今、浜では海鼠漁の最盛期だ。
今朝も獲れた桶一杯の海鼠を眺めていると、見た目にグロテスクな、こんなモノを人は良く食べるなと感心する。
古くは単に「こ」と呼ばれていた。干したモノを「干しこ」とか「いりこ」というのに対して、「生こ」とされたらしい。
漢字の「海鼠」の字は、夜になると這いずり回り、又その後ろ姿が鼠に似ていることから当てられたと言う。
三月ごろから夏の間は、餌にする海藻、貝類を捕るのを止め深場に落ちる。そして水温が16度以下になる冬に活発に活動すると言う。
また海鼠は危険を感じると内臓を出して天敵の目をくらますらしい。その内臓は再生することが出来るとも聞いた。
夏目漱石は『我輩は猫である』中でこう書いている。
「始めて海鼠を食ひ出だせる人はその胆力に於て敬すべし、始めて河豚(ふぐ)を喫せる漢はその勇気に於いて重んずべし。海鼠を食えるものは親鸞の再来にして、河豚を喫せるものは日蓮の分身なり」
何でこんなところに親鸞や日蓮が出てくるのか分からないが、しかし初めて海鼠を口にした奴は確かに偉いと思う。
自分の郷里では、正月のお節料理の大皿が幾つも並んだお膳の真ん中に、海鼠の切り身を三杯酢にした大きな器が据えられ、正月料理の定番だった。また自分のオヤジは、自分で捌いた海鼠の内臓の塩辛を「このわた」、卵巣の塩辛を「このこ」と、来客に最上の珍味だよと自慢げに説明しながら、酒を口に運んでいた。
自分は、捌いたものを熱湯に潜らせ、身を多少柔らかくして食するのが好きだ。
しかし海鼠を食べた事が無いと言う人は多い。
海鼠に限らず食べ物は、その人が本当に美味しいと思うようにして食べたら良い。通ぶって美味しいものを不味く食べるのは愚かな事だ。