(都心の夜明け/病室から)
今日も酷暑!と天気予報がテレビから流れている。
お盆に入ってこの二週間、まるでどこかの避暑地に居るかの様な、全く暑さ知らずの環境に身を置いた。
室温は一日中26.5度に設定されていた。食事も三食共、定時にベッド側の小さなテーブルまで運ばれてくる。後片付けも必要が無い。また朝な夕なに二十歳代の女性が、優しそうな声で名前を呼びながら10回ぐらい部屋に入ってくる。
思えば手術から五年が経過した今年の初め頃から、皆と同じように活動し、食べ、飲み、寝てとごく普通の生活をしてきた。
身体内部にハンデがある事を全く意識しない生活をしてきた。自分の身体は消化器が普通ではなかったのだ。特にお酒には要注意だったのに---。
10階の病室の窓から外を見ると真っ白な入道雲がビル群の上を南から北へとユックリ流れている。しかし鴎やトンビの姿は見えない。鳴き声も聞こえてこない。
改めて海面がキラキラと光る海側生活に思いを馳せる。
検査の結果は驚くほど異常な数値が出ていた。瞬間考えた。もしこのままこれらの数値が正常に戻らなかったらと。
が、ほぼ正常に戻った。
今、改めて思う。
“その時”の覚悟は五年前に出来ていたが、その覚悟の地図の描き方が上手くなかったと。また変化した事も随分とある、
覚悟の地図を描き直したい。
これからは更に自分の「我がまま法則」に素直に従い、美味しいものを食べ、直感で全てを判断し、会いたい人に会い、行きたい所に行く、を徹底しよう。
この二週間は身体だけではなく、ココロまでまさに肝を冷やした時間だった。
人は繰り返し肝を冷やしながら、“その時”を迎えるのだろうか。
運命はいつも唐突に扉を叩くから。