(大川内山/伊万里)
故郷は、いつ足を運んでも新しい何かに出会う。
区切りの年齢の高校の同窓会に出た。
前日に着き、旧友Iを訪ねた、『よぉっ』と、軽く手を上げ、まるで昨日会ったばかりのような態度だ。奥さん・Kは『いらっしゃい』とニッコリ、いつ会っても若い。大皿に盛られた玄界灘の魚の刺身に箸がすすむ。口の中に故郷が広がる。
墓参りの後、『どこか行きたい所はない?』とT,Iが聞く。
『大河内山に行こう』 。三方を山に囲まれ、山水画にも似た切り立つ大屏風奇岩の景観が目に飛び込んでくる。江戸時代の廃藩置県までの約200年間近く鍋島藩の御用窯が置かれ、世界の至宝・鍋島とも呼ばれた。そして、その伝統や技法が現在の伊万里焼にと繋がっていると記憶が蘇ってくる。
秋の穏やかな陽を浴びながら石畳の坂道を歩いた。一軒の窯元に飛び込んだ。楽焼をした。身内が健康サロンを開業した、その成功を祈念して「Congratulations!」と描いた。持ち慣れない細い柔らかな筆先に上手くは描けなかった。
T,Iは側に座り何も言わない。黙って見ていた。
窯元が立ち並ぶ町外れの権現岳神社にお参りしようという事になった。清水を汲みに列を成している人たちを横目にしながら階段を上り始めた。急な階段だ。20~30段段毎に設けてある踊り場を幾つか過ぎる頃、膝が笑い始めた。足を停め、来た道を振り返ると改めて急な階段だとわかる。思わず手摺を握り締めた。ふとIと共にコートや野山を、時間を忘れ走り回ったバスケット少年時代の体力や思い出が鮮やかに蘇る。
やがて踊り場に差し掛かる度に足を止めた。その踊り場が、これまで自分が歩いてきた道の10年毎の区切りのように思えてきた。
息を切らしながら自分の30代、40代、50代更に60代と追想してしまった。
追想も終わりかけた頃、400段近い急な石段を上りきった。そこからは遥か彼方に少年時代には無かった伊万里湾大橋も見渡せた。
そそり立つ岩壁の中腹に、東西に貫通した岩穴があり、その中に鎮座する神社にお参りの後、後方の崖に目を向けると、ある一点だけが真っ赤に燃えていた。ハゼノ木だ。
人が近寄れない無人の岸壁を見て賞賛する人もいないのに、いつも同じように紅葉すると思うと哀しい。
多感な少年時代をすごした故郷に、こんなにも厳かで、風光明媚なところがあるとは知らなかった。
T,Iは限られた時間を自由に過ごさせてくれる。
別れ際にIは『じゃ元気で』と言葉は少ない。
友を想う事は楽しい。文字に書き表すよりは、一人で想っている方が更に楽しい。T,Iが居るから、又故郷に足を運びたくなる。
変わらない人の情けも身に沁みる季節になった。