海側生活

「今さら」ではなく「今から」

”師”とのお別れ

2018年07月29日 | 最大の財産

(片瀬東浜/江の島)
満面の笑みを浮かべた遺影が目に飛び込んできた。
会場の部屋に足を運んだら真っ先に懐かしい顔に出会った。在籍した頃は滅多に見ることがなかった破顔一笑の素敵な写真だ。

現役の時に在籍していた会社の創業者で代表だったS.Yさんのお別れ会だ。多くの参列者に、会場の豪華さに、会場の広さに息をのんだ。
中心の高い位置に置かれた遺影の下には高さ3メートル、幅15メートルはあるだろうか、大きな花壇が設えてある。全体が白一色に見えたが、カーネーションを一輪ずつ献花する際によく見ると真っ白なカーネーションや百合や胡蝶蘭やカスミソウなどのほか、薄青色の桔梗などを混じえ全体の統一感を醸し出されていた。

彼は現役を退いて20年近くも経つのに、また巡るましく変化する現代に、これほど多くの参列者がいる事に感動すら覚えた。
彼は滅多に言葉に表す事は無かったが、社会的使命感を持ち、達成意欲の強い方だった。経営者としてまた人間的な成長を遂げるまで雌伏の時代があったと聞く。非常に辛く厳しい経験をしたとも聞いた。その経験が成長のバネになったと感じさせられた人だった。事実、高層住宅業界において、長い歴史を持つ財閥系や電鉄系等の企業を業績面で大きく引き離し、30年間もトップの座を保った。一方彼は海をこよなく愛した。

彼は我が国が未曾有の経済環境の激変時に自分は代表の座を退き会社は存続させた、潔かった。

彼は事ある毎に“憂きことのなおこの上に積もれかし 限りある身の力ためさん”と陽明学者・熊沢蕃山の作と言われる言葉を引用していた。可能性の限界に挑み続ける彼の姿勢には共感を覚え、鼓舞され、自分も実力以上の力を発揮させて頂いた。今でも、ふとした折にあの当時の彼からの教えの“刷り込み”が顔をもたげる。特に困難に遭遇した時に呪文のように、この言葉が口をついてくる。

そして多くの歳月が流れた。

親が亡くなった時とは違った寂しさが一挙に押し寄せてくる。
心の支えとしてきた大きな何かが一つ無くなった。

”お師匠様”

2016年12月02日 | 最大の財産

         (鎌倉高校前から)
友人はかけがえのない財産だ。

勤めている時は、どうしても交友関係は狭くなりがちだ。学生時代の仲間を除けば、その多くは会社の同僚と言う人が少なくないのではないだろうか。
しかし。会社の友人は所詮、仕事上での事だ。よく一緒に酒を飲み、ゴルフもやり、自分では親友と思っていても相手の胸の内は分からない。出世を考えれば同僚はライバルでもある。移動や転退職などで離れてしまえば自然と縁遠くなるものだ。潮目を計りながら人付き合いをするのが、サラリーマン社会の人間学だ。

その点、経験から考えても、趣味の世界は出会いの宝庫で、理屈を超えたところで意気投合し、豊かな人間関係の輪を広げていける事が多い。
現役で趣味の友人を持っている人は、オンとオフの切り替えが上手い。自分の仕事を愉しく語れる人は素晴らしい。だがそれに加えて自分の趣味に付いても熱く語れる人はもっと素晴らしい。まして現役を退いた人にとって、孤独を愉しめる人は良いが、一緒に遊んでくれる友人がいなければ、多分、寂しいしつまらない時を過ごすだろう。

現在の自分にとって、写真の“お師匠さん“と呼ぶべき友人がいる。
M.Fさんとはプロが主唱する同じ写真教室の仲間だが、付き合いが始まって五年にもなる。このブログに新たに投稿するたびに、自分で撮った写真を一枚掲載しているが、もっと上手く撮りたいと、月謝を払って写真を学ぼうと決め教室に入った。そして暫くして意気投合した。折に触れカメラと言う機械の仕組みから、写真とは?を指導して頂いている。

彼はカメラに関し、又写真に関して造詣が深い。現役の頃から趣味でカメラもやっていたらしい。教室のプロが教える分野とは別の“自分流“が有る。彼が主唱して教室を開いても、きっと大人気を博すだろう。また彼は博識だ。時事に明るい。なんでも知っている。知っているだけではなく、それぞれの出来事に対し受け売りの情報ではなく独自の考え方を持っている、その分野が広い。その他、仲間と共に絵画も一年に一度展覧会を開催しているし、随筆では毎年一冊を出版している。中でも自分には出来ないと思うのは、日本で働く外国人に対して毎週、日本語を教えている。これらは現役の時は経験もなかった事なのに。また彼は貴公子然とした端正な顔立ちの笑顔が素敵だ。特に女性に対しては一層笑顔が弾ける、ユーモアを交えて。

ただマルチタレントの彼にも弱点はある。それはお酒が三杯目あたりになると、話題が長い川のように止めなく滔々と溢れだす。知識の引き出しの数が多い。話の切れ目がない。

しかし、そんな彼の弱点が好きだ。会う度に、聞くほどに「なるほど!」と気付かされることが多い。

寂しがり屋は、心が許せる友人が居ないと現役を退いた後は暮らせない。


友が逝った

2014年02月10日 | 最大の財産

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                                                (侘助/妙本寺・鎌倉)

『うちの人、今朝、心臓が止まりました』
節分の豆を、今年はどんな風に楽しもうかと考えていた昼前に、突然その電話は鳴った。

告別式に向かう車窓からの八ヶ岳連峰は冠雪したそれぞれの頂きを、曇り空に白く大きく聳えさせていた。気持ちが落ち着かない。
今までも、友人の家族の誰かが亡くなると、その家にお悔やみに行くのが急に気重になってしまっていた。思っていることが言えないからだ。儀礼的に行く場合は割合に気が楽だが、遺族の人の気持ちを考えると何一つ言葉にならない。お悔やみの言葉は、人の口から出ると、言葉だけが浮いて空々しくなるものだ。

D,Tさんはまさに無くてはならない友だった。家族ぐるみでお付き合いさせて頂き、ブライベートでも様々な時間を共有した。前職で同じ課に配属になった、まだ駆け出しの頃から、今日までずいぶん時が流れた。高度成長期に彼は仙台、横浜、福岡、大阪などに栄転を重ねた。自分が大阪、名古屋、グアム、オートラリア、横浜などに移動し、お互いに責任ある立場になってからは同じ職場になることは無かった。いつも遠く離れていた。しかし、いつも何処で会っていた。

彼は海のように懐が深く大きな人だった。見識が有り、モノを見る目が確かだった。何事に付け自分は惹かれていた。

弔辞を述べていた時、思い出が蘇り嗚咽が込み上げそうになり弱った。話す間を十分にとり、何とか声が再び出てきた。
『逝ってしまうのは、チョット早過ぎるよ!』、『ユックリ休んで下さい』で閉めた。

法要の後、90歳になると言う道士から「諸行無常」の話を聞いた。一瞬の間にも全ては変化すると。言葉では解っている。でも友の死は辛い。

老いを見つめると言う事は、考えようによっては、残り少なくなった時間を見つめると言う事か!


乾杯もない誕生日

2013年10月07日 | 最大の財産

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                                           (病室より/スマホにて)

テーブルには花もない。

 

自分の部屋なのに自分のモノは何も無い。音楽もない。ただ大きくはない長細いテーブルの上に、体温計がポツンと置いてある。ただ個人情報が詰まっているリストバンドが手首に固定されている。もちろん酒も無いし、『おめでとう!』の言葉もない。こんな言いようのない寂しさを感じるのは久し振りだ。長く生きてきたが、こんな誕生日は初めて経験した。

 

数日前から、歩いても右脇腹に鈍い痛みが走る。熱も38度近くまで上がってしまった。前例がある身にとって、異常を感じ、三連休だったにも関わらず、掛かりつけの病院に急患として身を運んだ。
急性虫垂炎の疑いと診断され、そのまま入院。絶飲食の治療が始まった。ベッドに身を横たえて、ただ時が過ぎるのを大人しく待つだけの耐え難い時間が続く。何歳になっても、初めての経験ってあるものだと、改めて実感する。窓の外には、透き通るような秋の青空に東京タワーが見えている。

 

入院して二日目は誕生日だった。
夕方の検温が終わった頃、妙齢の女性・A,Tさんが前触れもなく『大丈夫?』と病室に入ってきた。彼女が子供の頃からよく知っている。いつも言葉数は少なかった。それにしても俗にいうイイオンナ(・・・・・)になったものだとジッと見つめてしまった。そして『誕生日、おめでとう!』とリボンが付けられた包みをプレゼントされた、カードと一緒に。早速開いた。自分では選びきれない秋物の洒落たシャツだ。夏の身なりで病院に来たが、退院時には長袖の、このシャツを着て帰ろう。

 

『早く治ってね!禁煙のチャンスだね』と笑みを浮かべながら帰って行った。

 

一人になって東京タワーに目をやると、夜空に頂きが赤色に点滅していた。まるで、今去った人の温かい思いを繰り返し自分に伝えるかのように。
カードには身体を労わる短い言葉が添えられていた。水一滴も口に出来ない自分の乾いた気持ちの中に、シンシンと沁み入って来た。


霧の中の露天風呂

2012年11月05日 | 最大の財産

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                 (やまなみハイウェイ/熊本)
温泉には日常から掛け離れた桃源郷のようなイメージがある。

日々の生活が営まれる場所から旅立つ時、人はどこか疲れていて、或いは飽きていてココロやカラダをリフレッシュさしてくれるものを求めているのかも知れない。山を越え、川を渡り、桃の花が香る別天地に至る、というのが桃源郷なのだろうが、やはり温泉は街中に在って欲しくない。

間もなく六人目の孫を持つ従弟夫妻と霧の久住高原を走った。作曲もするオジさんも一緒だ。俄かに天候が変化し、曲がりくねった高原のハイウェイは空か大地か、200メートル先は霞んで見えない。 

高原の夜の露天風呂は、山肌を縫うように頂上から降りてきた霧が顔を掠め、薄明かりがその霧にボンヤリと映っている。周囲は何も見えない。風の音だけが猛々しい。露天風呂の隣の打たせ湯から流れ落ちる湯が風に煽られ、冷たくなって頬に吹き付けてくる。オジさんは「坊がつる讃歌」を口ずさんでいる。

じっと湯の中に身を沈め、暗い天空と大地の声に耳を傾けた。

お湯に入るのも好きだが、露天風呂から見上げる月や紅葉とか、湯上りの一杯とか、温泉特有の湯煙の匂いとかの風情に魅かれる。肌で直接感じるよりも、その他の器官つまり目や口や鼻で感じる方が、日常では見えなかったものが見えたりする。

湯上がりに、自分が区切りの年齢になったお祝いにと、従弟夫妻が準備してくれたロゼが渇いた喉やカラダに心地良く染み渡っていった。カラダではなくココロが疲れ始めていたのだとしみじみ思いあたった。

従弟夫妻にはココロまで暖めてもらった。


変わらないもの

2012年10月31日 | 最大の財産

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                     (大川内山/伊万里)
故郷は、いつ足を運んでも新しい何かに出会う。

区切りの年齢の高校の同窓会に出た。
前日に着き、旧友Iを訪ねた、『よぉっ』と、軽く手を上げ、まるで昨日会ったばかりのような態度だ。奥さん・Kは『いらっしゃい』とニッコリ、いつ会っても若い。大皿に盛られた玄界灘の魚の刺身に箸がすすむ。口の中に故郷が広がる。

墓参りの後、『どこか行きたい所はない?』とT,Iが聞く。
『大河内山に行こう』 。三方を山に囲まれ、山水画にも似た切り立つ大屏風奇岩の景観が目に飛び込んでくる。江戸時代の廃藩置県までの約200年間近く鍋島藩の御用窯が置かれ、世界の至宝・鍋島とも呼ばれた。そして、その伝統や技法が現在の伊万里焼にと繋がっていると記憶が蘇ってくる。
秋の穏やかな陽を浴びながら石畳の坂道を歩いた。一軒の窯元に飛び込んだ。楽焼をした。身内が健康サロンを開業した、その成功を祈念して「Congratulations!」と描いた。持ち慣れない細い柔らかな筆先に上手くは描けなかった。
T,I
は側に座り何も言わない。黙って見ていた。

窯元が立ち並ぶ町外れの権現岳神社にお参りしようという事になった。清水を汲みに列を成している人たちを横目にしながら階段を上り始めた。急な階段だ。20~30段段毎に設けてある踊り場を幾つか過ぎる頃、膝が笑い始めた。足を停め、来た道を振り返ると改めて急な階段だとわかる。思わず手摺を握り締めた。ふとIと共にコートや野山を、時間を忘れ走り回ったバスケット少年時代の体力や思い出が鮮やかに蘇る。
やがて踊り場に差し掛かる度に足を止めた。その踊り場が、これまで自分が歩いてきた道の10年毎の区切りのように思えてきた。
息を切らしながら自分の30代、40代、50代更に60代と追想してしまった。

追想も終わりかけた頃、400段近い急な石段を上りきった。そこからは遥か彼方に少年時代には無かった伊万里湾大橋も見渡せた。

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そそり立つ岩壁の中腹に、東西に貫通した岩穴があり、その中に鎮座する神社にお参りの後、後方の崖に目を向けると、ある一点だけが真っ赤に燃えていた。ハゼノ木だ。
人が近寄れない無人の岸壁を見て賞賛する人もいないのに、いつも同じように紅葉すると思うと哀しい。
多感な少年時代をすごした故郷に、こんなにも厳かで、風光明媚なところがあるとは知らなかった。

T,Iは限られた時間を自由に過ごさせてくれる。
別れ際にIは『じゃ元気で』と言葉は少ない。

友を想う事は楽しい。文字に書き表すよりは、一人で想っている方が更に楽しい。T,Iが居るから、又故郷に足を運びたくなる。

変わらない人の情けも身に沁みる季節になった。


改めて感謝します

2012年04月04日 | 最大の財産

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                         (報国時・鎌倉)

ご報告の返信より⑪
(固有名詞や特定の言葉は省略した)

今のお気持ちを、心から分かち合わせていただきます。
また、これまで折れることなく、そして決して表には出さずにおられた強さに感心いたしております。
取り敢えず完全復活に乾杯です。
            S,O

奇跡の生還 まずはおめでとうございます。
まだ、やるべき仕事がある旨の天のお達しでしょうか。
その前の5年間の休憩?
もう十分だ!再度スタートとの号令が聞こえてきます。
                                 M,M

「おめでとう」のダルマさん、本当に良かったですね。
心よりお祝い申し上げます。
この5年間は、貴方にとって格別有意義な期間だったと思います。  
                                   M,S

よかったね、時々「海側生活」見てたよ。
又先生からお墨付きをもらって、本当に良かった。
温かくなったら、のっこみ桜鯛を狙いに行きましょう。
新潟能生の【大新丸】のブログを見て下さい。
            H,H

様々を経験して、一期一会の意味するところが、やっと解ってきた。
友は有り難い。
改めて感謝します。


ひと言が身に沁みる

2012年04月03日 | 最大の財産

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                               (鎌倉・浄妙寺)

ご報告の返信より⑩
(固有名詞や特定の言葉は省略した)

5年間と言う限られた(限った)時間を真剣に生き、新しいスタートを切った貴殿に心からのおめでとうと尊敬の念を禁じえません。
公私共に明るいニュースのなかった最近でしたが、なでしこ以来の<やったー>という、勇気を与えてくれた朗報でした。
                 A,S

ご連絡本当に有難うございます。ご病気の全快本当におめでとうございます。そこまでとはつゆ思えず、5年間本当に失礼致しました。
今、自分の5年間と比較して、内容の濃淡に愕然とさせられ、また勉強もさせられました、有難うございました。
今後ともご指導宜しくお願い申し上げます。
                  N,I

吉報をありがとうございました。これからは安心して仕事も、遊びもできますね。
回復力もすごいし丈夫だし鉄人ですね。
                 S,M

おめでとうございます。
これからの人生が本当のセカンドライフのゴールデンタイムとなりますね 
                 H,H

ほんとうにおめでとうございます
生きる力 生かされる人

海側生活は良かったですね
また 逗子に伺います  
                 H,I

悲しみや苦しみは人生の花だと想う。
それをバネにして花を咲かせた経験は貴重だ。
それを分かち合える友は有り難い。




愛すべき後輩

2012年04月02日 | 最大の財産

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                    (支那実桜・妙法寺)

ご報告の返信より⑨
(固有名詞や特定の言葉は省略した)

一区切りつかれたとのこと、嬉しい限りです。
社長~又、一段とパワーアップしまますね。
近々美味しいお酒で、乾杯させてください。
                                              S,O

もう6年前になると思いますが、いろいろと相談に乗って頂き有難うございました。
あの時の社長のお言葉が「もう一度やってやる」という気持ちにさせてくれました。
今は、何とか皆様のご協力により少しづつ「描いていた夢」に向かって歩んでいます。
今後とも、なお一層努力してまいりますので宜しくお願い致します。
江ノ島でマンションの建設を行っていますので、また営業の極意を教えてください。
                 M,T

これからも、残高の一部で構いませんので、ご指導下さいますよう引き続き、宜しくお願いします。
                                              M,H

先輩の生命力で病気まで退治されたことは、素晴らしいことでございます。同じ病気で手術された方々へ是非、希望が持たれる
ように更にどんどん前へ進まれて下さいますように念じております。

私も一昨年の長期入院があり、改めて今後をどう生きるかを真剣に考えました。
やはり一抹の不安をかかえています。

お陰様で退院して早くも1年3ヶ月経過しました。今年は3ヶ月に一度の検診になり、今年末まで検診は続きます。
見た目は、まさに普段と変わらない状況ですが、夜の付き合いも減らして、酒も現状止めて気をつけながら、何とかと思っております。

是非、今後もご指導の程宜しくお願い申し上げます。
                                               K,Y

生きがいと言うものは、人間がイキイキと生きていくためには空気のようなくてはならないものである。しかし生きがいは損なわれ易く、奪い去られ易い。
友は生きがいであり財産だ。


蕎麦パーティーを

2012年03月31日 | 最大の財産

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                         (荏柄天神社)

ご報告の返信より⑧
(固有名詞や特定の言葉は省略した)

おめでとうございます。
ご本人に直接お伺いできる事項ではないので心配しておりましたが、今日の「ご報告」を聞き本当に安堵しました。
良かったらお祝いの「そばパーテー」をやりましょう。声をおかけいただいたら夫婦で参加させていただきます。
最近腕も前よりはちょっと上がってきたかなーとも思っております。
それといつも練習作を差し上げている人から高価な道具を戴きました、僕には「宝の持ち腐れです」と申し上げたら「更に精進に励みなさい」という意味ですと言われたのでありがたく頂戴いたしました。
この道具で打ったらきっとおいしいそばを食べていただけると思います。
今後もお体には十分お気を付けください。またお会いできるのを楽しみにしております。
                                            N,A

昨年11月に食した蕎麦打ち二段の腕を持つ彼の「三たての蕎麦」の味を、うるさい舌を持つ自分は忘れられない。あの時は蕎麦という食べ物を見直した味だった。
また蕎麦を打っている時の彼の真剣で鋭い目つきを、かってビジネスの時でさえ自分は見た事がない。もう一度改めて見たい。

桜の満開の頃に光る海を眺めながら蕎麦パーティーを開こう。20人分くらい彼は一人で打てるだろうか。