海側生活

「今さら」ではなく「今から」

閉じたままのリンドウ

2010年10月29日 | 思い出した

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竜胆(りんどう)の花は、日光を受けると開き、夜は閉じるそうだ。雨や曇りの日は閉じたまま小さく萎んでいる。   

鎌倉・東慶寺に観に出掛けた。
昨日東京にも木枯らし一番が吹いた翌日とあってか、日差しもあるが空気が冷たい。境内は人影もほとんど無い。
竜胆は元来、山野に自生する花だそうだ。ここの竜胆は真っ直ぐ上に伸びる見慣れた園芸用の花では無く、低く地を這うように蔓が伸びている。まさに野草の趣がある。中には釣り鐘型のきれいな紫色で、茎の先に上向きに咲かせているのもある。

様々な角度からカメラを向けシャッターを押しているうちに、自分の脳裏に何かがチラつき始めた。
これは何なのか、形となって何かと結びつかない。自分には良くある現象だ。やがて思い出した。

数年前、思わぬ病気による手術・退院後、思うところがありビジネスも中締めを決心して都心の事務所も閉めた。
この事務所も今日が最後と感慨に耽りながら、部屋の電気を消そうとした。
その時、「お疲れ様でした」と入り口のドアーが開き、一人の女性が俯きながら花束を差し出した、竜胆だった。
彼女は、同じビル内にある他の会社の社員だった。野生的な雰囲気を持つ女性で、いつも濡れているような眼を持った人だった。人は朗らかな性格だと言っていたけど、どうしてだか自分の前では多くを喋らない人だった。
事務所を閉める事は誰にも話していないのにと思いながら受け取った。
セロハンと赤いリボンでラッピングされた花束だった。灰色の壁とロッカーや机に囲まれたオフィスの中でただ一点の紫色だった。
受け取りながら内心「どこででも売っている花束だな」と思った。
自分の気持ちを見透かしたように「私の真心は、やたらとあちこちでは売ってはいません」と、強い調子の言葉が追っかけて来た。

以前、自分は彼女とどんな事を話したのか忘れてしまったが、その時「亡くなったお父さんからも度々言われました---」との、彼女の部分的な言葉だけを思い出した。

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ここ数日曇り空が続いているが、彼女の気持ちは今日の竜胆みたいに閉じたままだろうか。

上向きに花を咲かせて欲しいと願う、女性として。


「小走り」の思い

2010年10月26日 | ちょっと一言

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車で左折しようとする。
当然歩行者の横断が優先で人の流れが途切れるまで車の頭を左方向に向けて待つ。その間に左折車の後続がつっかえてくる。これは仕方が無い。ルールだから人が居なくなるまで待つ。
時々横断する人が少ない時がある。
一人二人が道に居るだけで、ちょっと気持ちだけでも「小走り」の様を見せてくれると、車側の思いとしても嬉しいし、そんなに急がなくても良いよと考えるのだが、最近この「小走り」をする人を滅多に見た事が無い。
どんな状況にあろうが我は我、苛立つ気配の車にチラリと目はやるが、同じペースで歩く。少しだけ急いであげたら、車の流れもスムーズになるだろうとは思わないらしい。

都会にしろ、郊外にしろ人間が犇めき合って生きている社会の中で、摩擦無く過ごすと言うのは規則や法律ではなく、「小走り」的な誠意や思いやりを持っているかどうかである。

自分は、人間同士はそんな思いで付き合うものだと思っているから、人が待っていると思うと、自分の都合より待つ人を思いやって、つい足を急がせてしまう。常識としてそうする。

走って見せることは無い。ほんの「小走り」程度に、急ぐ素振りを見せるだけで気持ちはお互いに充分に伝わる。
人間関係ってそんなものだ。

ここ海側生活にも、そんな思いが欠かせない。


感性が鈍ったのか

2010年10月18日 | 鎌倉散策

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かねてより一度は観たいと考えていた鎌倉宮の薪能の観賞に出掛けた。「幽玄の世界」って表現される世界に浸ってみたいと考えた。
境内に設えられた約600の観客席は満席だ。

夕暮れが迫ってきた頃、法螺貝(ほらがい)の低くて太い音が流れ、野外の能舞台の奥の本殿で神事が始まった。
神事の間は薙刀(なぎなた)を手にした山伏8人が本殿の入り口に立ち塞がる、これは神事の間は何人と言えど出入りはご法度と言う事らしい。やがて巫女さんが運ぶ神火を奉行が受けて篝火(かがりび)に点火し、「始めませい」という合図と同時に謡(うたい)が始まり、薪のパチパチと爆ぜる音と一緒になり静まりかえった境内に広がり始めた。

ここの祭神は足利尊氏らの武士と共に鎌倉幕府を倒し、建武新政を成し遂げた後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王(おおとうのみやもりながしんのう)だ。大塔宮は足利尊氏と対立してこの地に幽閉され殺められた。幽閉されていたという土牢が今も本殿の裏手に残っている。

やがて観世流により能が始まった、演目は「天鼓(てんこ)」。

高く響く鼓と横笛、感情を抑えた能舞が続く。篝火は絶え間なく揺れ動いている。
虫の音がどこからか絶え間なく聞こえて来る。
時折、風が通り過ぎて行く、燃える薪の匂いを伴って。
薪の白煙の上っていく先を見上げると木々の間に星が瞬いている。

能は日本における代表的な伝統芸能として遇され、歌舞伎に並んで国際的に高い知名度を誇っていると知ってはいる。しかし自分は、能に最も重要だと言われる美的観念の「幽玄」とか「妙」が解らない。

また思った。ビジネスなどで寸暇を惜しむ日常を送り、心身に何かしらのストレスを感じている人達にとって、或いは、現役を退いたとは言え、自分の過去の出来事に思いを馳せ懐かしむ人にとって、たまに観る薪能は「幽玄の世界」だと感じるかも知れない。

しかし、太陽や月を見て季節や時刻を知り、夕焼けや風向きを感じては明日の天候を予測し、漁師の網に掛かる魚や海草を見て旬を感じたり、港に群れる鳶や鴎などの所作を見て何が起きているのかを推測したりと、人がいう非現実の海側生活をしている自分にとっては、薪能を「幽玄の世界」と感じるのは難しかった。

自分は従来見えていたものが見えなくなったのか。
或いは感性が鈍ったのか。


突然の訪問者

2010年10月12日 | 海側生活

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パソコンから眼を上げ窓の外を見ると、雨雲はいかにも低く垂れ込めて、その濃淡も今は消えてただ重く暗いだけの空だ。爪を立てて引っ掻けば、そこからザアッと雨水が落ちてきそうだった。
こんな日は思いも因らぬ光景を眼にする事がある。

季節や天候によって前の海の光景は様々に変わるが、漁船が港に出入りするのは当然としても、地元漁業関係者の監視船が船名も十分には読み取れない、さほど大きく無い舟に近づいている、海の浅い部分だ、多分あれはサザエの密漁だ。沖の方に鳥山が見える、鴎が群れをなして海中を窺い時々海中に突っ込んで行く、きっと時期的にウルメ鰯が大型回遊魚に追われ海面近くに上がって来たに違いない。

気分を変えて再びパソコンに向かう。
視界の隅に何かが動く。思わず眼を外に向ける、何も居ない、気のせいだったかと眼を戻す。バルコニーに鳶や烏や鴎はほとんど来ない。
暫くしたらまた視界に何かが入って来た。
今度はハッキリと見た。音も無くリスがルーフバルコニーを横切った。身体の割には大きな尻尾が揺れた。カメラを引き寄せて窓ガラス越しに思わずシャッターを切った。何をしているのか、どこから来たのかこの七階まで。
何か食べ物は無いかとでも尋ねたいのか、ついここまで来たがここはどこだとでも聞きたいのか、目を逸らさずに自分を見ている。突然手摺の上に這い上がり腹這いになって動かない、ここまで海を眺めに来たのか。「どうだ、気分転換をするには最高な眺めだろう」と語りかける。
「うん、最高だね!」とでも言ったのか尻尾が揺れた。やがて手摺を降りると隣家のバルコニーに姿を消した。

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裏山の巣に帰るには階段を降りて行くしか道は無いけど気掛かりだ。

突然の訪問者との面会の数分間に、故郷の裏山で弟妹や友人達と一緒に遊んだ幼い頃の記憶がセピア色で甦ってきた。


好敵手がいない

2010年10月04日 | 興味本位

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自分は相撲はあまり好きでない、と言うより好きで無くなった。
ある時、幕内力士の内、外国出身の人数を数えた事がある。全42人中19人。こんなにも多いとは思わなかった。何が国技だ、と思った時以来テレビ中継も殆ど見なくなり、興味は薄れてしまった。

たまたま先場所の千秋楽後半をテレビ観戦した。
横綱・白鵬が全勝優勝、しかも四場所連続の全勝優勝との事、62連勝中だとも伝えている。
やがて表彰式が始まった。会場の全員が立ち上がり国歌斉唱が始まった。横綱・白鵬が大写しになる。見ると白鵬は国歌・君が代を歌っている。唇の動きから間違いなく歌っている。君が代の歌詞も覚えているのだと思った。

白鵬と言う日本国歌を歌える人に興味を持った。
10歳頃、相撲は遊びでやっていた程度で経験らしい経験はなく、バスケットボールに熱心だったらしい。
来日以来10年。「入門時はその小柄な体から全く期待は出来なかった。しかし一方で、大きな手足と腰、柔らかい筋肉などから、もしかしたら化けるかもしれないと思い、入門してからの2カ月間は稽古をさせず、毎日吐く程に食べさせ、牛乳を飲ませた」と親方は語っている。
また、幕下時代に遊びで朝帰りをし、土下座し謝り許しを得ようとするも、親方は激怒し破門を切り出した事もあったらしい。

今年1月の横綱・朝青龍の引退表明に「同じモンゴル出身者の目標であり、自分を引っ張ってくれる横綱だった。まだやり残した事が有るのじゃないか」と、最大のライバルの引退にショックを隠せず、終始大粒の涙を拭い時折声を詰まらせていた白鵬。
7月場所でも優勝したにも関わらず、賭博問題で日本相撲協会が天皇賜杯の表彰を辞退したため、賜杯を受け取れず、悔しくて悲しくて土俵で泣いた白鵬。その後、宮内庁から、史上初の3場所連続全勝優勝などの偉業を達成した白鵬を称え激励する内容の異例の書簡を受け取り、感激の言葉を口にした白鵬。
そしてこの9月場所の優勝インタビューでは「賜杯は今までより光っていた。運があった。強い人間ではないが努力したら、神様が運を与えてくれた」と語った。
また、「将来は親方になり若い人を育てたい」とも語っている。

69連勝と言う双葉山の記録を塗り替えようとしている。
もう記録は十分だ。すでに君は平成の大横綱から相撲界の大横綱になった。
しかし明るいニュースが少ない昨今、トップニュースで報じられるであろう君の大記録の瞬間を見たい。

白鵬・25歳。白鵬を見ていると、我々日本人が失いつつある“何か”を身につけたような気がする。

好敵手がいないのが気掛かりだ。