海側生活

「今さら」ではなく「今から」

西南西に進路をとる

2009年11月25日 | 魚釣り・魚

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久し振りのトローリング、狙うものは鰹だ。
小坪港から出港する際はいわば海路が決まっている。
240度・西南西に舵を取る。港内はユッタリとボートを走らせる。港を出たらややスピードを上げる。そのまま十字路と呼ばれる、葉山港の赤灯台と江ノ島を結ぶ線と交差するあたりまでは直進する。ここまで約1kmだ。丁度、正面に見える天城山を目指して舟を走らせる。
眼をやると厚い灰色の雲の小さな隙間から太陽の光が幾つもの筋になって、まるでシャワーのように天城山に降っている。

道がつづら折になって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい速さで麓から私を追ってきた
川端康成の「伊豆の踊り子」の書き出しが、口をついて出る。
自分が20歳台後半、この作品を初めて読んだ時、初恋物語とか孤独に悩む青年の淡い恋を描いたものだと気軽に捉え、夢中で繰り返し読んだ事を思い出す。

私たちを見つけ喜びで真裸のまま日の光の中に飛び出し、爪先きで背いっぱいに伸び上がるほどに子供なんだ。私は朗らかな喜びでことこと笑い続けた。頭がぬぐわれたように澄んで来た。微笑がいつまでもとまらなかった。」

踊り子は14歳と言う。数え年だろうから、実際は満では12,3歳だったろう。
大島釣行の折、波浮港のやや高台にある旧港屋旅館では、建物の造りや雰囲気をそのままにし、旅芸人一座が芸を披露した様子が再現されていたのを思い出す。

やがて、「私」は生身の人間同士の交流を通じて人の温かさを感じ、孤児根性から抜け出す事が出来るかも知れないと思うに至る。
作者は幼少期に身内を殆ど失っている。また、長く鎌倉に住居を構え、ここからも近い仕事場にしていた逗子のマンションで自らの命を絶った。どんな思いがあったのか、その理由は自分には知る由もない。

天城山に降っていた光のシャワーは、いつの間にか一帯の空と海面を紅く染め始めていた。
ボートを止め、釣り糸を巻き上げ脇に置き、波に揺られるまま天城山一帯に掛かる夕焼けと、いつも間にか自分は会話を楽しんでいた。
こんな時間を持てるなんて、海側生活に感謝!

自分の心は、すでに一切のストレスからも開放されている。

釣果は“ぼうず”だった。


仕事が面白くない

2009年11月19日 | ちょっと一言

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後輩が仕事の合間に立ち寄ってくれた。
彼は笑顔がステキで誰からも好かれている。几帳面で、指示に忠実で、行動が機敏で、報告が徹底している。業績はAクラスだ。
しかし仕事が面白くないと言う。

今なら自分は言える。

仕事とは嫌でもやらなければならない事であり、遊びとはしなくても良いのに敢えてする事だ、と。

自分が前職で部長だった頃、総務担当のある専務取締役が沖縄に一泊の出張予定に際し、仕事の完了後その場から3日間の休暇の申請をした。折角沖縄に行くから趣味の蝶々を求めて山に入りたいと言う事を社長に説明していた。
そのやり取りを偶然聞くとは無しに聞いた自分は、この銀行から来ている専務は変わっているな、えっ~蝶々か!と思った。
後に同席する機会があり「求めた蝶々は獲れましたか」と質問したら「ダメだった、時期が多少ズレていたらしい」と、自分の息子が嬉しかった出来事を話す時にするような表情での返事だった。そして「次は夏休みを利用して、又行く予定だ」と。

仕事を辞めた後の人生も長い。65歳まで勤めたとしても、その後20年はある。この20年を愉しく生きていくには“遊び”が不可欠だ。
だから今仕事が愉しい人も、愉しくない人も、若いうちからもっと遊んだほうが良い。
面白そうだなと思ったら取りあえずやってみる事。他人から見たらバカげた事でも、何かしら心に響くものがあれば、先ずは手を出してみる事だ。こうして、しなくても良い事をしたり、考えたりする事が遊び心を育て、一生付き合える自分だけの大切な“遊び”に出会えるかも知れない。

他人から不思議がられるような、しなくても良い事、つまり“遊び”に出会えられたら最高だ。
きっと人生は今よりもっと愉しくなる、と。

彼の思いに応えられたかどうかは解らない。


ヒラメの道案内

2009年11月12日 | 魚釣り・魚

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海を見下ろす葉山の高台に住む友人を訪ねた。
自分が撮った「葉山の海」の写真が思わぬ傑作に仕上がった、自分でも驚いている。早く見て欲しいとの事。
今日の絵画展行きを明日に延ばした。

聞いた最寄のバス停から歩き始めた。ユックリ歩いて15分ぐらいだと言う。途中から車は通れない狭い道になった。
やがて上り坂道は大きく二股に分かれた。FAXして貰った地図を広げる。しかし5万分の1ぐらいの地図に、1cmぐらいの
印で「ここ!」と示されているが、地図上にはもちろん道路の記載はない。
右に行くか、左に行くか!これが市街地だったら、違っていたとしても少し遠回りする程度だ。
しかし、ここは小高い山の中腹だ。どっちに進んでも同じ所に着くと言う事は、ここら辺りは先ず無い。

こんな時、何故だか「ヒラメ」と「カレイ」の見分け方を教わった時の事を思い出した。
簡単だよ。左ヒラメの右カレイ、と昔から言う。左に眼があるのが「ヒラメ」で、「カレイ」は右に眼がある。
しかし慣れないと魚の左と右をどう区別するかが難しい。
「ヒラメ」も「カレイ」も孵化した子魚の段階では眼は左右についていて普通の魚と変わらない。ところが「ヒラメ」の場合、孵化後3週間ぐらいで眼の移動が始まる。右眼が左に移るそうだ。右眼と言うのは背中から見て右側にある眼で、これが左側に移動して二つ並ぶ。この眼の移動が完了するのが孵化後36日後らしい。
「カレイ」は反対で、左眼が移動して右側に二つ並ぶ。
つまり、腹を下にして置いた場合、頭が左側にあるのがヒラメで、右に頭が向くのがカレイ。

「ヒラメ」が好きな自分は左の上り坂道を選んだ。

やがて上のほうから手を振りながら下りてくる人が来るなと思ったら、友人が迎えに出掛けてくれていた。

自分は今、現役の頃はできなかった道草、寄り道、回り道が何にも増して楽しい。


銀木犀の花言葉

2009年11月07日 | 思い出した

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懐かしい香りがフッと鼻を掠めた。
混雑する駅の改札口近くで擦れ違った人からなのか、衣装ケースから取り出したばかりのような匂いがした。
そう言えば今朝は急に冷え込んだ。

この匂いで別の香りを思い出した。
先々週、久し振りの伊万里での高校同窓会の後、自分のルーツを求めて自分が生まれた土地・佐世保へ行き、転校するまで過ごした、今は無い生家の跡や通学した小学校等へ行った。車中で様々な思い出に浸りながら、その後、唐津の今は亡き母の実家を訪ねたときの事だ。

ここに来るといつも何故だかホッとする。
門扉を開け、従兄弟夫婦が丹精込めた広い庭を通っている時、何処からともなく上品な香りが漂ってくる。思わず足を止めた。周りを眺めたが花らしいものが見当たらない。少し後戻りをして感じる臭覚を全開にしていたら、やがて香りの源が見つかった。
銀木犀だ。思わず鼻をその白い可愛い小さな花に近づけた。葉の鋸歯が鼻先に当たりチクリと痛い。
金木犀に比べ花の数も少なく、弱くて地味な甘い香りがする。

少年時代の様々な思い出が鼻をくすぐる。
佐世保から伊万里へ引越しの時、走る列車を途中で待ちうけ、聞き取れない何かを叫びながら追いかけて来て、姿が小さく見えなくなるまで手を振り続けたヨー君達の事。小川で魚獲りをして遊んでいたらガラスの破片で足を怪我したタッちゃんの事。遊びのルールを変えたと泣いて抗議したミヨちゃんが、いつまでも寄りかかって動こうとしなかった校庭の隅の大きな銀杏の木。

思わず銀木犀の花言葉を探してみた。
「初恋」、「気を引く」とある。素直に納得した。

気のせいか鼻先がいつまでもチクチクと痛いような気がした。






友人の独り言

2009年11月04日 | 海側生活

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箒雲が気持ち良さそうにボーと浮かんでいる。
こんな昼下り友人が私の「海側生活」を覗きに尋ねてきた。
彼女は私と同じ歳だが、私が見る限り同年の女性と比較しても10歳以上は若く見える。

「聞いてよ」と彼女は話し出した。
老いのトバ口ではいろいろと辛い目に遭う。自分がひがんでいるせいだろうけど---。

街頭でティッシュペーパーを貰えなくなった。あんなもの、貰わなくても良いが、顔を見て鼻先で引っ込められると良い気がしない。
またこんな事もあった。ウチの亭主は恋人時代には並んで歩いてくれていたのに、今やスタスタと私を置いてけぼりにするから、時々モモイロ嬢に引っかかる。(男の人は少々老いてもまだカモになるのね---)ある夕暮れ渋谷で、モモイロ嬢にすり寄られた亭主は、咄嗟に後ろからヨタヨタついて来る私を指差して言ったらしい、「間にあっています」。その時のその女の子の軽蔑の眼差しと言ったら、「へえ、アンタこんな婆さんで我慢しているの」と言う目で私を見て嘲笑したのだ、決してひがみではない。

それにデパートもひどい。
ユックリとブラブラと見せてくれるのがデパートの伝統ではなかったのか。
いくら売り上げが落ちているとは言え、呼び込みまがいの売り方は止めたほうが良い。客に付きまとい、口煩く者を言うとは何事かと思う。しかも一寸ステキな服に足を止めると「お嬢様のでございますか」と言う。そのくせ地下の食品売り場は半分ぐらいがセルフサービスになっていて、老いてモノが捜せないのに知らんぷりだ。
私は早く完全婆になりたい。

彼女は喋るだけ喋ると、長い時間我慢をしていた用を足したような表情をして帰って行った。

ここでは、最寄りの逗子駅・鎌倉駅前辺りでも、モモイロ嬢は居ないし、ティッシュペーパーも手に入らない。
「海側生活」は、あらゆる事が街とはかけ離れている。

西の空を見上げると一面はモモイロに染まっていた