海側生活

「今さら」ではなく「今から」

雨を待つ

2017年06月24日 | 鎌倉散策

(安国論寺/鎌倉)
今年の紫陽花は路地や神社仏閣の境内でも、また鎌倉で紫陽花寺などと呼ばれている寺でも、つい触れたくなるほど惹かれる鮮やかさが無い。
このことを聞くとこれまで雨が少なかったからでしょうかと返事が返ってくる。

梅雨は今までどこに行っていたのか、行方不明になっていた訳ではないが、前線が沖縄あたりに留まり、なかなか北上してこなかった。空梅雨が続いていた。紫や白の花弁で鮮やかさを競う花菖蒲も、これまで引き立て役の雨の潤いが無く物足り気な風情が漂っていた。

紫陽花と言えば『高野聖』の、紫陽花を表現した文章を思い出し、読み返してみた。
泉鏡花は、明治39年から41年まで逗子・桜山に住み、神秘文学の傑作といわれる『春昼』、『春昼後刻』や、半目叙伝的な新派悲劇の代表的狂言として好評を博した『婦系図(おんなけいず)』を発表している。また鎌倉・妙長寺にも滞在していたと言う。

『高野聖』の若い僧は、一夜の宿を提供してくれた主の婦人の妖しさや甘美な柔らかさに惑わされつつも修行の身である立場を守る。婦人が辺りを見回せば『あたかも真昼のようで、月の光は開け拡げた家の内には、はらはらとさして、紫陽花の色は鮮麗(あざやか)に蒼い』。『高野聖』の主は慈悲と魔性を併せ持つ紫陽花の化身のような婦人であると表現されている。
この作品を発表する前年に、鏡花は赤坂芸者・桃太郎と知り合い、彼女の本名が母と同じ“すず”と聞き運命的な出会いを感じる。病気療養のため逗子に移った時は“すず”に同行を頼み、ともに暮らした。後に結婚する。
“すず”は鏡花を別世界に誘うような身のこなしと口調をもっていたらしい。

その語りの味わいや独特の文体で、妖怪世界がより効果的に表現されているとの評価がある。しかし自分は妖怪の分野はやはり得意ではない。

今週からの雨でやっと、そんな紫陽花に似合う季節がやって来る。
路地の生け垣や境内に梅雨の鬱としさをはねのけて咲き、仄かに蒼白い花の陰には女性の色香や魔性を感じさせてくれるだろうか。


初物

2017年06月16日 | 季節は巡る

(円覚寺)
行きつけの小料理店のカウンターに座るなり、オヤジが言う「初物が入っています、鮎です」。続けて「天然ものです」。

一箸入れたら塩焼の鮎は独特の香気を発している。初物には野菜や果物であれ心を和やかに落ち着かせる作用がある。

オヤジが聞いてくる。
「この鮎と言う漢字を使う別の魚を知っていますか?」考えつかない、記憶を総動員したが解らない。「鮎魚女とか鮎並と書きます」。漢字を見てやっと読めた、アイナメだ。何度もアイナメ釣りはしたことがあったのに漢字での表記は知らなかった。アイナメは煮魚が一番好きだが刺身でも美味い。しかしアイナメは、どこと言って鮎には似ていない。大きさも色も、ただ脂肪分が多い白身だ。
食べ終わる頃、勧めたビールを飲みながらオヤジが又聞いてくる。口元が気のせいかニヤけている。「アイナメは魚偏に”六九“とも表記するそうですよ」。カウンターの上に指でなぞりながら、言われた字を書いてみた。思い当たらなし見たことも無い。オヤジは一層ニヤけて「六九をアラビア数字で書いてください」。「69と」。-----これ以上は文字にするのは憚られる。

鮎の話だった。オヤジの話は続く。
鮎は年魚とも呼ばれ、寿命は一年です。もっともメスの中には越年するのも珍しくありません。人間に限らず鮎だって女性の方が長生きするのですね。五月ごろから海から川へと上り始め六月には自分の縄張りを持ちます。川石に付着した藻を食べて育つので独特の香気を発散します。
オヤジは暫く間を空けて、眼を細め、次の定休日には又、伊豆の狩野川に鮎釣りに出掛けます、と真顔になっていた。

さらに、鮎は獲ったらすぐに食べねばならない。たった一日活かしていてもワタが抜けてしまい、いわゆるワタ抜けになってしまいます。しかし最近養殖モノが多くなった。やはり鮎は天然ものでないと---。ではどこで見分けるか?天然ものには黄色の斑があり、そして顔つきが違う。また鼻ペチャが多い。

店を出る間際に、オヤジの次の定休日の翌日に来店の予約をしたのは言うまでもない。
もう一度、鼻ペチャに合うのが待ち遠しい。


捉えどころがない心

2017年06月05日 | 鎌倉散策

(茶筅供養/建長寺)

青空のもと、境内の一角で赤い火柱が高く上がった。

建長寺での茶筅供養のひとコマだ。一度は魂を込めたものを処分する方法として、鎮魂の意味で行われるのがお焚き上げだと言う。
火の力で浄化し、またその力を弱める目的でもお焚き上げは行われ、神社で頂くお札やお守りも買い替えの時は返納し、お焚き上げをしてもらうのでお馴染みだ。

建長寺は建長5年(1253年)鎌倉幕府の執権・北条時頼によって禅宗のみの寺院として創建されたわが国最初の禅寺だ。臨済宗は中国で禅を学んだ栄西によって日本にもたらされたものだ。禅は、戦が絶えなかった当時、いざとなれば常に命を投げ出す覚悟を持つ、質実剛健な鎌倉武士たちの心を捉えた。

栄西は臨済宗だけではなく『喫茶養生訓』でお茶の効用も日本に持ち込んでいた。1214年、時の将軍・源実朝が宿酔(二日酔い)で苦しんでいるとき一服の茶とともに本書を献じたと『吾妻鏡』は伝える。

自分は悟りの心境にはほど遠いが、“禅の求めるところは日常にあって、一人一人が与えられた役割を見詰めて暮らすことが大切”と言うことらしい。しかし心とは実に捉えどころがなく、容易には掴めないと説いている。
現代でも我々の日常には禅に由来する言葉や習慣が数多く残っている。例えば「挨拶」、修行中の弟子と師との問答「一挨一拶」(いちあいいっさつ)にならい、互いに言葉を掛け合うことを「挨拶」と呼ぶようになった。また禅の奥義は経典だけに頼らず、心を持って弟子に伝えられる「以心伝心」など。その他、茶の作法や床の間を花や水墨画で飾る習慣、明朝体の活字も禅宗と共に日本に広まった。

改めて心が表す感情にはどんな漢字があるのかWEBを覗いてみた。
漢字の部首が「心」で感情を表す漢字には
・忌 (いむ) ・忍 (しのぶ) ・怒 (いかる) ・恐 (おそれる) ・恥 (はじらう) ・恋 (こい) ・悲 (かなしい) ・愁 (うれえる) ・慕 (したう) ・憂 (うれえる)
また、心を表す「りっしんべん」の漢字では
・怪 (あやしむ) ・怖 (こわい) ・悔 (くやむ) ・恨 (うらむ) ・惜 (おしむ) ・悼 (いたむ) ・愉 (たのしむ) ・憎 (にくむ) ・憤 (いきどおる) ・懐 (なつかしむ) 等々があった。

僧から茶筅を手に受取り、次から次へとお焚き上げをする人々には、この瞬間どんな思いが去来しているのだろうかと考えた。
きっと自分だけの物語が宿っているに違いない、誰にも話はしないけど。