海側生活

「今さら」ではなく「今から」

パンツかズボンか

2012年09月24日 | 興味本位

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                       (染まる富士山)

寝起きにベランダに出ると思わず涼しい。今日はショートパンツを止め、長いズボンにしようかと考えた。
着替えながら何だか引っかかった。自分はズボンをパンツとも呼んでいる。

そう言えば先日、病院でCT(コンピューター断層撮影法)検査時の事。検査台に身体を横にした。30歳前半の女性看護師が検査について簡単な説明の後『パンツを膝まで下ろして下さい」と言い、そして検査台から離れた。この検査を何度も経験がある自分は、ズボンだけでなく、どうしてパンツまで下ろさねばならないのか、利用するエックス線は布地には影響ないではないかと天井を見ながら一人呟く。室内はクーラーが良く効いている。日頃、冷たい風を直接に受ける事がない下腹部が冷え冷えとしている。戻ってきた看護師は『下着は元に戻して!』と小さい声で言った。

自分は子供の頃から下着はパンツと呼んでいる。
ズボンとパンツの違いは何なのかを業界に居る知人に聞いた。
『言葉の変遷でしょう。印象としては、ズボン=旧世代、スラックス=中世代、パンツ=新世代というような感じがしますが、ファッション関係の場合言い方を変えて新しい感じを出すことが多いです。ジャンパー=ブルゾンでしょ。どっちも同じものを指しています。ただ、語感の違いはありますね』

聞いてもスッキリとしない。

別の知人に聞いてみた。
『個人的には男性用だとズボンかスラックス、女性用ならスラックスかパンツって感じがします。女性に対してパンツスーツとかパンツルックって言いますが、男性には言いませんからね。まあ、スカートを男性がはかないからでしょうけど』

身内に聞いてみた。
『今時、下着をパンツなんて呼ばない!』

しかし売り場に行けば赤ちゃんパンツとか、子供パンツと呼んでいるし、書いてあるではないか。
結局、納得出来ないままだ。

女性が『私、スカートだけにしてパンツはもう履かないわ』だなんて、はしたないのではないか。もし聞いたら思わず声の主を探すだろう。ここはどうしても『ズボンは履かない』と言ってもらわないと風紀上、困ったことになるような気がする。自分も落ち着かない。


バギーに乗って

2012年09月18日 | 海側生活

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                       (今日も海を見る)

我輩は“にゃおん”である。

風も冷たくなった去年の年の瀬も押し迫った昼下がりだった。いつものように、ある家のお気に入りの塀の上に寝そべったまま、和歌江ノ島や富士山方面の海を眺めていた。男の人が通り掛かった。この海沿いの細い道は普段は余り人も通らない静かな散歩道だ。
男の人は顔が丸っこくて、メガネの奥に見える目がいかにも優しそうだ。思わず特別の意味も無く『ニャーン』と声を上げた。男の人は僕を見上げ、すかさず『にゃおん』と挨拶を返してきた。つい僕は塀の上から飛び降り、男の人の足の周りを立てた尻尾を巻くように『ニャーン』と甘え声で二三度回った。

それから殆ど毎日、昼下がりになるとそんな触れ合いが続いた。一緒に過ごす安らぎは何ものにも例えようがない。
でも別れの時間が来る。男の人が自分の住まいに帰る時、僕はテリトリーの一番端までついて行く。そして座る。男の人は『バイバイ』と頭を撫でる。何だか名残惜しそうだ。男の人は何度も振り返り手を振っている。やがて姿が見えなくなる。『また捨てられるのか』と不安が掠める。いつまでも座り続けていた。

その頃の僕は一人で居るのが寂しかった。食事にも困っていた。時々は近所の人からペットフードや水を貰った。しかしいつもお腹が空いていた。このテリトリーで新入りの僕は仲間とのトラブルも絶えなかった。また雨が降り続く日は、跳ね返りの雨を身体中に浴びながら、お堂の軒下で何度も朝を迎えた。

男の人は、僕の事を近所の人達に聞いて回ったらしい。
『優しい猫ですよ』、『私も大好き』、『二年ほど前、突然に見かけるようになった』等と様々な感想を聞き込んだらしい。

今年の春先、僕は男の人のマンションが自分の居場所になった。

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男の人は海に突き出たマンションを仕事場にしている。テレビや映画の脚本家でかなり忙しそうだ。しかも監督は芸術性を求め、ディレクターは視聴率を追い、俳優は自分が目立つ要求をするし、立場によって注文が違うらしい。微妙な書き直し作業を繰り返しているようだ。

ネコの手を借りたいと言われても、僕はそんなストレスを感じるような事には手を染めたくない。しかし男の人の書く手が止まったままになる時がある。そんな時はうんと甘え、一緒に遊んであげる。

男の人は毎日散歩に出掛ける。僕は玄関でバギーに飛び乗る。10分も行くと昔からのテリトリーで、お気に入りの海沿いの公園だ。その海側の大きなアメリカデイゴの樹の陰にバギーが止まる。それからはお互いに干渉しない自由の時間だ。僕はテリトリー巡回に出掛ける。男の人はその間、潮風を受けながら本を読む。たまに椅子でウトウトと居眠りをしている。
僕が巡回から戻ると男の人は椅子から立ち上がり『お帰り!パトロールお疲れ様』って優しく迎えてくれる。
しかしバギーに戻っても、男の人が居ない時がある。そんな時は近くのカフェで食事を摂りながら、僕と同じくらい眼が愛くるしい店主相手に、疲れたココロを癒しているに違いない。僕は邪魔しない。男の人の匂いが残っている椅子に寝そべったり、側の樹に昇り、男の人が戻るまで好きな海を眺めている。

悩みもある。男の人は、僕が座った後ろ姿を見て、まるで洋梨みたいになったと言う。意味は良くは分らない。しかし男の人と暮らすようになってから身体が重くなったと感じている。

この出会いは、僕の一生を大きく変えたに違いない。

※立ち居振る舞が芸術的とも思える凛とした猫に出会った。つい“にゃおん”の気持ちを計ってみた。


一日分の米

2012年09月11日 | 好きなもの

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                    (逗子マリーナ防波堤)

一週間の食止の間、点滴スタンドから三本の管が腕の一点に注がれていた先月の病院での事。初めて食事を出された時は、スプーンを動かすのを忘れ、嬉しくて暫くジッと茶碗の中を見詰めてしまった。ご飯と言ってもドロッとした、まるで糊をお湯で薄め、それに片栗粉を混ぜたたような白い液体にしか見えなかった。しかし久し振りの香りは間違いなく米だった。口に運ぶとジワッと慣れ親しんだ味が口の中いっぱいに広がり、思わず誰とはなしに感謝した。

そして考えた。
今までどれくらいの量の米を口にしてきたのだろう。朝食もご飯派だ。これまで米が材料の日本酒も焼酎も相当に飲んで過ごしてきた。振り返れば餅を食べない正月は無かったし、上新粉や白玉粉を原料とした和菓子なども好きだった。
更に味噌、醤油、酢なども毎日の生活には欠かせなかった。

計算の途中で止めた。ハラが減っては戦ではなく計算がまとまらない。

病棟の患者の溜まり場で、雑誌に興味ある記事を見つけた。
『大人一日分のご飯は、どれほどの籾種から収穫されるのか、答えは24粒だ。籾種24粒を蒔くと、苗24本が芽吹き、それを3本ずつ8株に分けて水田に植える。すると秋には稲8株が実り、それから13860粒が収穫される。その籾殻を取り精米すると、一日分の白米二合五勺になる』との事。

三食ともご飯を食べたとして、二合五勺の量は茶碗に6杯~7杯ぐらいになるのでは?自分には些か多過ぎるが---。

資料によると、米の価額はパンの半分ほどに下がっているらしい。それでも米の消費額はパンに逆転されてから久しいと言う。
確かに我々の環境は食べるものが豊富にあり、食べるものがお米だけという時代ではない。また米はご飯にするまで手間が掛かるし、後片付けにも時間を取られてしまう。さらにご飯は太ると言うイメージが付きまとっている。

日本の食料自給率は年々減り続けて現在39%(カロリーベース)。
中でも、唯一自給率100%を誇る米だが?-。

米よ、これからもよろしく!


包み込まれて

2012年09月03日 | 海側生活

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                                      (8月31日の満月/ベランダより)

これまで節目の時、幾度となくこの曲を聴き自分に向き合って来た。ベートヴェンの「幻想曲風ソナタ」・通称「月光」を。

夜半シャワーを浴び、ベランダに椅子を持ち出した。満月が明る過ぎて他の星は見えない。ヴォリュームを大きく上げ、聞き慣れた「月光」に聞き入る。

いつ聞いても、どこで聞いても、何度聞いても甘く切なく夢を見るような、そして孤独感を感じる第一楽章。やがて静かな立ち上がりから、第二楽章から第三楽章へ向かって徐々に熱気、緊迫感を帯びていく、まるで人間の全ての感情が表現されている。

記憶によるとベートーヴェンが30歳の時の作品。弟子で恋人でもあったイタリアの伯爵令嬢ジュリエッタに捧げるために作曲した。聴覚はこの頃、不調が始まり、17歳のジュリエッタに苦しんだのは年齢差よりも身分の差であったという。
そして失恋!

満月は裏山の岬を過ぎ、海面上に現れた。
やがて南天に上った頃、青く輝く満月は、海面に一条の帯を映し、自分に真っ直ぐ向かって来る。
月明かりだけの暗い海面の細波が小さな煌となり、その煌きの一つ一つが自分のこれまでの思い出を表し、それを遠い過去から現在の自分の手元に静かに運んで来ているように思える。
静かに打ち寄せる波にリズムを合わせているかのように、月光と波の煌きがココロにもグイグイと差し込んでくる。

目を細めないと直視できない輝きのギラギラの日光も頼もしいが、月光は日光にはない優しさで自分を、そして全体をも包み込む。

人は何かを失うか、又は失いかけている時にこそ、そのものの尊さを、なおさら身に沁みて知るのかも知れない。

それにしても満月は青かった。