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(和歌江島/鎌倉・逗子)
冷たい雨が強く降ったり小降りになったりと言う日に、鎌倉/材木座海岸の一番端の小さな岬に出掛けた。
ここは9月下旬の大雨で、鎌倉/材木座海岸と逗子/小坪を結ぶトンネル入口の山が崩れ、バスも通っていたが今は修復のため人も通れない。
片方は海側特有の切り立った山、前は海。晴れた日は、ここから江の島や富士山を望む夕陽が美しい。
雨と波に煙る和賀江島は海中から頭だけ出し沈んでいた。干潮時は浜から島まで歩いて渡れる。又、満潮時にはほぼ全体が海面下に隠れてしまう。
島と言っても人工の島だ。貞永元年(1232年)とあるから780年余り前だ。執権・北条泰時の時代に往阿上人が築港した。付近の前浜では水深が浅く、又南風を避ける港が必要だったらしい。そこで海中に桟橋を造り船着き場とし、各地からの物資を運んだとの記録がある。日本で最古の港遺跡らしい。
今は、僅かの巨石と3~40cmぐらいの石積みが漠然と残っているだけで、知らない者には何のことはない代物だが。知っている者には重要な地なのである。これまでには埋め立て工事を始めたり、石積を一部壊されそうになった。知っている人達は反対して和賀江島の一部を守ったと聞いた。そして史跡に指定された。
現代は何でも埋め立てて 土地を新たに作り出す傾向があるが、拡げれば良いと言うものではない。
由緒あるものは、昔、役に立ったモノとして残しておきたいのが人情と言うものである。
人間もそうだ。
樹木もそうだ。
石もそうだ
皆、生きた証をどこかに留めている。それが有名であろうと、無名であろうと、むやみに破壊し、山を崩し、海を埋める事のみに使われて、影も形も無くなってしまうのは、栄枯盛衰は世の習いとしても、寝覚めが悪い。
和賀江島が海中に、その一部の石積みでも残して、昔の栄の面影を残しているのは心が落ち着く。
雨の海辺の季節に相応しくない冷たい風に吹きさらされながら、暫く佇んだ。
海に降る雨も情緒があった。