(片瀬東浜/江の島)
満面の笑みを浮かべた遺影が目に飛び込んできた。
会場の部屋に足を運んだら真っ先に懐かしい顔に出会った。在籍した頃は滅多に見ることがなかった破顔一笑の素敵な写真だ。
現役の時に在籍していた会社の創業者で代表だったS.Yさんのお別れ会だ。多くの参列者に、会場の豪華さに、会場の広さに息をのんだ。
中心の高い位置に置かれた遺影の下には高さ3メートル、幅15メートルはあるだろうか、大きな花壇が設えてある。全体が白一色に見えたが、カーネーションを一輪ずつ献花する際によく見ると真っ白なカーネーションや百合や胡蝶蘭やカスミソウなどのほか、薄青色の桔梗などを混じえ全体の統一感を醸し出されていた。
彼は現役を退いて20年近くも経つのに、また巡るましく変化する現代に、これほど多くの参列者がいる事に感動すら覚えた。
彼は滅多に言葉に表す事は無かったが、社会的使命感を持ち、達成意欲の強い方だった。経営者としてまた人間的な成長を遂げるまで雌伏の時代があったと聞く。非常に辛く厳しい経験をしたとも聞いた。その経験が成長のバネになったと感じさせられた人だった。事実、高層住宅業界において、長い歴史を持つ財閥系や電鉄系等の企業を業績面で大きく引き離し、30年間もトップの座を保った。一方彼は海をこよなく愛した。
彼は我が国が未曾有の経済環境の激変時に自分は代表の座を退き会社は存続させた、潔かった。
彼は事ある毎に“憂きことのなおこの上に積もれかし 限りある身の力ためさん”と陽明学者・熊沢蕃山の作と言われる言葉を引用していた。可能性の限界に挑み続ける彼の姿勢には共感を覚え、鼓舞され、自分も実力以上の力を発揮させて頂いた。今でも、ふとした折にあの当時の彼からの教えの“刷り込み”が顔をもたげる。特に困難に遭遇した時に呪文のように、この言葉が口をついてくる。
そして多くの歳月が流れた。
親が亡くなった時とは違った寂しさが一挙に押し寄せてくる。
心の支えとしてきた大きな何かが一つ無くなった。