るなとばかりに棘を伸ばし、若芽のままジッとしているだけでは、やがて周りの濃くなった他の緑に埋没してしまうだろう。

それでは先人達は気が付き難い。
先人達は聞く耳や見る目は持っている、そしてその処方箋も知っている、又資金も持っている。

そしてこの混沌の時代をもっと明るくしようよ!
近い将来にささやかでも良い、夢を持ちやすい新しいビジネスの芽や生活環境を創ろうよ。
私のみならず大多数のオジサン達も、今を将来のために何とかしたいのだ、と思う。

いつの時代も若者が時代を創ってきた。

もっとも“タラの芽”は人の食用になるために自生しているわけではないが?-。


シラス

2009年04月20日 | 浜の移ろい

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私にとって春の訪れは、浜では作業の間、焚き火を必要とする時期の「ワカメ」を食する事だし、桜が咲き始める本格的な春では、やはり「シラス」を食することだ。

3cmぐらいの大きさの小魚だから、海の深いところには居ない。精々20m以下だ。
毎日獲れるとか限らない。漁だから天候に左右される事は当然だとして、その日の海水温度や潮の流れや説明の出来ない理由などで全く獲れない日もあれば、先ず先ずの日もあるらしい。

見ていると漁師達は、獲ってきたばかりの「シラス」を入れた箱を舟から下ろすと、素早く水洗いし、釜茹でし、冷まし、そして天日干しする。

「釜揚げシラス」は、料理の万能材料だ。
そのままシラス丼で十分にいけるし、大根おろしと合えても、また野菜と一緒に揚げても、夫々の食感が違い他の食材と比べて用途が広い。

「天日干しシラス」は、この地方の海沿いのパスタ店では麺に絡ませて調理される事も多い。

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中でも食して飽きないのは「生シラス」だ。
透き通った体からは考えられない口の中で広がるプチプチ感と、やや苦味のある味、それはまるで春の山菜の野芹を思い出させる。

街中のスーパーでは殆ど売っていない。
それは例えどんなに良いシラスでも水揚げされてから、時間がかかっては鮮度や味も落ちてしまうからだろう。

また一部地域では「シロウオ」のように、生きたままのシラスを酢醤油など調味料にくぐらせ、そのまま食べる「踊り食い」と呼ばれる食べ方もあるようだが私には経験が無い。

これからも海の側で季節を五感で感じながら、森羅万象に好奇心を全開させていきたい。


「静の舞」

2009年04月15日 | 鎌倉散策

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一度見たかった、「静の舞」を。

鶴岡八幡宮の仁大門を入ると舞殿の広場がある。舞殿は本宮への石段の前に建つ入母屋造りの建物だ。

源義経の愛妾だった静御前。頼朝に追撃された義経と吉野山で泣く泣く別れ、義経は東国へ、静は京に逃げる。しかし、静はすぐに捕らえられて鎌倉に連れてこられる。京の都で名高い白拍子である静の舞が見たいと言う政子の要望に、頼朝は何度も静に舞を披露するように命令。断り続けた静だったが、源家の繁栄を詣でるために鶴岡八幡宮に訪れた頼朝夫妻の前で、ついに舞うことを決心する。

 ♪吉野山 峰の白雪踏み分けて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
 
 ♪静や静 賤の小田巻 繰り返し 昔を今になすよしもがな

義経を想い悲しい別れを歌った静に、頼朝は激怒。しかし政子は、静の舞の華麗さと恋人を慕う素直な心に感動し、頼朝の怒りをおさめたと言う。

しかしこの事が頼朝の怒りをかい、四ヶ月後に生まれた義経との男子を由比ガ浜で失う悲劇が生まれた。

その後、静は京へ帰されたと「吾妻鏡」には、書かれている。しかし、その後の静の行方は伝説として各地に残っている。

800年以上前の出来事だけど人の本質は変わっていないのか、そんな風に感じる自分に進歩が無いのか。


進水式

2009年04月10日 | 浜の移ろい

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一年振りの新造船だ。

今日は日柄も良く進水式を迎えた。
オーナーにとっては待ちに待った誇らしく喜ばしい日に違いない。
新造船は“シラス”船だ。
岸壁に横付けされた船体の白さが今日の青い空に映えて眩いばかりだ。
お祝いで贈られたのであろう大漁旗が15本ぐらい船上で風に靡いている。

この浜の漁業関係者がお祝いのため総出の感がある。
関係者は勤務先を早退し、関係者の保育園児も早退して岸壁に集合している。

式典が始まった。
新造船のオーナー一家は、おじいちゃんと長男とまだ小学生の孫と三世代が船中で祝詞をあげている。
 
やがて新造船のこれからの航行安全と豊漁の祈願のため、関係者が乗船しこの漁港を出て、八大竜王に海上からのお参りだ。

30分ほどで港に戻り停泊すると、次はいよいよ恒例の蜜柑投げだ。
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オーナー一家は、両手一杯の蜜柑やお菓子などを、岸壁に待っていたお祝いに駆けつけたくれた人達約100人にめがけ思い切り投げ上げる。
お祝いの御裾分けだ、縁起物だ、我先に飛んでくる品に手を伸ばす。
参加者の皆には笑顔が弾けていた。

小学生のこの孫は漁師を、また漁業を継ぐのだろうか。

ともあれ明日から早速“シラス漁”に出船するに違いない。


友人からのメール⑦

2009年04月08日 | 最大の財産

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その後ご無沙汰しておりますがお元気で活躍のご様子,また逗子に事務所を移転され、新たな仕事に進んでおられ感心しております。


空気がきれいで、食べ物もおいしく 何よりも貴方の好きな海の横で、いつでも釣りができる環境はいいですね。


なるべく早い時期に釣りを兼ねてお邪魔したいです。
その節はよろしくお願いします
                                       
                      杉浦 


友人からのメール⑥

2009年04月07日 | 最大の財産

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おめでとうございます。

ついに実行しましたね。
思っていてもなかなか出来ないものです。

できれば今月中に行きたいのですが、なにかとヤボ用が重なっており今のところ日時を特定できません。
釣りなど兼ねて行かれれば幸せです。

ともあれ料理の腕だけは磨いておいてください。
では又。
                                宮本


友人からのメール⑤

2009年04月06日 | 最大の財産

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ご案内有難うございます。
逗子に引越しされ、羨ましいです。是非機会が有りましたら寄らせていただきます。

忙しい忙しいと言っているうちに65歳を過ぎてしました。
私の大學の友人達も殆ど会社を退職し、第二の人生を歩み始めています。
ふと今までの人生はどういうことであったのか、あと何年仕事が出来るのだろうかなどと考える事があります。
こんな事を考えながら多分若い時と同じように忙しい忙しいと言って仕事を続けて行くのだろうと思います。

遊びに寄らせていただきます。
お体をご自愛ください。
           阿部


友人からのメール④

2009年04月05日 | 最大の財産

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お久しぶりです。
大変ご無沙汰いたしております。
ご連絡ありがとうございます。

小坪にお引越しされたんですね。
覚えていますよ、家族で、港で皆さんが釣り上げた魚をご馳走になった時のこと。
息子たちのことを気遣って、近所のお店へ食べられそうなものを買いに
走っていかれる姿を。
その時に、貴方のやさしさを改めて感じたものでした。

貴方は、海が好きなんですね。それは、生まれ故郷の長崎が海に近いからでしょうか。
今度の春休みに、家族旅行で、長崎にゆきます。

その土産話を持って是非お伺いさせていただきます。
必ずご連絡いたします。
                                  加藤


友人からのメール③

2009年04月03日 | 最大の財産

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事務所移転おめでとうございます。


かねてからお考えの中にあった
構想を実現していかれる行動力には改めて感服します。

相模湾と富士山 いいですね!

空気もおいしいし目一杯最高に楽しんでください。

今後ともビジネスも遊びもお付き合い願います。

                             中村