海側生活

「今さら」ではなく「今から」

踊り場

2009年05月27日 | 鎌倉散策

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海は様々な表情を見せてくれる。
間もなくやってくる夏の間は人に押しつぶされてしまう海、その前の紫陽花が咲く頃の陽気の中で、居眠りをしながら何かを呟いているような海も自分は好きだ。

鎌倉との境になる小坪のはずれの海沿いの道を歩いた。
鎌倉時代に築かれた和賀江島を見ながら、この岬の切り立った山に登ると正覚寺があり、そこが住吉城址だ。

戦国時代初期ここは三浦半島を本拠とする三浦道寸の支城の一つだった。
関東動乱の最中、三浦氏はここを拠り所にして北条早雲と戦った。
この攻防戦は長く悲惨で、最後は三浦の本拠地・油壺の新井城の落城で終わる。

思いを馳せると、時には海に浮かんだ船にここから合図を送っただろうし、敵の動きを捉えた狼煙は岬から岬へと伝えられ、陸を走るより早く新井城に届いたに違いない。
「闘い」の日々を彷彿とさせる。

境内のあちこちに紫陽花が花を咲かせていた。
白だと思った紫陽花は薄水色の混じった色だった。白い花に空か海かが移ったような色だ。

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この跡地の裏側の高台に住吉神社がある。
かなり古い時期に造られたと思われる石造りの40段弱の階段は、傾斜が急で所々の踏み石は真ん中が窪んだり傾いたりしている。おまけに踏面が狭く、階段の手すりも無く「踊り場」も無い。かなり用心深く歩を進めないと足を踏み外しそうになる。小さな社の側に住吉城の説明板がヒッソリと立っている。

お参りした後、振り返ると木々の間から遠く江ノ島が覗いていた。

階段の上に立ち海を眺めながら、ふと「踊り場」の無い階段は怖いが「踊り場」の無い人生も又怖いと思った。

歴史散策・写真撮影や魚釣りだけでは「踊り場」にならない。
自分も「闘い」に似たものが欲しい。

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海を見たい

2009年05月22日 | 海いろいろ

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Nさんは「海が見たい」と、ここに度々来る。 
ソファーに座ったまま、ある時はベランダから目を海に向け、「海がこの前と違って優しい表情をしている」、「あら、富士山にいつの間にか雲がかかってしまった」、「  あのサーファー、上手だね」、「雲の形が、色が次々と変わる---」などと一人呟いている。
紀伊半島の海側で生まれ育った生い立ちが何かを呼び覚ましているのか。

思い起こせば私も入院の二日前に海側に行った。
これから長い間、病院のベッドで過ごす事を考えると無性に海を見たかった。
海を目前にすると迷いが吹っ切れるような気がした。
そして晴れた日にこの逗子の近くの磯に出掛けた。 
車から降りる間も無く、どこからともなく磯の香りが鼻に飛び込んで来た。
その香りにドキドキしながら磯に出ると、目の前にはキラキラと光る海がずっと遠くまで広がっていた。まるで「待っていたよ」と両手を広げて歓迎されているような気がした。
打ち寄せる波の音が耳に入ってくる。
波打ち際まで歩を進めて片手で海水に触れてみた、冷たい。
海中の小石の横に小さな蟹がユックリと動いている。
思わず両手で海水を掬い口にした、やっぱり塩辛く、紛れもなくそれは海水だった。
頭上からの陽光と、波の反射光が体全体に降り注いでくる。
 
まるで、ここでは時が止まっているようだった。

この潮風までも心に焼き付けて磯を後にした。
そして心を決め病院に向かった。

「海」はこんなにも人を引きつけてやまないのか。

Nさんは二度目の手術はしないが、今日も抗癌剤の副作用に心も痛めている。
近い内に又一緒に海を眺めそして触れ、砂浜を歩きながら幼子のように桜貝を手に取る機会を創りたい。


移転して一年が経った

2009年05月19日 | 海側生活

「お蔭様で元気に過ごしています」って、伝えたくて「海側生活」を始めてから一年経った今改めて挨拶状を出した。
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ご挨拶
・お蔭様で一年経ちました
思わぬ事が起こり、都市化から取り残された昔ながらの漁村の外れに移転し「海側生活」を始めて早一年経ちました。
日頃ご無沙汰ばかりで申し訳ありません。

・実力を発揮してください
現役の貴方には現在の業界の混沌はチャンスだと思います。
年内には、諸事情から判断し、モノが動き始めると私は考えます。

・ユッタリと過ごしました
魚釣りには十回、食べ歩きは二日に一度、ライブに四回、美術館に七回、小旅行に八回、----。
雨の日はこの地に縁の深い吾妻鏡、十六夜日記等の作品や徳富蘆花、泉鏡花、川端康  成等の作品等を読み耽っています。  晴れた日はカメラ片手に鎌倉・逗子・葉山の歴史散策をし、時には住職や関係者と話し込む時間もありました。
知らなかった、解らなかった事ばかりで、この一年は新鮮な驚きの連続でした。
ビジネスは少しだけしました。また、ブログを通じて多くの励ましやご意見等を頂き心に響いた一年でもありました。

・海側生活をもっと満喫したいと考えています
刻々と変化し五感を刺激してくれる太陽と海・空・風や富士山・江ノ島・この港や鳥・植物達に在るが儘に向い合いこれまで以上に森羅万象に好奇心を全開にして道草、寄り道をしながら生活をしたいと考えています。
そして日常の感じた儘を拙いけどブログで記していきたいと考えています。
限りがあるだろう時間を「今さら」ではなく「今から」の気持で大事にしたいと考えています。

・遊びにお出かけください
桜の開花と共に“シラス”も獲れ始めました。私も料理の種類も増え少しは腕も上がりました。
一期一会と言う言葉の持つ意味が解るような気がしてきた昨今です。
美味いイッパイを海の側でどうぞお付き合いください。
                                                                                                 2009年4月1日


欲が出てきた

2009年05月10日 | その時を覚悟した

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最初の口腔底癌の発見から三年半が過ぎた。
膵臓癌の発見から二年半、手術から二年と三ヶ月経った。
海側生活を始めてから、早一年も過ぎた。

人生の中締めを決意し、この海側で春・夏・秋・冬を一回ずつ経験し、そして又春を迎えている。

退院は再発との闘いだと自分に言い聞かせていたものの、日常生活において身体にチョットした変化があっても「来たか!再発か!」と、毎月の定期検査・診断の結果を、受験結果の発表を見る高校生の心境みたいに医師の一言一句に耳をそばだて、思わず身が引き締まってしまう。
人生の中締めをした一年前、あらゆる事を整理し、そして覚悟してこの海側生活を始めたではないか、と自分に言い聞かす。
しかしこの瞬間だけは決して慣れる事は無い。

診断によると特別の変化は無いと抑揚の無い声で医師は言う。
途端に重いバッグを下ろしたときのように肩が急に軽くなったような気がする。

この病気が発症した以上は高をくくるわけには行かない。
ファイティングポーズだけは、いつも取っておこう。
手を下げるわけにはいかない。

欲が出てきた、生きたくなった。
改めて為す事すべてに「今さら」ではなく「今から」と強く思う。


この命にありがとう

2009年05月02日 | 海側生活

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今日の海面は、波打つ事を忘れたかのように穏やかだ。   

夕暮れの静けさの中で、水平線がバラ色に染まり始めている。
それはたちまち富士山も伊豆半島もことごとく染めようとしている。
青い空にたなびいている雲も金色に橙色に真紅にと刻々移り変わっていく。
それらは海面を紫色に写していく。
生きている賑わいの陰で、人の終わりもこのように徐々に熟成されていくのだろうか---。

空気のそよぎが心地よく肌を撫でていく。
穏やかな波の音の中で、ただ一人だけの世界に佇んでいる。
このひと時の安らぎがもう少しの時間、自分を包んでいて欲しいと願う。

時々紅く染められた一羽の鳥が海面を掠めて舞い上がり夕陽の方に向かって吸い込まれて行く。
あんなふうに、夢幻の世界に吸い込まれるように終わりたいものだと思う。

こんな美しい風景の中にいると、どんな人生だって帳尻が合うような気がする。

こんな風景と自由な時間を持たせて貰えるなんて、
この命にありがとう、

  この全てにありがとう。