海側生活

「今さら」ではなく「今から」

海鼠(なまこ)

2011年01月26日 | 魚釣り・魚

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今、浜では海鼠漁の最盛期だ。

今朝も獲れた桶一杯の海鼠を眺めていると、見た目にグロテスクな、こんなモノを人は良く食べるなと感心する。
古くは単に「こ」と呼ばれていた。干したモノを「干しこ」とか「いりこ」というのに対して、「生こ」とされたらしい。
漢字の「海鼠」の字は、夜になると這いずり回り、又その後ろ姿が鼠に似ていることから当てられたと言う。
三月ごろから夏の間は、餌にする海藻、貝類を捕るのを止め深場に落ちる。そして水温が16度以下になる冬に活発に活動すると言う。
また海鼠は危険を感じると内臓を出して天敵の目をくらますらしい。その内臓は再生することが出来るとも聞いた。

夏目漱石は『我輩は猫である』中でこう書いている。
「始めて海鼠を食ひ出だせる人はその胆力に於て敬すべし、始めて河豚(ふぐ)を喫せる漢はその勇気に於いて重んずべし。海鼠を食えるものは親鸞の再来にして、河豚を喫せるものは日蓮の分身なり」
何でこんなところに親鸞や日蓮が出てくるのか分からないが、しかし初めて海鼠を口にした奴は確かに偉いと思う。

自分の郷里では、正月のお節料理の大皿が幾つも並んだお膳の真ん中に、海鼠の切り身を三杯酢にした大きな器が据えられ、正月料理の定番だった。また自分のオヤジは、自分で捌いた海鼠の内臓の塩辛を「このわた」、卵巣の塩辛を「このこ」と、来客に最上の珍味だよと自慢げに説明しながら、酒を口に運んでいた。

自分は、捌いたものを熱湯に潜らせ、身を多少柔らかくして食するのが好きだ。
しかし海鼠を食べた事が無いと言う人は多い。

海鼠に限らず食べ物は、その人が本当に美味しいと思うようにして食べたら良い。通ぶって美味しいものを不味く食べるのは愚かな事だ。


富士山との会話

2011年01月21日 | 海側生活

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空気が凛と冷たい朝だ。人の心を家の奥に閉じ込めてしまうような冷たさだ。

ルーフバルコニーから見る富士山は五合目辺りまで冠雪し、昇ったばかりの陽にピンク色に染められ、一面の透き通るような青い空に向かってその姿を思いっきり伸ばしている。
自分も富士山と同じように朝一番の陽光を身体の正面いっぱいに浴びながら、やや両足を開き、腹に力を入れて太陽に「おはよう!」と挨拶をする。そして思いっきり深呼吸をする。瞬間に体の中心までに冷気が入り、思わずブルッとくる。
そして身体の向きを変え、富士山に「アンタは今日も綺麗だね」と語りかける。すかさず「君は今日も調子が良さそうだね」と返事が返ってくるような気がする。眼下の漣をまとったキラキラ光る海も、自分に何かを言いたそうだ。

昨夕、初めて眼にした光景があった。
日没直前に向かいの伊豆半島の山際が茜色に染まり始めた頃、熱海から天城山辺りに掛けて、まるで先の割れた太い筆に墨を付け、縦に線を描いたような黒い無数の細い線を見た。半島を覆い隠してしまいそうだ。日頃眼にしている陽光が雲の間からこぼれる放射線状の光線ではない。また夏の夕立の白い幕を下げている様な色でもない。まして立ち上る煙などではない。今まで見た事の無い珍しい光景だなと思った。

朝になり凛とした空気に身を晒した時、昨夕の光景を理解できた。あれは放射冷却で地表の熱が霧になり上昇しているのだ。その霧が風も無く、逆光でシルエットになり、自分の目には黒く線になって見えていたのだと。
それにしても空気が冷たい朝だ。

富士山や朝の太陽と会話を交わすと、「これから」を考える前に、「これまで」を感謝したくなる。


願う人

2011年01月17日 | 興味本位

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正月の行事も一通り終わって、巷の喧騒が再び蘇って来た。

正月松の内には数多くの古代からの行事が形を変えながら伝えられているが、お年玉は年魂と言う豊穣の神の訪れであり、門松や注連縄(しめなわ)は私達の祖先を迎えるためと言う程度は知っている。しかし自分が毎年、腑に落ちないと感じているものに初詣がある。日頃特別の信仰心を持っていない人でも、初詣だけは行うと言う人が多い。

「吾妻鏡」では源頼朝が「日の吉凶に関わらず正月一日を鶴岡若宮への奉幣の日と決めた」と治承五年(1181年)に記述があり、日本の初詣の始まりだと言われているが、鎌倉時代よりもっと以前より古い寺社では、大晦日から元旦に移る一瞬に、様々な形での儀式があったのだろう。これが我々の太古からの日本人の記憶になり、またそんなDNAが刷り込まれ、初詣に駆り立てているに違いない。
自分を含め、信仰心の無い者が何故初詣に行くのか興味深い。今後古い寺社等を訪ねてその根源を探ってみたい。
今年も、延べ8千万人近くの人々が一斉に寺社に詣でたと言う。 

自分は混雑を避け地元の小さな神社・森戸神社に参拝した。この一年の平安無事を祈願した。

神仏に向かって「家内安全---」と願う人は、まずまず安定した幸せな人だと思う。事が差し迫っている人は、もっと願う内容も具体的だと、我が身を顧みながら感じた初詣だった。


「日本人的」な行い

2011年01月14日 | 興味本位

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夕食後ニュースを聞いていたら、プロレス漫画タイガーマスクの主人公「伊達直人」を名乗る人物から子ども宛ての贈り物が各地で相次いでいることについての談話が聞こえてきた。

自分は良くは知らなかったが「タイガーマスク」は「巨人の星」や「あしたのジョー」と並んで、梶原一騎氏の代表作で、1970年前後に雑誌に連載されたらしい。物語は「孤児院ちびっこハウス」の「伊達直人」は「タイガーマスク」としてプロレスデビューをしてからは収入の一部を匿名で自分が育った孤児院へ寄付するようになった。様々な試練を乗り越えながら世界の強豪達に挑んでいく、

全国各地の児童相談所や児童養護施設などなどに贈り物を届けている「伊達直人」は全国にいるらしい。また別のキャラクターを名乗ったり、贈り物も様々らしい。
彼等に本名を名乗れない又は名乗らない事情があるのだろう。或いは匿名のほうが義援し易いと言う事なのか。送り主の詮索があり、もし自分だったら“俺だよ”と気付いてほしい功名心をキッパリ捨てられるか自信は無いが、彼等はどう対処するのだろう。久し振りに、自分が好きな“日本人”的な行いに心が休まる。

談話では厚労大臣が「温かい気持ちに感激している」と述べ、続けて「国の施策を充実させ、大学進学率の向上に取り組む」とも強調していた。続いて文科大臣が「そんな暖かい社会を目指しています」と述べていた。

しかし談話を聞いて“何か変だぞ“と思った。政治家でもある大臣が二人までも談話を述べる出来事なのか、また談話の内容も贈り物を受けた施設側の目標の発表か、単純なお礼の言葉と勘違いしそうな内容だった。
大臣と言っても自分は名前すら覚えていない、また何時までその職にあるのか、政治の混沌の時は続いている。
政治は日本をどこに導こうとしているのか。

官邸の「直人」の影が又一段と薄くなったのは間違いない。


今年も我侭に

2011年01月11日 | 海側生活

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2011年1月11日と1が五つも並ぶと、何だかスタートラインに立たされたようだ。

膵臓癌の手術後5年目を迎える。
手術前には医師は、この事については何も言わなかったが、手術後5年生存率は5%と言うウエブ上の文字にココロが乱れてから早4年が過ぎた。きっと今年が自分にとって区切りの年だろう。

明日は手術と言う日、病院のベッドの上で「自分の人生の次の章には何が書き綴られるのだろうか」と日記のページに記した。
そして今、自分は同じ言葉を呟く。恐れずに生きる事、生に向かって戦いを挑む事、と。

そして今年も一歩を踏み出した。この一歩には重みがある。自分には、もしかしたら二歩目は無いかも知れない、その一歩を今年も確実に踏み出した。何が待っていようとも、そんな充実感の中で未来に向かいたい。

アタマで考えるよりも、全てにココロで感じる事とカラダで動く事が大切ではないかと自分に言い聞かす。
そして、誰かの詩の一行だったか、それとも誰かの墓碑銘だったか忘れたが「生きた、愛した、死んだ」の一生も悪くないと思う。

今年も、好きな事だけを我が侭に「今さら」と思う事なく「今から」と行動したい。
しかし身近の人達には、これまで以上に迷惑を掛けてしまいそうだ、友人達にも。

「海側生活」を今年も新たにスタートを切った。
「元気で過ごしています」とメッセージの積もりで、今年も感じた侭の事を記していきたい。