海側生活

「今さら」ではなく「今から」

踏まれっ放し

2012年07月25日 | 鎌倉散策

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                                                    (長谷寺境内/鎌倉)

今が盛りの桔梗を撮りたくて長谷寺・鎌倉に出掛けた。
ここに来ると足が自然に四天王像に向く。

仏教の象徴的な存在である須弥山の四方を守護する四天王の中で、持国天は右手に剣を持ち、目は見開き永遠の彼方を凝視しているかのようだ。口は閉じ沈黙の形で、怒りをあらわにしている。

五年半前の病気の際、手術直前に多くのイガイガ虫が襖の隙間から自分に向かって途切れる事無く入って来て驚いた時、自分は持国天が手にしているような剣で、一払いに退治した夢を見てから、この像をわが守り本尊としている。

いつもは観光客で混雑する境内も、さすがに真夏は人影も極端に少ない。
女性ばかりの先客がいた。鎌倉の寺社めぐりに相応しい身軽でしかもオシャレな装いの彼女達は、四天王それぞれに踏みつけられている邪鬼の存在を楽しんでいる様子。
彼女達を邪魔しないように少し離れた位置の他の仏像を眺めていたら、彼女達の会話が聞くともなしに耳に入ってきた。
「天平時代って千年以上も前でしょう」
「ずっと頑張ってきたんだな---」
「可哀相---」
「何だか励まされちゃう」

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「可哀相」と言うのは分るが、「励まされちゃう」と言うのには意表をつかれた。
堂々たる四天王とは次元が違うが、別の次元で踏みつけ専門に生きている輩も確かにいる。

彼女達が華やかに立ち去った後、邪鬼の顔を改めて見直すと、どの鬼も表情が豊かだ。表情豊かと言うより苦しみ悶えている。人間の煩悩の象徴と言うが?-。

立ち去る間際に改めて持国天の顔を見ると、表情は怒りと言うより子を諌める親のような憂いも秘められているように見えた。

踏みつけられている邪鬼の表情は、二日酔いの時の自分の顔のようでもあった。


我が家の流儀

2012年07月12日 | ちょっと一言

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                                                                (浄智寺/鎌倉)

夏祭りの天王祭を今週末に控え、お囃子の練習用の音楽が今日も浜に鳴り響いている。

町内会の幼い15人ぐらいの子供達が、縄を巻きつけた太い丸太を太鼓代わりに叩いている。見ると本物の太鼓は二個しかない。小学高学年生や中学生は笛の練習に余念が無い。聞くと六つの町内毎にお囃子のリズムが皆違うらしい。指南役の大人達は捻り鉢巻の下から汗が滲み出ている。少し離れた所から子供達の母親達が、その風景を眺めている。

現代の都市開発から取り残され、古い習慣や風習が今でも色濃く残っているこの小さなひなびた港町でも、『随分行事の規模が小さくなった、子供の数も少なくなった』と世話役は嘆く。

幼い子供達のキラキラと輝く瞳と、額に光る汗を見て考えてしまった。

行事は季節と風土をどんな風に解釈するかにあり、同時に日本人とは何だ!を知ることである。
そしてカレンダーによって行われる行事は、日本中がどこでも似ているようで、地方により、更に家によって、独特の継承があるところに意味があった。「我が家の流儀」に価値があるのである。

現代、家庭と言う概念が崩壊したと嘆かれる時代だが、それは各々の家の伝統とか伝承を持たないが故のアイデンティティ-のなさのよるものではないか。第一「我が家」と言う言葉が死語に近い。

現在は誰の流儀によるのか、企業の戦略や広告によって日本中が同じプレゼントをし、同じものを飲み、お祭り気分にさせられている。これでは何にもならない。「我が家」の心のリレー的なものが行われなければ、アイデンティティーは継承されないのではないか。

「我が家」で伝えたいもの、伝えるべきものは何か。


七夕の願い

2012年07月07日 | 思い出した

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                                                    (七夕飾り/鎌倉八幡宮)

『ヒロシのお嫁さんになれますように』
『ショウ君が、私の事に気付いてくれますように』
可憐でいじらしい言葉が書かれた絵馬が八幡宮の棚には、提げる空きスペースが無いくらい二重、三重にも結び付けられている。
上を見上げると大きな七夕飾りの吹流しがサラサラと揺らいでいる。

眺めているうちに、「七夕」をどうして「たなばた」と読むのかと、親に教わった遠い思い出が蘇る。
『古くから「七夕」は「棚機(たなばた)」や「棚幡(たなばた)」と書いていた。七夕とはお盆行事の一つで、精霊棚とその幡を安置するのが7日の夕方だったから、7日の夕で「七夕」と書いて「たなばた」と読むようになったそうだ』と。

またその頃、七夕の日は学校に行く前に、親に起こして貰い、寝ぼけ眼のまま姉弟と連れ立って、サトイモの葉に溜まった夜露を集めに行った。陽が登る前に集めないと夜露は蒸発してしまう。それを硯に移して墨をすり、その墨で短冊に願い事を書き、裏山から取ってきた竹笹に結んだ記憶も蘇る。

あの頃自分は短冊に何と書いたのだろう、天の川の星に何を願ったのだろう。また親は、自分をどこに向かわせようとしていたのだろう。
時代が移っても親の願いはもどかしい。

七夕飾りを見上げながら、何を願おうかと考えた。自分はこれまで五年間もの長い間、方々の神社でお願いばかりをしてきた。そして聞き届けて貰い今日が有ると考えている。これからの自分の事は、もうあるがままで良い。
そしてあえて願った。人並みに孫と言うものをこの手に抱いてみたいと。

先日の息子との会話。
「お前の彼女に会いたいな」
「ほっといて頂戴---」と、ケラケラと笑っていた。

当分、願いは果たされそうに無いか。


夏本番を迎える

2012年07月02日 | 鎌倉散策

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                  (茅の輪潜り/鎌倉八幡宮)

「茅の輪」を三回潜った。左回り、右回りに、まるで無限大を意味する八の字を描くように。

六月の晦日は「大祓(おおはらえ)」だ。正月から6月までの半年間の罪穢(つみけがれ)を祓う夏越しの大祓。各地の神社でも執り行われたに違いない。
鎌倉八幡宮でも神事進行役の巫女が説明をしている。『私達が日々生活の中で、知らず知らずに人を傷つけてしまったり、罪や過ちを犯してしまうことがあります。「大祓」は、これら心身の罪穢を祓い清め、人として清浄で正直な心に立ち返り、明るく穏やかな世の中になるよう祈る行事です』。透き通るような心地良い声だ。
 
しかし梅雨の晴れ間の強い陽が降り注いでくる。いつもは広く感じる舞殿の横の境内には人が溢れかえっている。こんなにも罪穢を祓い清めたいと願う多くの人達がいるのかと不思議でもある。

やがて大祓詞(おおはらえのことば)を神官に合わせ声に出して読み、麻と和紙を小さく切った切麻を身体にまきお祓いをした。更に和紙で人の形に型取られた人形(ひとがた)を掌に乗せ、“祓え給え、清め給え”と唱えながら上から下に二度撫で、二度息を吹きかけた。

「茅の輪」を潜っている間、自分はどんな罪を犯したか、どんな穢れがあるだろうか等と考えていた。今年も『我がまま法則』を貫き過ごしてきたが故に、気が付かぬまでも、きっと様々なものがあるだろうと神妙な気持ちになった。

ここ逗子では花火大会も六月初旬に行われたし、先週には海開きも済んだ。そして、この「大祓」も済み、いよいよ夏本番を迎える。

バレンタイン、ハローウイン、クリスマス等のカタカナで表記する行事は、育ち盛りには経験が無く、今でも周囲がどんなに行動を起こそうと、馴染みが殆ど無い。古来よりの習慣や行事は心が満たされる。