やり残した事がある。
それは忘れ物に気がつきながら、長い間ズルズルと今日まで放置したまま過ごしてきたような思いがしている。
かなり前になるが、自分のそれまでの仕事の関係で知人も多く居る海外に幼い息子と度々旅行した。旅行の回数が増す毎に、やがて息子との接し方に疑問を持つようになった。息子は日本国内も又日本の事も満足に知らないのに、折角の自分との時間を海外で過ごして良いのか、もっと自分の国・日本と言うものを教え、そのための時間を共有すべきではとないかと考えた。
そして息子が10歳の夏休みに実行に移した。
東京・日本橋から京都・三条大橋まで約500km、53の宿場を持つ街道・東海道五十三次を自転車で走る事を。
自分も息子も長距離を自転車で走る事は経験が無かった。日本橋から200kmの掛川の宿で息子は39度の風邪熱で朝食も殆ど喉を通らなかった。病院で息子は言った「一日だけ休ませて」と。最後まで走り抜きたいと言う息子の意思が強く伝わってきたが、今回はここまでと断念した。
短い一週間だったが、共通の体験を通じて、息子の様々な考え方が改めて理解できた貴重な体験だった。
今まで計画を立て、実行に移し、目的とした結果が出ようと出るまいと最後まで行ってきた。それはビジネスでも遊びでもそうだった。これまで自分はそんな生き方を生活信条としてきた。
それ以来、長い間、頭の片隅に忘れ物としてその事が残っていた。
今、残りの掛川から京都・三条大橋までの区間を走りきろう、しかし今度は自転車ではなく歩いて行く計画を立てた。
歩く意味は特別には無い。ただやり残した事を済ませたいだけだ。サラリーマンの息子に話すと「時間が有る限り同行させて貰う」と快諾。息子は空いた休みの日だけ新幹線で来て、一日か二日だけでも自分に合流すれば良い。
掛川から京都・三条大橋まで27宿場、距離約300km、予定日数は不明。体力は自信が無い。それぞれの土地の美味いものを食べ、史跡を訪ね、写真を撮り、温泉に入りと道草を食いながらのんびりと歩く積もりだ。出発日は5月10日と決めた。
京都・三条大橋に着いた時、自分は何を思うだろう。何が待っているのだろう。自分の心境にどんな変化が起こるのだろうか。
※一緒に歩きませんか。一日だけでも、貴方のお気に入りの宿場町を--。