海側生活

「今さら」ではなく「今から」

蛇の目でお迎え

2016年07月21日 | 季節は巡る

(浄妙寺/鎌倉)
久し振りのシトシト雨が朝から降り続いている。
そう言えば長雨に降り込められ、外出が面倒になり、部屋干し洗濯の下、気分も浮かないと言う事が殆ど無かった今年の梅雨だった。

以前ほど雨が嫌いではなくなった。鎌倉の中世の歴史を『吾妻鏡』を中心に学び始め、また『吾妻鏡』に関係の深い寺社の花々や建物に付帯する創作物などを取り込んだ風景写真を、プロに教わるようになってから、自然に雨を心待ちする気持ちさえも芽生えた。

雨がそぼ降る寺社の荘厳さを増した境内の雰囲気や参道、滴を全体にまとった紫陽花などの花々、雨に濡れ落ち着いた表情をして佇むお地蔵さんなど、シトシト雨が降る中で、その厳かさや可愛らしさは足を運ぶ度に新たな発見をする。とりわけ雨に濡れた銅葺屋根にはココロが和む。最初は美しい赤橙色の光沢を持った銅が長い歳月を経て暗褐色になりやがて緑色の緑青が生まれる。独特の和らいだ色合いを漂わす緑青は心まで穏やかにしてくれる。

100年近く前に創られた童謡の『あめあめふれふれ---♪』は弾む陽気な曲調で好きだ。小学校の終了時間に、子供用の傘を持って、母親が蛇の目傘でお迎えに—が、懐かしい。店の屋号の入った用達傘や地味な無地ではなく、蛇の目と言うところがオシャレで小粋な若い母親をイメージさせる。今では和傘を片手にとは、京都の花街あたりでしか見掛けられない。
しかし『蛇の目でお迎え、嬉しいな---♪』は、現代の子供には、母がナニで来るのか通じない。発音が似ているので「ジャガーでお迎え」だと、チョット嬉しいかもしれない。

それにしても今年も又、各地で集中豪雨の被害が相次いだ。特に九州地区ではここ一か月で局地的大雨に三度も見舞われた。
『ぴっちぴっち♪ちゃっぷちゃっぷ♪ランランラン♪』の気分など当然どこかに吹っ飛んでしまったに違いない、全く気の毒だ。

蝉の鳴き声も微かに聞こえ始めている、梅雨明けも近い。
そして夏本番を迎える。


解って欲しい

2016年07月13日 | 感じるまま

(浄智寺/鎌倉)
「男に非はない事を女は理解して欲しい。トイレを清潔に保ちたいのは私も同じです。しかし男にはソレをコントロール出来ない事もあるでしょう」と、ビールを咽喉に流し込みながら後輩の話は続く。
「今朝も妻から怒られました。妻と結婚して30年以上になりますが、もはや私は男らしく立って小便をすることは許されません。座ってしなければならないのです。特にリタイアー後、度々妻に叩き込まれました。夜中にトイレに立った妻がまた、小便で濡れた便座に腰かけたり、便座が上がったままの便器にはまり込んだりすれば、次は私は寝ている間に殺されるでしょう」

「男のソレは時々持ち主の意思とは別の意思を持つことがあるでしょう、そのことを女も理解すべきです。外で用を足す時も小便器が満員で、個室を使う事がありますが。いくら完璧に狙いを定めと思っても、便器から行き先がはみ出したり、ズボンを濡らしたり、雫を靴にたらしたりする事があります。本当にソレは信用が置けないのです」。

後輩の呟きに納得しながらも別の事に想いを馳せていた。
山の中で立木を的に小用を足すのは実にスカッとし気分が良かった。真っ白な雪の上に小便で文字を書くのも何とも例えようのない快感を覚えた。古代より狩猟が役割だった男は現代まで、そのDNAは受け継がれているから、動物のように壁や木の的に向かってしたがるのは自分の縄張りをマーキングする本能も働いている。

「家庭用トイレは男女が同じように使えるように設計されているはずですが、現実には男が不利益を被っている。私はそれが不満です。便座は常に上げておくというルールを提案したのですが妻は許してくれないのです」
更にボヤキは続く。
「いわゆる朝立ちも話をややこしくしますよね。その状態だと便器に正確に狙いを付けることが難しくなり、周りを濡らすような事態が発生します。例え便座に腰かけても、構造的な問題があります」。これは確かに男にしか理解できない事だ。
彼はひと雫もこぼさないようにするため上半身を折り曲げ、片手を前の壁に付き、便器に身体を近づける『空飛ぶスーパーマン』スタイルを編み出したと言う。

今のトイレを改造して二つに分けて、それぞれを男専用と女専用するしか解決法はないのか。
それとも----

明かりを消して

2016年07月04日 | 鎌倉散策

(雪ノ下教会/鎌倉)
女の話には仄めかしや暗示が多いが、それにはちゃんとした理由がある。
対立や不和、攻撃を避けて他人との関係を築いて円満にやっていくためには攻撃的にみられないように、そうした話し方が必要なのだ。また婉曲な話し方は調和を保とうとする女の気質にもピッタリ合っていると、離婚後30年以上にわたり、観光客に手作りの鎌倉らしいアクセサリーを販売している妙齢のオネェさんはおっしゃる。

遠回しな話し方も女同士でやっている分には全く問題が無いし、真意は充分に伝わる。しかし相手が男となると目も当てられないことになる。男は直接話法を使い、字面で解釈するからだ。構成も無ければ目的もハッキリとしない女の話に男は面食らうばかりで、つい「要するにどういう事?」とか「この話はどこに向かっているんだ?」と聞いてしまう。挙句に、この女は頭がおかしいのではと言わんばかりの態度で「その話はもう何度も聞いた」、「この話がいつまで続くんだ?」、「実りの少ない会話だな」などと言った暴言を吐く。

カウンターだけの小料理店で、オネェさんの日本酒のグラスが二杯目も終わる頃、「全く男はいくつになっても女が理解できないのだから」とおっしゃる。
「貴方も覚えておきなさい!」と、まるで幼子を諭すような口調で教えは続いた。
女が「私達○○する必要があるわ」と言う時の本音は「私は○○したいの」。また「あなたが決めることよ」と言う時は「私が良いと言えばだけどね」が本音だし、「怒っていないわよ」と言う時の本音は「怒っているに決まっているでしょ」。さらに「明かりを消して」と言う時の本音は「お腹もタルんできたのよ」など延々と続いた。

男を思いもよらず長い間やって来たが、一言一言が改めて腑に落ちた時間だった。何だかお酒の酔いも妙に早かった。

しかし、いくら教えを頂いても、今だに女性は不可解だ。理解しようと思う事自体が間違っているのか?