海側生活

「今さら」ではなく「今から」

小さな事

2013年02月25日 | ちょっと一言

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                   (ロウバイ/明月院・鎌倉)

『離婚してもイイわ』
子育てが終わろうとするある妙齢の女性が言う。

聞けばどうやら誤解があるらしい。
小さな事に拘るのは人としてのスケールが小さいからだと思いがちだが、そうではない。人は元々小さな事に無防備なのだ。

ほんのチョットとした事である。帰宅すると夕食の支度が出来ていなかった。イヤミな一言を投げかけず、新聞を読むぐらいの時間を我慢していれば、和やかな夕食になったのに。或いは夫婦で待ち合わせて買い物しようと言う時、奥さんが十分ほど遅れた。「約束したのだから時間はキチンと守れョ」と、駆けつけた奥さんに夫が仏頂面で小言を言う。それから三日間互いに口をきかなかった。

人は大きな不幸には耐えられる。妻を亡くした夫は雄々しく悲しみに対処するだろう。大きな事には人間はいたって強い。しかし小さな事には無力である。ガンが発見された時には覚悟して入院・手術もするが、爪を切りすぎただけでイラつき、人に当り散らしたりする。

大きな不幸には社会に順応する術がある。知らず知らずのうちに対処の作法を学習している。しかし小さな出来事は、日常の生活に付き物ながら、現れ方や現れる時の条件がいつも違っている。そのとき学習しても。次の時には、もう役には立たない。イヤミな一言や仏頂面が飽きもせず繰り返される。

これらはその人の大きさやスケール、性格と言った事とまるで関係が無い。それは生きている証のようなものだ。
現実は、小さな不幸が単調になりがちな暮らしにメリハリをつけている。

しかし争い事は小さくても、失うものは大きい。


寒の荒行

2013年02月18日 | 思い出した

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                         (長勝寺/鎌倉)

髭面の精悍な風貌は、行者の風格が漂っている。

寒風が吹きすさぶ参道を団扇太鼓に導かれた行者姿の修行僧が水行場に向かってきた。大声で経文を唱えている。信者は合掌し見守っている。気温は5度。
昨日までの100日間、千葉の山中の道場で「寒の荒行」を積んで来た僧達が無事に終了し、最後の水行で満了を示す成満祭だ。今朝、鎌倉に着いたばかりだと言う。

聞けば修行中は髪や髭も剃らず、爪さえも切る事が許されない。起床は三時半、朝晩に粥を食し、一日七回の冷水をかぶる日々を送る荒行に耐え、この日を迎えた。そして僧達が出身の寺に帰る帰山の日でもあると言う。

それにしてもカメラマンが多い。腕章を着けた報道関係者も多い。水行場の周りに三重四重に陣取り、その時を待っている。皆が雨合羽を身に着けている。信者は遠巻きに見守っている。

僧達は、白衣を脱ぎ捨て褌一枚になった。経文の唱えも一段と高くなった。続いて水貯場から手桶で冷水を両手で汲み上げ、頭から繰り返しかぶる。一挙一動が皆同じだ。激しく水飛沫があがる。周囲にも飛び散っている。

国家の安泰と世界平和を祈念する。2月11日、長勝寺/鎌倉での行事。

寒風の冷たさも忘れるほどの緊張感を気持ちの中に残したまま、山門を後にした。
   
ビジネスの世界でも、自分がこれまで接してきた成功者には、その足跡を辿ってみると、経営者としてまた人間的な成長を遂げる前には雌伏の時代がある。非常に辛く厳しい経験をしている。その経験が成長のバネになったと感じさせられた人も多い。

特に自分が勤めていた会社の創業者S,Yさんは、滅多に言葉に表す事は無かったが、使命感を持ち、達成意欲の強い方だった。
実に多くの事を教わった。現在もお元気だ。
今でも、ふとした折にあの当時の“刷り込み”が顔をもたげる。


孫に会いたい

2013年02月12日 | 季節は巡る

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                       (沈む月/小坪より)

再び手に取り、まじまじと見詰めてしまった。
円らな真っ黒の瞳の真ん中がキラキラと輝き、盛んに何かを話しかけてくるようだ。
瞳を見詰めていると、その子の明るい未来が見えてくる。

後輩からのその年賀状には、『昨年は新しい家族にも恵まれ、賑やかに新年を迎えました』。写真の添え書きに「‘12年12月12日誕生」とある。

改めて200枚を越える年賀状を読み返した。
暮に頂いた20数枚の喪中挨拶状も一緒に、ジックリと一字一句を読み、葉書を下さった方々に思いを馳せる時、自分がこれまで歩んできた道や履歴が一つのストーリーにまとまる。

毛筆で手書きされた賀状に思わず見入ってしまう。また自分にしか通じない一言が書き添えてある言葉に思わず“ありがとう!”とか、“分っています”とか呟いてしまう。

中には干支を図案化した自作の版画を、もう20年以上も下さる方もある。色の種類から判断して、一枚を仕上げるのに何回刷毛を使うのだろう。狭い葉書の中に創作の過程が滲み出ている。思わず本人の顔も目に浮かぶ。

また家族写真を印刷した賀状が例年になく多い。旅先のドバイでラクダを使い移動中のショットやミラノのドゥオモを背景のショット等も奥さんとの素敵な思い出になったに違いない。また趣味のスキーやカヤックやボートなどで楽しんでいるショットにも相変わらず元気そうでココロが安らぐ。また孫達との団欒やペットと和みのひと時の写真も多い。或いは子供の就職や進学の様子を写真と共に報せて頂く方も少なくない。
中でも、繰り返し手に取り、読み返し、写真にも見入ってしまうのが、『新たに家族が増えました』と一筆添えられた賀状だ。赤ちゃんの笑顔と輝く眼に引き込まれてしまう。

それらの葉書を見詰めるうちに、ふと考えた。
自分は孫を抱っこする時は来るのかと。

先日の息子との会話。
『彼女を紹介しろよ!』
『♪ほっといて頂戴~』と歌うように返事が返ってきた。


老人力がつく

2013年02月04日 | 海側生活

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                     (初雪/海蔵寺境内)

『加齢と共に症状も変わってきます』

風邪を引き、やがて鼻水や咳は止まったが、微熱が下がらない。今まで治るまでこんなにも時間が掛かる事はなかった。気になり二度目の受診をした時の話。新年早々に、聞きたくない言葉を、診療現場に出て間がないと見える若い医師から聞いてしまった。

分っている積りだった。洗面台に向かう毎朝、己の顔を観てしみじみと感じていた。しかし分っている積りの事を面と向かって言われると、何だか最後通告を突きつけられたような気分になる。

      (潮神楽/材木海岸)Photo_2

振り返ってみると、正月以降も出掛ける日が多かった。肩もぶつかるほどの人出で賑わった境内で、商売繁盛を願う本恵比寿(本覚寺)に出掛け福娘をカメラに収めた。また寒風が吹きつける材木座海岸での漁業関係者が行う潮神楽に参加したり、初雪の寺社境内を撮りに足を急がせたりと正月らしい時間を愉しんでいた。

三週間経ち、やっと節分の鬼と共に熱もどこかに消えてくれた。
この間、新年会を三つ、友との約束を五つも反故にしてしまった。
何もやる気が起きず、まとめて本だけは読めたが、作家・赤瀬川原平さんが「老人力」で言っている。
『仲間内の会話で、共通の知識をお互いに忘れている事がよくある。何かの例え話をしようとしていて、ある人物の名前が思い出せず、
「え~と、ほら、あの、あれに出ていた---」
「そうそう、あれでしょ。あの、ほら、あれ---」
でもお互いに意味は分っているので話は続けられる。こういうのを僕らは「老人力がついてきた」と言う。
普通は歳を取ったとか、モーロクしたとか、あいつもだいぶボケたとか言うんだけど、そう言う言葉の代わりに「あいつも、かなり老人力がついてきたな」と言うのである。そうすると何だか歳を取ることに積極性が出てきて、なかなか良い』と。

(本恵比寿/本覚寺)
Photo_4 また、モノの本には、視力の衰えや聴力の低下、足腰が弱り無理が利かなくなる等、身体面での老化現象が現れてくる。それに伴い知能の衰えは記憶力に現れ、特に新しいことを記憶する力が衰え、記憶を取り出す力も落ちるため、もの忘れがひどくなる。精神面では、感受性や積極性が減少し、物事に感動しにくくなり、また、保守的になる、とも。

三週間の間、ブログも更新しなかった。十数人の友から「どうしたの?風邪でも引いたの?」との気配りを頂いた。

自分も心身共に「老人力」が本格的についてきたのかな---。

森羅万象に野次馬根性を、更にパワーアップしよう!と改めて自分に言い聞かす。