海側生活

「今さら」ではなく「今から」

寂しい”枝垂れ桜”

2017年04月20日 | 感じるまま

(鶴岡八幡宮/鎌倉)
夜の長い冬から開放され、春は生き物達が活気付く。
霞む遠くの富士山には雪が残っているものの、うららかな春の野に響く鳥の囀り。畑の脇には草萌えと共に背丈の低い野の花がいろいろと咲き出した。足を止め、かがみこんで観ると忙しく動き回る天道虫の姿。冴え返りの日はあっても少しづつ日差しは強くなり、辺りは明るい色に溢れる。自然に生きる命の鼓動を感じ易い季節だ。自然との一体感は幸せと豊かな気持ちを運んできてくれる。

先日まで枝いっぱいに花を咲かせ、瞬く間に半分以上の花を散らした枝垂れ桜が風に揺れている。手に取って観ると散った花のすぐ隣には萌黄色の小さな葉が早くも芽吹き始めている。日が落ちて青白さを増していく花を一人眺めていた。辺りが暗くなるに従い、花の向こうに橙色の明かりが灯った。お寺の方のお住まいだろうか。風で枝が揺れる度に灯りがチラチラと見え隠れしている。

桜の余韻に浸りながら、冬の間伸ばしていた髪の毛をカットに床屋に入った。
 「これでどうでしょう!」と、今日も自分の頭を見事にピカピカに剃り上げた床屋のオヤジが、大きな手鏡を後ろから見せ聞いてくる。思い切って短くカットして下さいと注文していた。
カットし終えて「どうでしょう」と聞いて来るのは、いつもの事だが、カットしてしまった後に聞かれても、切った髪はもとに戻らないのに、どうして聞くのかなと今でも分からない。
前の大きな鏡に映る自分の後頭部を見て唖然とした。カットしたのが長すぎたとか短すぎたと言う事ではない。

毎朝、髭を剃る時は洗面所の大きな鏡を見ながら、ただ習慣で剃る。だから、ここ数年の間に、まるでカツラが後ろにズレたように額が広くなってきたのも当然分かっていた。しかし毎日見ていると慣れてしまい特別の事ではなかった。ただ後頭部は見ることがなかった。手鏡は使う事が無い。

狼狽えた。後頭部はまるで花が散った枝垂れ桜の状態ではないか。髪の毛のボリュームよりも、先ほどまで観ていた枝垂れ桜の向こう側の塀みたいに地肌部分が首筋まで透けて見えている。見たことが無い間が抜けた空間が方々にあった。そう言えば雨が降り出した時は、かなり以前から頭のテッペンで感じていたし、花吹雪も頬や頭で感じていた。これから空から落ちてくるモノは後頭部でも感じるのかもしれない。

オヤジに挨拶もそぞろに店を出た。

山や野の緑色が鮮やかに色濃くなっていくのに、わが頭髪は永遠にサヨナラしたままだ。

ご報告

2017年04月09日 | 海側生活

(妙本寺/鎌倉)
10年経ちました。
思わぬ病気の発見と手術以来、早10年もの時が流れました。

膵臓癌の5年生存率は、予後は非常に悪く、部位別癌の中で最下位(5%)であり、治療がきわめて困難な癌の一つです。外科切除の対象となりますが、リンパ節転移が早い段階でみられます。切除した場合でも5年以内に約7割が再発する統計があります。覚悟はしていたものの、半ば上の空で医師の説明を聞いた10年前でした。

手術後の抗癌剤による治療中に思いました。「もう全てを終わらせたい、病気なんかウンザリだ」と。「終わりっ!」と叫びたかった。

退院後、遠く離れ会う機会が少なかった叔父・叔母や従兄弟・従姉妹、幼馴染たちを訪ねました。更にお世話になった方々を観光と称して訪ねました。お会いしたかった全ての人にお会い出来ました。そして心の中でお別れを告げることも出来ました。ついでに少年時代に通った学校や思い出の土地や場所にも足を運びました。この頃、その時を迎える心の準備が整ったように覚えています。
結果として初めて解ったことや多くの気付きがありました。

その後、自分の気力や体力がどの程度のものかを試したくて東海道五十三次を歩きました。京都・三条に着いた時は、思わずガッツポーズをしたものでした。

今、ひたすら感謝したい。家族に感謝、友人に感謝します。
信仰心が薄い自分に神は自分に二度までも苦難を与えられたが、その代わりに自分を助けてくれる人をも遣わしてくださった。それを今、神に感謝する。もし自分に苦難が与えられなかったら、自分はそれらの人々の愛情と理解に巡り合えなかっただろう。それは自分の人生の宝だ。
そして当初の診察から今日まで、変わらぬ的確な診断と判断で、夜中でもまるで我が子を診る母親のように相談に乗って頂いた主治医の真摯な医師としての態度に感謝します。

今、癌全体の10年生存率は6割で「癌は不治の病」という印象の払拭につながるデータがあるが、膵臓は3.1%とある。まさに毎日奇跡の中で生きている

これまでも自分が好むように生きてここまで来ました。言いたいことを言い、したいようにやってきました。人を羨望せず、嫉まず、怨まずに正直に過ごしてきました。こう生きるしかなかったから、こう生きました。よくもここまで生きてこられたものだとつくづく思います。

今、改めて「さようなら」の代わりに「ありがとう」。

迎える毎日が奇跡だ。
今からも自分の『我がまま法則』を通して生きます。
人生は寄り道、道草、回り道が楽しいことに気付きました。

アルコールはめっきり弱くなりました。また脂質が多い食べ物は苦手になりましたが、今後とも変わらぬお付き合いをお願いします。