海側生活

「今さら」ではなく「今から」

「この命にありがとう」に曲が付いた

2009年06月29日 | 最大の財産

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無くてはならない“おじさん”から、5/2のブログを読み作曲し詩も付けたと連絡が有った。

「この命にありがとう」の楽譜を送ります。 
ブログのタイトルに合う詩を入れてみました。

 1、春の息吹が 肌にふれ                                
   生への喜び 湧いてくる
   目を閉じれば 母の思い出
   初めての鼓動 潮騒混じり 響き合う
   この命に この全てに
   ありがとう ありがとう

 2、夕暮れの海 穏やかに
   紫色に 写していく
   風のそよぎ 肌をなで
   一人の 世界にやすらぎ 佇み 生きている
   この命に この全てに
   ありがとう ありがとう 
   

一番の二行部分は、以前、自分が作った詩の一部分を持ってきて、Yさんの別稿「瞳を閉じれば」を加え、「この命に」に繋げるものとして、日頃感じていた「母の鼓動と潮騒」を表現してみました。
二番はブログの文章・言葉の中から採りました。

手前味噌だけど、ユックリとした中に大自然と一体となった穏やかな気持が、喜びと感謝を表現しているのではと、貴兄の意図を感じて満足しています。

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無くてはならない“おじさん”って凄い人だ、人は思いもよらぬ能力をもっているものだ。

私は暮れなずむ海を見る度に、ユッタリとしたこの歌をいつしか口ずさむようになった。

そして、有難う!と誰かとはなく呟くようになった。

今日の海面は、波打つ事を忘れたかのように穏やかだ。


夏が来た

2009年06月21日 | 海側生活

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日照時間が長くなったと気付く前に、とっくに夏が来ていた。
TVから流れてくる天気予報の「花粉情報」が無くなり、いつの間にか「紫外線情報」に変わっていた。
そして新型インフルエンザの情報も時々しかTVからは聞こえなくなった。

梅雨に入って、部屋に居ても遠くから太鼓を打つ音が聞こえてくる。潮風に混じって湿った音が聞こえてくる。
決して上手くない、音も全く揃っていない。
行って見ると浜にゴザを敷き座り、6~10歳ぐらいの子供達が10人ほど、教える大人が見守る中で、本物の太鼓や人数分は無い太鼓の代わりに古タイヤを叩き真剣な表情で叩いている。始めての子供をリードしているのは、本物の太鼓を打ち去年も山車に乗って祭りに参加した経験を持つ上級生の子だ。やがて慣れてきたら、次に鐘と笛が加わり囃子となるだろう。

祭り本番では小坪六町から山車が出るが、他の町に見っとも無い所だけは見せられない。
7/11から本番の、小坪町を上げての一週間続く須賀神社の「天王祭」まで練習に余念が無い。

先週の鎌倉・五所神社の「乱材祭」での神輿の海上御渡も見応えがあった。
また鎌倉八幡宮の柳原神池では、数年前から川の環境整備をして生育されていると言う蛍と放生された蛍が、神域の中をユックリと闇の中で神秘的な光を放っていた。
いつまでも見飽きる事はなかった。
自分はどうして蛍に引かれるのか。ここ10数年毎年この時期になると時間を創りどこかに蛍を見に出掛けている。

好きな夏は忙しくなる。
海には魚釣りやボート遊びに荒天候でない限り毎日でも出たい。
それに真夏の花火だ。
心奪われる蛍には、飛ぶ音や泣き声は全くないが、暑い季節は団扇片手に賑やかな音付きの花火も又楽しい。
花火にも自分を引き付ける何かが有る、それは何なのか。
言葉にまとまらない。

やがて行われる薪能でも改めて観たら答えは見つかるだろうか。


鈴虫が孵化した

2009年06月15日 | 海側生活

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鈴虫が孵化し、約一ヶ月が経とうとしている。
この「海側生活」での波の音に混じり、昨秋可愛い音色で生活に彩を添えてくれた鈴虫達の子供達だ。この半年間以上も卵のまま地中にあって、本格的な暖かさの訪れと共にやっとその姿を見せてくれた。
待っていた。
初めての鈴虫に飼い方が解らず、ずいぶんヤキモキさせられた。しかし秋の間その音色に夜毎癒された。
友人のTさんが手塩に何年も掛けお母さんと飼っていた一部を頂いた鈴虫だ。

目を凝らさないと見えない、細い白い糸みたいな触覚が左右に小さく揺れているのが見える。
30匹は居るようだ。慌ててTさんに、孵化した報告とこれからの飼い方を改めて教えてもらう。「そろそろ孵化する頃だけど、どうなったかな」とお母さんと話をしていたところだったとの事。
再度レクチャーを受けた後、生まれたての幼い命に先ず水分の補給だ。

私と一緒に「海側生活」を始める子供達よ。
君達はこれから脱皮を繰り返し、成虫になり、そして命尽きるまで約5ヶ月間の命だけど、その間、狭いかも知れないがこの箱の中で思い切って暴れて欲しい。また遊ぶ材料は考え付くだけ様々なモノを提供するから楽しんで暮らして欲しい。
秋になったら可愛いその音色を昨秋と同じように夜毎聞かせて欲しいと願う。
そして次へ命を継いで欲しい。

この鈴虫達は、私の最初の病気以前から、今日まで何かと散々お気遣いを頂いている、鈴虫の一字が付く苗字を持つステキな人と誕生の月日が一緒だ。
成虫になり、可愛い音色を奏でだす前に、ペアー5組にしてプレゼントしよう。

きっと、無くてはならない“おじさん”と一緒になって暖かく夢中になって接し、また楽しんで貰えるに違いない。

そして次へ命を継いで欲しい。

    


一杯の味噌汁

2009年06月05日 | 思い出した

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晴れた春の午後、“せいちゃん”の浜小屋で一杯の味噌汁をご馳走になった。

今朝網に掛かったばかりのカマスをぶつ切りにして無造作に鍋の中に放り込んである。ダシは何も使ってない。カマス独特の風味が格別で、ついお代わりした。

カマスは塩焼きしか食べたことがない自分にとって新鮮な驚きだったが、何だかいつか遠い日に口にしたことがあるような懐かしさを感じる味だった。

一杯の味噌汁が様々なことを思い出させてくれた。

味わいながら父の事を思い出してしまった。

結婚式に出られない病床の父のために妹は、自宅で“文金高島田”を身につけ、そして病院に向った。

「お父さん、ありがとう---

「キレイだよ、おめでとう---

後は各々が言葉になっていなかった。

短い会話の中にどんな思いが各々にあったのだろう。

私は式場で父に代って出席者に対してお礼の挨拶をした。

挨拶の間、父の仕事でもあり、長期間愛した機関車D51の走る音と汽笛が流れていた。

途中で言葉に詰まってしまった。

父がこの日使う予定だった車椅子と酸素ボンベは病室に残されたままだった。

父はこの日の一ヵ月半後に旅立った。

父のDNAを持っている自分は、あの時の父の姿に自分をダブらせてしまい、今の自分の生き様を改めて考えてしまった。

明日の味噌汁はどんな味を醸し出してくれるだろう。


“白キス”釣り

2009年06月02日 | 魚釣り・魚

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“ゆうちゃん”と早朝から白キス釣りに出かけた。
いつもは白キス釣りとなると釣り船に乗り船長の案内するポイントで釣り竿を垂らすか、自分が運転するモーターボートで好きなポイントで釣るかだが、今日はこの浜の漁師の手伝いを長い間している言わば準漁師の“ゆうちゃん”に 、“網仕事”がない日を利用して白キス釣りを改めて教えて貰う事になった。

各々が竿を二本ずつ手に持ち、仕掛けはポケットに入れ、発泡スチロールの箱に氷を詰めた。二人とも軽装だ。港から小さなボートを手で漕いで、港からそんなに遠くないポイントだ。このポイントは、この港を築いた時に航路として海底を掘り下げた所で砂地になっているらしい。
空は曇っていて昨夜からの東風がやや強く吹いている。オールを手にする“ゆうちゃん”もかなりシンドそうだ。

築地中央卸売市場では、全国から白キスは入荷されるが、ここ逗子・葉山のモノは最高級品質にランクされるという。
江戸前寿司の世界では白キスは光物に分類されるらしい。
身肉は白く透明で見た目には白身魚のように見えるが、生食すると淡白な身質ではなく皮目に独特の癖味がある。これを細切りにして刺身で食すると旨い。
しかし皮付きのまま握る江戸前寿司では生の状態で鮨に握ったりしない。必ず塩と酢で締めて癖味を除くそうだ。
単純に塩焼きにしてもこれまた美味い。また天麩羅にしても昆布締めにしても旨い。

おおよそ二時間釣り糸を垂れていた。20匹ほど形の良いのが上がった。

今晩の夕食のため早速三枚に身をおろし軽く塩を振り二時間ぐらい天日干ししよう。そしてなくてはならない“おじさん”から貰った七輪で軽く焙って食しよう。淡白さの中にホロリと薄っすら甘味さえも醸し出してくれるに違いない。
この時だけは焼酎ではなく日本酒が欲しくなる、また釣り談義を交わす友も欲しくなる。

今日という一日と「海側生活」に乾杯!