海側生活

「今さら」ではなく「今から」

時の流れ

2014年09月28日 | 鎌倉散策

                                        (浜降式/由比ヶ浜)

起き抜けにベランダに出たら思わずブルッときて、細かい鳥肌が立った。

富士山は、夏の間は雲に覆われてその姿を見る機会も少なかったのに、今日はボンヤリと全体を現している。その姿はボーとして何だか眠そうだ。雲は丸く上へ上へと膨れ上がるような入道雲から、横へ伸びる細い箒雲に代わっている。身体を掠めるように通る風は、海からではなく、山側から吹き降ろして来る。
いつも間にか季節は大きく変わった。

鎌倉の町も秋の始まりを告げる行事が先日行われた。
鶴岡八幡宮の例大祭だ。その幕開けは浜降式から始まる。宮司や神職が前日より参籠し、翌日早朝の由比ヶ浜で禊を行い、浄めの証として藻塩草(海藻)を持ち帰り社頭へ捧げる神事だ。

2㎞先の八幡宮から隊列を組んだ一行・約40人が到着した時、浜はまだ薄暗い。
全員が白装束だ。頭には「鶴の丸」が描かれたい白い布を巻いている。
波打ち際から10メートルあたりに設えられている、青竹に注連縄が張られた忌竹の前で一連の神事が終わる。やがて40人の神職達は白装束を脱ぎ捨て、白褌一つで海中に入る。夜明け前の、全てが薄い青に見える世界で白褌と頭に巻いた布だけが海中から白く浮かび上がってくるようだ。

やがて海藻を手にした神職達は用意された箱に収め帰路に着いた。ようやく東の空は白み始めていた。

三日続いた例大祭は、鎌倉武士の狩装束に身を包んだ射手が、馬で駆けながら馬場に配された3つの的を射抜く神事・流鏑馬で締められた。

「光陰矢の如し」、まさに世の中のトレンドや時の流れは早足だ。

今年の秋も迎えることが出来た。


鐘が響き渡る

2014年09月08日 | 海側生活

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                                     (光明寺/鎌倉)

夕焼けが茜色に空一面を染める季節がきた

光明寺は風格を備えながらもオープンな気風が満ちている。潮風に晒された山門を潜ると青銅色の本堂の大屋根が目に飛び込んでくる。境内は広く参道の両側には風雪に耐えた桜の古木が、今でも四月になると花を咲かせ多くの人を引き寄せている。

また毎年10/12~15には、520年に渡り続いている宗教行事が行われる。人々の安穏な生活を願い、同時に先祖の供養をする行事らしい。期間中は茶席が設けられ、雅楽が奉奏され、説教や各種法要が間断なく行われる。 100メートルにも及ぶ練行列は見ものだ。

また13.14日は朝から、総門から山門に至る長い参道の両側に屋台が並ぶ。提灯の明かりに照らしだされた様々な業種の夜店は遅くまで賑わう。夕方以降は半歩ずつでも前に進めないほどの多くの参拝客でごった返す。中には参拝は省略して、馴染みになっている焼き鳥屋などに酒を飲むだけに来る人もいる。

楽しませてくれた蓮の花も、今、実が褐色になる季節を迎えた。境内を渡る潮風が体に優しい。人影も無い。
陽が西に傾き始める頃、若い住職さんが鐘楼に向かい駈けていく。5時の鐘突きだ。低いゴ~ンの音は本堂の大屋根で跳ね返り、材木座海岸から茜色に染まり始めた空や海原へと響き渡って行く。

平凡な日常にこそ安らぎがある。