海側生活

「今さら」ではなく「今から」

171

2012年01月30日 | 季節は巡る

A

手にした瞬間は「ン?」何の数字かと思った。

かなり前から通っていたお店からの年賀状の中に書かれた数字171を目にした時の話。
災害時に安否等の情報を音声で登録・確認できるサービスにNTTの「災害用伝言ダイヤル 171」があるが、眺めているうちに分った。

そのお店は、古い小さなビルの中にあり、店内はまるでどこかの田舎の駅近くにあるようなレトロな内装に包まれていた。
お店側からは無駄な問いかけも無く、店内は静かで、自分にとっては居心地が良く、料金も六本木の割には安かった。見方を変えれば、女性達は会話が苦手で、他の客は殆ど居なくて、我侭が言え、サービスが良くない分料金も安い店だったと言えるかも知れない。

思わず間が抜けた計算をした。
仮に最初に行ったのが30年前だとすれば、彼女達の年齢は(171歳-30年×3人)÷3人=平均で27歳だったことになる。3人で171歳とか、ママが還暦を迎えるとか、正直に書いてある。こんな年齢の事を印刷したのかと目を凝らすと、この部分はペンで書き加えられていた。

不思議なのは、お店が30年以上も続いているのか、続けられたのか。
また自分は飽きもせず長い間足を運んだのかと自問してみたが、今になり改めて想えるのは、自分の感覚ではビジネスとプライベートとの中間にあって、唯一ホッとする空間だった。

あと10年も続けたら、世界遺産ならぬ六本木歴史遺産に認定されるかも知れない。

しかし歳だけは誰もが、想定外と言う事も無く平等に重ねてゆく。


ジュークボックスの時代に

2012年01月24日 | 好きなもの

Photo

全く予期していないモノを見た時も、過ぎ去った青春を思い出す瞬間がある。


マンションの玄関に背を向け歩き始め、思わず足が停まった。白と薄い紅色が混じったような背の低い花が視野を翳めた。
四~五歩行き過ぎて気が付き、玄関の横の植え込みに戻った。今まで聞いたことはあったが眼にするのは始めてのエリカの花だ。


西田佐知子さんが歌う「エリカの花散るとき」が好きだった。
この歌が流行った頃、いつも腹を空かした貧乏学生だった自分は新宿の酒場でバーテンダーとしてアルバイトをしていた。
華やかに見えたネオンの灯りやお酒には多くの事を学んだ。特にお客さんには様々なことを教わった。

店内にはジュークボックスがあり、「太陽がいっぱい」・「エデンの東」・「禁じられた遊び」などの映画音楽や「見上げてごらん夜の星を」・「銀座の恋の物語り」・「砂に書いたラブレター」など多くの曲を、カウンター上の一杯50円のハイボールを客との中に置いて幾度となく聞いた。

店内の人の話し声やグラスの打ち当たる音やジュークボックスの大きな音などの喧騒の中でも、この曲が掛かるとその喧騒はピタリと止んだ


1 青い海を 見つめて
  伊豆の山かげに
  エリカの花は 咲くという
  別れたひとの ふるさとを
  たずねてひとり 旅をゆく
  エリカ エリカの花の 咲く村に
  行けばもいちど 逢えるかと


特に 自分は“やまぁ かぁげぇんにぃ~♪” や “わぁ かぁ れたひとんのぉ~♪” と 、鼻に掛かった、その物憂げな情感たっぷりの歌声は、たまらなかったし、更に“エ~リィカァ♪”には吸い込まれそうだった。

まだ見ぬエリカの花を探しに伊豆に旅したいとも思った。
「アカシヤの雨にうたれて」や「ワン・レイニー・ナイト・イン・東京」や「ウナ・セラ・ディ・東京」などもよく掛かった。


人は自分の人生と歌をどこかで重ねて聞いているのだろうか。
エリカの花を見て、思わず青春の一コマを思い出してしまった。


どんと焼き

2012年01月17日 | 鎌倉散策

Photo

久し振りに小正月の行事に参加したくて出掛けた。


この正月に飾った小さな門松や注連飾りや三方などを持ち、鎌倉八幡宮の祭場に持ち込むと、神職が丁寧に受け取り、「どんと」まで運んでいる。
祭場の源氏池の畔にはすでに、棒状に編まれた米藁が何段にも重ねられ、高さ5mぐらいの円錐形に型取られた「どんと」が二基用意してある。


薄曇の空模様の中、七時から始まった神事の間、冷気が足元から身体中に這い登って来るようだ。300人ぐらいの参拝客も方々で静かに足踏みをしている。


この左義長神事(さぎちょうしんじ)は、自分の田舎では「どんと焼き」と呼んでいたような記憶がある。親は習慣や伝統行事を重んじる人だった。
親の言い聞かせはウロ覚えだが『正月に家々を訪れた歳神様が、1月15日の未明にはお帰りになるので、その神々を送る火祭りだ。そして年の始めに当たり、穢れを祓い清め、暖かい春の到来と今年の豊かな収穫を祈る祭りだ。また、この火で餅を焼いて食べると病気に罹ることも無い』とも。
風邪を引きがちだった自分には『餅を焼いて食べる』と言う言葉が強く記憶に残っている。


火が点けられると、瞬く間に燃え盛り、時折バチバチと大きな音を立てながら一気に頂点まで炎が駆け上った。周囲に藁の燃えカスが舞い上がり、人々の頭に、肩に降り注いで来る。炎の熱が冷え切った身体に暖かさを伝えてくれる。有り難い。
この時、思わず今年も新年を迎えられた事に素直に感謝し、燃え上がる炎に向かって手を合わせた。


「どんと焼き」は様々な呼ばれ方をして全国にあると思うが、東北沿岸部では行事として今年は出来たのだろうか、気掛かりだ。


様々な伝統行事が消えつつある今、地方毎に独特の特色があり、先祖の心を語り継ぐ素朴なものの一つとして残していきたいと願う。


この時、焼いた餅は食べられなかったが、帰る途中、湯気が出ている饅頭を頬張った。


我がままに生きる

2012年01月10日 | 海側生活

1111_013

この二月で膵臓癌の手術後、満5年が過ぎる。

手術前に『手術後5年生存率は9%』と言うウエブ上の文字にココロが乱れてから、この五年間は病気の再発の懸念が、どこに居ても何をしていても、決して言動には出さなかったが考えの中心にあった。


この新年を迎えられるなんて何と言う幸運だろう、誰に感謝すれば良いのだろう。
そして今年も一歩を踏み出した。この一歩には重みがある。これまで毎年、もしかしたら二歩目は無いかも知れないと、新年の一歩を踏み出す度に考えていた。


気が付けばココロも小躍りしている。一つの節目を越えると言う事は、こんなにも晴れ晴れしい気持ちになるものなのか。


予定に無かったこれからを、どう生きるか、どこに向かうか。


夢は寝ている時に見れば良いとして、大事なのは目標と目的だ。
自分で決めた我がまま法則「お・ち・あ・い法則」を更に徹底しよう。しかし身近の人や友人達にこれまで以上に迷惑を掛けてしまいそうだ。


そして、カメラ片手に終わりの見えない歴史散策を続け、非日常の環境で自分を発見したい。そして人間の世界は、こんなにも広く、こんなにも多様で、こんなにも豊かなのだという未知をもっと実感したい。


思えば人は人生に幻影を追って旅をしているのかも知れない。


ともかく今年も「海側生活」のスタートが切れた。
『元気で過ごしています』と、友へのメッセージの積もりで、今年も想い感じたままの事を記していきたい。