海側生活

「今さら」ではなく「今から」

アブナイ話

2009年12月27日 | 魚釣り・魚

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“せいちゃん”の今の時期の漁の一つにメバルやカサゴ等を中心とした底モノがあるが、この網にカワハギやヒラメも網に入る事がある。

今日はハコフグも混じっていた。  

普通、食するフグと言えばトラフグで、いつも感心する事だが、フグには棄てるところがない。身は勿論の事、ゼラチン質が豊富な皮、白子、ヒレまでが酒に独特の香りをつける。

ただ卵巣だけは毒の塊みたいなものだからアブナイ!

しかし自分の知人で自称グルメに “あの死にそうな味が忘れられない”というヤツがいる。忘れられないなら、そっと思い出の中にしまっておけばよいのに、あの味をもう一度と手を出すと、大抵命取りになる。

ダイビングしている時にも、度々出会った。

泳ぎ方が実にぎこちなく可愛い。変形した風船を浮かべたような身体の左右に二枚の小さなヒレが付いていて、これをパタパタと動かして前進や後進をするのは、どの種類のフグも一緒で、身体の筋肉をくねらせて泳ぐ魚と較べると、いかにも動きがのろくて捕まえやすい。

それにしてもあの愛らしい二枚のヒレを、ヒレ酒にする人間と言うのは、なんと残酷な生き物だろう。

自分は海の中でフグと遊びながら、海の中で冷えた身体が熱いヒレ酒を求め、ダイバーから必死で逃げようと動かしている小さなヒレを思わず掴もうと指を伸ばしたく自分を呪う。さらにフグは警戒心が小さいのか、好奇心が大きいのか、ダイバーに近寄ってきては自分を複雑な気持にさせる。

フグは食いたし、されど毒がある。しかしフグは可愛い。この毒も可愛さも冬のこの時期になると平気で忘れてしまう。

美味しいけど毒がある。毒があると思えばなお美味しい。

人間関係でも、好きでも嫌いでもない人と恋に落ちる事は決してないが、大嫌いな人と深い仲になる危険性は常にある。

男にも女にも毒は必要だ、大切だと思う。

こんなアブナイ話をしながら、テッサやテッチリを味わいながら、ヒレ酒を咽喉に運べる時間は格別だ。


看板の無い町

2009年12月21日 | ちょっと一言

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「歴史散策」を生活の一部にしている自分は、初冬とは言え晩秋のような風情を残す鎌倉の町を今日も歩いた。

この町には歴史上、神社仏閣等も多い。
信仰心の無い自分でも、美しいお像を前にすると、良くは判らないが、気持が解きほぐされていくような気がする時がある。
しかし、神社仏閣から一歩外に足を踏み出したとたんに、それまでの雰囲気と町並みの景観が全くチグハグで、普通の町並みに戻ってしまう。

それもその筈だ。
鎌倉は地域内に多くの歴史遺跡を持つ古都だが、室町時代中期以降に衰退したため、「都市・鎌倉」としての歴史は連続していない。江戸時代後期には地域内の寺社が多くの参詣客を集めるようになるが、明治初期でも鎌倉大仏や長谷寺を擁する長谷地区に都市的な集落が分布するだけで、現在のような鎌倉市の市街地は形成されていなかった。明治中期以降、今から120年前、現在の横須賀線が軍需用線として開通してから、保養・別荘地として、そして昭和以降に観光地として発展をした。
だから中世都市の遺構は存在しても、中世以降の都市景観というものは存在しない。

それにしても、この町には看板が多い。
今、鎌倉は「武家の古都・鎌倉」として、24件の歴史資産を世界遺産として登録を目指している。
その中心資産になるであろう鶴丘八幡宮、それに続く若宮大路の両側でも、あらゆる種類の看板が立ち並んでいる。
世界遺産は保全が目的であり、観光開発を促進する趣旨でない事も理解出来るが、この看板類や施設への案内方法等、もう少しスマートにできないものか。
稀な歴史資産が有るが故に、行政は胡坐をかいている訳ではないだろうが、折角の歴史資産が色あせてしまう。

眼を閉じて空想してみた。
鎌倉一帯から看板や広告プレートが消え、あるのは限られた歴史資産への標識だけ。元々歴史や自然風景は優れた地域だ。
すぐに全国に、いや世界に伝わり多くの人が訪れる、一度来た事がある人でもまた訪れてくれる。

「看板の無い町」こそ最大の広告になる。


浜の正月準備

2009年12月14日 | 浜の移ろい

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いよいよ年の瀬、カレンダーも残り少なくなった。
明年の干支である「寅」が、こちらを窺うのが見える頃になった。

浜でもお正月に使われる品の漁が、あちこちで行われている。
正月の、特に関東の御節料理に欠かせない、カタクチイワシ(小坪ではゴマメ言っている)の幼魚の乾燥品「田作り」作りが急ピッチで作業が行われている。浜一帯にゴマメを干している香りが北風に乗って漂ってくる。
また、注連飾りに飾られるホンダワラも、ただ一人の漁師によって獲られ、浜一杯に吊るし乾燥させている。簡略化された家庭の鏡餅ではこれらを飾らない事が増えたが、延命長寿、一族繁栄、福徳につながる謂れを持つ品々は、今でも根強い需要がある。
他に伊勢海老や鯛やナマコや蛸も正月にはなくてはならないモノだ。早朝から漁師達は連日、漁場に舟を進めている。

一方、各人は恒例行事の正月の蜜柑投げの準備にも余念がない。
舟の内外を磨き上げ、蜜柑投げの際、舟に飾る大漁旗を浜小屋から取り出してはチェックすることも忘れられない。
ただ、身内にこの一年不幸があった場合は、この蜜柑投げは行う事は出来ない。

カレンダーに終わりがあることは良い事だ。何を失くしたのかが良く判る。それに終わりがあれば自ずから新しい始まりが来る。
我が身が一年古びた。どれだけの寿命を受けているか判らないが一年分の「いのち」を失った事は確かだ。「いのち」を失っていくからこそ生の実感が強くなる。

我が身が一年古びた分、記憶が増えた。

記憶は大事にしたい、自分の最大の財産だ。


マジックアワー

2009年12月09日 | 季節は巡る

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遥か天城に落ちる夕陽の美しさ。それは日によって違う。
西の空一面を茜に染めながら、柿色とでも言ったくらい赤みをみるみる濃くして、素早く沈む日もあれば、朱をまわりの雲に馴染ませ、羞じらいながら落ちる日もある。白金色に輝き金色の矢を散らして、最後まで誇りは失わぬと、威張って見せる日もある。

因みに、日本では、日の入りは夏至の1週間後ごろが最も遅く、冬至の半月前ごろが最も早いと言う。
また、大気などの影響で、日の出直前と日の入り直後の数十分間は空が明るい。これを薄明と言い、日の出直前はブルーアワー、日の入り直後はマジックアワーとかゴールデンアワーと呼ばれているらしい。

金色に輝く落日に眼を見張っているうちに、ふと想う。
この冬至には、自分が幼かった頃、母が「御まじない」みたいに遣って呉れた柚子湯に久し振りに入り、小豆粥か南瓜でも食べるか。
新型インフルエンザも相変わらず各地で猛威を揮っている事だし、なんて考えながら「御まじない」を数十年ぶりに遣りたくなった。

日の入りが今日はいつにも増して早かった。
それにしてもマジックアワーと誰が名付けたのか---
遠く対岸の熱海辺りには明かりが灯り始め、江ノ島燈台には灯が入ったのに、山の端はまだ明々と、まるでこれから日の出が始まるのではと勘違いしてしまうような明るさだ。

今日も又、いつの間にか落日との会話を楽しんでいる。


今が一番若い

2009年12月01日 | 感じるまま

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浜一番の働き者“せいちゃん”の一人息子の誕生日だ。
今日で5歳になった。
プレゼントを用意したと連絡したら、勇んで受け取りに来た。
「おめでとう!」と言いながら握手をした。

その手を改めて見ると、なんとも言えぬ小さな手。思わずミニチュアのような指と我が手を比べる。指の汚れのない白さと柔らかさ。生きてきた歳月を沁みこませている自分の手との差。
瞬間に思う。
年齢に関わらず誰でも今のこの瞬間が一番若い。
生まれたばかりの赤ん坊でも、5歳の子も、青春真っ盛りの若者も、現役バリバリの人も、陽だまりで日向ぼっこするご隠居さんでも、人は一分一秒も過去に戻れない以上、今生きているこの瞬間が一番若い。
人間今が一番若い事を心に刻んで、ただ一度限りの繰り返しの効かない「これから」を大切にしたい。

こんな白さと柔らかい手のために、大人としての自分の「これから」もあると気付かされたような思いがした。

「またね~」と大きな声を出し、振り返りながら手を振る小さな後姿を、見えなくなるまで見送った。