海側生活

「今さら」ではなく「今から」

静かな夜

2018年09月29日 | 季節は巡る

                 (彼岸花/宝戒寺)
小料理屋の戸口に“鍋物始めました”なんて張り紙がしてあると、真っ直ぐ家に向かうつもりが、つい暖簾をくぐり、ガラス戸を開け、カウンター席に座ることになる。
暑くも寒くもない。好きな魚や野菜を鍋から取り皿に取り、口に運ぶ。

今年もあと三か月。日が長かった時と、日が短くなった今も、一日は同じようにあっという間に過ぎてゆく。差し迫ったことは何もないのに、なぜだかあたふたと時間に追われている感覚が付いて回っている。

昼間のカメラ片手の散策を思い出す。
秋の寺の境内には、萩、藤袴、彼岸花、秋明菊やコスモスなどや、その傍らには名前すらまだ知らない小さな花々が様々な色して方々に咲き誇っている。春と違うのは赤、黒、茶色や青色の実が野イチゴみたいに彩を添えていることだ。
また小さな花々をしゃがみ込み見ると、なんだか切なさと可愛らしさが入り混ざり、小さな花でも満開の一瞬を永遠の美に変えている。それにしても今日の散策は、まるで絵本のページをめくるたびに楽しい世界に入って行くような幼い頃の感覚を持った。

鍋の具が空っぽになる頃、雑炊を作ってもらうよう頼んだ。
お腹が夕食にちょうどよくなった頃、昼間の歩き疲れを背中に感じた。

明日も又、長くなった自分の影を踏みながら進む方向には何があるのだろう。

静かな夜だ。


三暑四涼

2018年09月19日 | 季節は巡る

    (紫式部/大巧寺)
朝夕の涼しさにホッとして、やっと猛暑から解放かと気を緩めているとまた暑さがぶり返してくる。
残暑は夏の思い出探しの時、という何かのコマーシャルコピーに出会っても、それどころではない行動が鈍る暑さだった。

でも、この涼しくなる季節だと、過ぎし日に想いを馳せる。
酒場で飲んでいると、十時ころまでは時間は遅々として進まない。時計を見てまだこんな時間かと思う、夜は長い。十時ころまでは酒場では時間はユックリ流れる。隣り合った人も同じ感じを持っていた。ところが十時を過ぎると十二時までは、アッという間である。乗り物の終電時間である。なぜ時間が変身したようになるのかは分かっている。十時頃になると、酔いも適当に回り、酒場のママがまるで天女のように見えてくる。カラオケも自分の声がまるでプロが歌っているのかと上手に聞こえるような錯覚をする。しかもカウンターの左右の客が無二の親友のように思われてくるからに違いない。そうなると家がなんだ、女房子供がなんだ、男は仕事第一だ、付き合いが大事だと酔っ払う事を正当化する。終電に間に合わなくても良い、タクシーで帰る。

秋の夜長は酒がシミジミ美味い。蕎麦屋で飲む熱燗、イタリア料理屋で飲むワイン、酒場で飲むウイスキー、縄のれんで飲む焼酎などどれも良い。
しかし今年もあと三か月余りしかないことを肌でヒシヒシと感じている。日一日が加速してゆくように早く過ぎるのを意識してしまう。
何が秋の夜長か。そうではあるが、客が皆去ってしまった酒場で、一人ウイスキーの水割りをチビチビ飲んでいると、シミジミとした気分になる。少年老いやすく、人生は儚いなどと当たり前のことが頭を過る。

さっきまで天女みたいだったマダムも疲れた中年女に戻っている。
幸いにも急げばまだ終電に間に合う。酒場を出ると駅に急ぐ人がゾロゾロ歩いている。ふと見上げれば雲間から半月が何だか寂しげに顔を出している。街中なのにコオロギや鈴虫の鳴き声が聞こえてくる。

秋、九月。一年で一番好きな月だ。
ノンアルコールしか飲めない今は、酒場には足が自然に遠ざかってしまった。

今日はまた暑い。春先に使われることが多い言葉の三寒四温ならぬ、今を、三暑四涼とでも名付けよう。

稲妻

2018年09月08日 | 思い出した

                    (江の島を望む)
久し振りに稲妻を見た。

午後三時過ぎなのに空には黒い雲が急に辺りを覆い日が暮れたようになった。突然雨が降り始めた。パチッパチッとガラス窓を叩きつけている。滅多に無い強い雨足である。つい先ほどまで見えていた江の島も雨の中に隠れてしまった。間もなく雷の音が聞こえてきた。それがどんどん近づいて来る。こんな大きな雷鳴も久し振りに聞く。江の島方向の黒い雲が一瞬白くなり、稲妻が走った。白く光る線が天上から伸びて来て、途中で右に折れ、すぐに又下降していく。2~3秒後、その方角からバリバリッと強い衝撃音が響いてきた。後で聞いたところでは、七里ヶ浜の小さなビルに雷が落ちたという。やがて雨は小降りになり、黒い雲も去り、夕方前には上がった。

昔の夕立が戻ってきたような気がした。稲妻をちゃんと見たのも数十年ぶりだった。
少年の頃、教室の窓から大雨の中で稲妻が白く光って走るのを見た。
その瞬間は物理の授業中だった。先生は小太りで、ボサボサの長い頭髪に隠れるような黒縁の大きな眼鏡を掛け、いつも俯き加減に自分の机の上の本だけを見て、ボソボソと口ごもる様に話し、よく聞き取れなかった。授業の途中からは自然に居眠りの時間になったのは自分だけではなかった。
そんな時、皆が飛び上がるように俯せていた机から顔を上げ、先生を見て、それから窓の外を見たのは自然の成行きだった。木造教室の窓ガラスはガタ、ガチャと響き放っしだ。雷の轟音と共に矢継ぎ早に稲妻が右に左に走り、時々バリバリッドーンと、学校から近い所に雷が複数落ちている音がする。凄まじい轟音に慄き、両手で耳を塞ぎ机にもたれて座り込んでいる者も多くいた。

猛暑で家に籠る日が少なくなかったこの夏は、クーラーの効いた部屋で少年の頃を懐かしんだ。こんな夏は初めて経験した。

今は、江の島を覆い被さるように低い黒い雲が漂っている。その雲の上の空は青く遠く、そして高く見える。
秋が忍び寄ってきた。