海側生活

「今さら」ではなく「今から」

季節は気まぐれ

2010年12月27日 | 季節は巡る

X_015

冬の便りが方々から届く。
今年はいきなり猛暑が来て、春は無かったに等しかった。そして秋は短かったと言うより、いかにもそれらしい気候や雰囲気を味わえぬうちに、急に枯れ葉が風に舞い、今度はいきなり冬が来た感じだ。

師走の声を聞いてから、十一月までは多くの観光客で賑わっていた鎌倉の寺社境内も驚くほど人影がまばらになった。

約束したこの日はそぞろ寒く、おまけに雪が降り出しそうな空模様だし、鋭く肌を刺す追い風も吹いている。人もコートの襟を立て、身を包んで町を行く。
閑静な住宅地に入ると、どこからとも無く微かに甘い芳香がして足を停めた。金木犀かと思い、見回してもその姿は見られない。暫くして一段と低い所に、その芳香の源があるのに気が付いた。垣根の一部に柊(ひいらぎ)がまだその花をつけていた。
葉の縁には先が鋭い棘がある。葉の付け根に、枝を隠すような感じで小さな白い花を固まって咲かせている。
垣根越しに庭の向こうの屋敷を見ると、この位置が建物の北東に位置し表鬼門だと言う事が分かる。ここからは見えないが建物の向こう側の南西の裏鬼門には南天が植えてあるのだろう。古い習しを大事にしている人に会ってみたい、節分の夜には柊の枝に鰯の頭を刺して門戸に飾り、悪鬼を払うのだろうかなどと考えながら先を急いだ。

柊は老樹になると、葉の棘は次第に少なくなり、葉は丸くなると言う。
よく人は言う、人間も同じだと。
しかし、丸くなると言う事は自分らしさが無くなるという意味も持つ。 
全く丸くはなりたくない。自分らしい棘だけは残しておきたい。

今年も穏やかな年の瀬を迎える事が出来た。

※明るく楽しい新年をお迎え下さい.


満月の日だけオープンする

2010年12月20日 | 海側生活

Photo

今年最後の満月の日が来る、12月21日だ。
振り返れば今年は満月で始まった、元日が満月だった。

海側生活を始め、カメラを趣味にするようになって以来、森羅万象に好奇心を全開させて過ごしたが、改めて太陽と月にも興味を引かれるようになった。それらと動植物の生命との関わりや潮の満ち引きと人間の生活、さらに自分の行動パターンを振り返ってみると、天候に大きく左右されている事は当然だが、月の満ち欠けにも、結果として影響を受けているような気がする。

満月の時、月と太陽は地球を間において反対側にあり、日没頃に昇り、日の出頃に沈む。特に冬の満月は、夏の低く南の空を横切るのと違い、天高く位置する。このため他の季節と違って夜の間中14時間も青白く光る妖しい月を眺める事が出来る。だが今回は月が昇った時すでに部分月食に入っている。皆既は午後4時40分から午後5時53分までで、月食は午後7時1分に終わる。しかし予報では21日の天候は曇り、午後9時頃から雨が降ると言っている。

黒く赤い満月は見られないかも知れない。

先月、満月の日だけオープンすると言うワインバーに行ってみた。店のコンセプトに野次馬根性が騒いだ。
鎌倉駅から歩いて5分ぐらい、車も入れない細い路地の一角に小さな古ぼけたその店はあった。カウンターだけで椅子は無く、長机が一脚だけ置いてある。5人も入ればほど良い店内には20人ぐらいの先客が居る。肩が触れそうだ。
20代と30台の女性が多い。皆静かにグラスを傾けている。

雰囲気になれた頃、カウンターを占めている客達の顔を観た。何だか皆、気のせいか丸顔が多い。ムーンフェイスだ。
同行した女性二人を改めてジッと観た。やはりムーンフェイスだ。
二人は顔を見合わせ、「最近成長したンです」と、合唱するみたいに言葉が返ってきた。

自分はいささか酔った。満月のためか、店の雰囲気のためか、同行したパートナーのためかは未だに解らない。

しかし、この日は地球が太陽と月の両方から引っ張られている状態で、地域によっては海水の干満の差が6メートルも発生するほどの影響を受けると言う。人の身体には水分が70%も含まれているから、月の引力に人間が影響を受けても不思議ではないと思う。

12月21日は、もう一度足を運んでみよう。
自分の変化の程度を再確認したい。


カワハギの肝合え

2010年12月14日 | 魚釣り・魚

S_037

酒が美味い季節になった。
肴は自分が釣った魚を自分で捌き、自分の好みの食べ方でイッパイやるのが良い。しかし、この時は酒の相手が欲しくなる。釣り上げた魚の自慢話でもしたくなる。

やはり酒が美味いと感じるのは、プロが料理した肴が杯の隣にある時だ。場所は夜の看板が立ち並ぶ路地の小料理屋だ。
カウンターだけの店で、一人で椅子に座ると、客の顔を見るだけで、何も聞かず好みの素材を、今日の体調に合わせて調理してくれる板前が居て、傍らには真っ白い割烹着を来た女将が居る。話題は旬の魚や野菜に関する事だけ。このひと時は、現在の自分にとっては医師にも勝る存在だ。

今が旬の“カワハギの肝和え”を口にしながら、静かに杯を運ぶ。
刺身の薄作りに肝のコッテリとした甘さが絡み、口中に静かに広がってゆく。その例え様の無い独特の甘さが次の酒を呼ぶ。
お銚子が三本目ぐらいになった頃、「恋とお酒は薄めてはダメよ」って、どこからか聞こえてきそうな錯覚を覚えながら、又杯を傾ける。

男はいくつになっても夢を見る。


落葉に思い出を

2010年12月07日 | 思い出した

S_021

夜来の雨も上がり、小春日和に誘われ名残の紅葉を観に出掛けた。
獅子舞谷は、鎌倉では珍しく深い山間にある。

木の葉が一年の最後の輝きを見せる、それは色彩豊かに彩られた独特の景色。
ブナ林に入ると、辺りは一面黄色の世界、懐かしげなセピア色に染まる。
周りには人影は無い、音も無い。時折、聞こえるのは百舌の乾いた高い鳴き声と、枝から離れた乾いた葉が落ちながら、他の葉に触れる微かな音だけだ。

さらに歩を進めると、ふいに息を呑むほど美しい光景に出会った。
谷一面に絵の具箱をひっくり返したような色とりどりの景色が眼の前に広がった。
一色一色に自分だけの名前を付けたくなる。落ち葉のそれぞれの独特な色に 「自分の思い出」を付けてみた。
一枚の葉の中には様々な色がある。「赤」と話し言葉では曖昧な呼び方をするが、朱色(しゅいろ)、紅(くれない)、朱華色(はねずいろ)、洗朱(あらいしゅ)、茜色(あかねいろ)、緋赤(ひあか)、洋紅色(ようこうしょく)、臙脂色(えんじいろ)、紅梅色(こうばいいろ)等と和の世界にはあるそうだ。

Photo

全体に物憂げな風情を感じる臙脂色の葉には「人の名」を、鮮やかさに思わず眼を見張る緋赤の葉には「思い出」を付け始めた。色あいの違う落ち葉を手にする度に「人の名」や「思い出」が次から次へと、まるで落ち葉に文字が書かれているかのように浮かび上がってくる。

それらの人との出会いや出来事は、ずいぶん前の事で、自分は封印している積りだった。

やがて、名前を付けるのを止めた。
一つの思い出が次の思い出を呼び起こし、更に色あいの違う葉を見つけるのが難しくなった。

S_022

思えば、それらの出会いや経験は、全てが私の人生道場だった。今日の全ての土台になっている。

うかうかしているうちに今年も又、急ぎ足で過ぎていくのだろう。


風の強い日

2010年12月04日 | 海側生活

T_004_2

季節外れの低気圧の通過により強風が吹き、集中的に雨が降った。

早朝、窓から海を眺めると一面に白波が立っている。押し寄せる波が波消しブロックにぶつかり大きな飛沫を上げている。風に煽られた飛沫が、この六階の部屋まで運ばれ、窓を打ちつけ時折大きな音を立てる。

やがて雨は上がり、強い風だけが残った。こんな日は、いつもと違った何かが撮れるのではと期待しカメラを手にして外に出た。
風に向かったら身体を前に屈めないと足が前に出し難い。浜にも、浜通りにも人影は無い。猫だけが風を避け日溜りで欠伸をしている。
港内にも波が立ち、ブイだけが大きく揺れている。

犬を散歩させている知人の男性に出会った。彼は犬に引っ張られるように風に向かってユックリ楽しそうに歩いている。右手にリードを持ち、左手で帽子を押さえている。

後で聞くと鎌倉では材木座海岸から北へ竜巻が走った。駐車していた軽トラックが横倒しになった。また五所神社では大きな公孫樹が途中で折れ、それが銅板葺の本堂の屋根を貫通した。家屋の被害も240数軒に上ったらしい。

先ほどの犬との散歩帰りの男性に又出会った。彼は先ほどとは違って渋い顔をしている。彼の雰囲気が何かが違うと瞬間に思ったが、彼は「飛ばされちゃったよ---」と、頭に手をやった。そこには先ほどまで確かにあった帽子が、鬘(かつら)と共に無くなっていた。そこは妙に青白くモヤシを見る思いだった。
可笑しかったが笑うに笑えなかった。カメラを向けたが気の毒でシャッターは押さなかった。

振り返ると彼は心なしか肩を落とし、背を曲げて、ずっと俯いたまま歩いていた。
犬だけが、どこ吹く風って感じの足取りだった。