(ロウバイ/明月院・鎌倉)
『離婚してもイイわ』
子育てが終わろうとするある妙齢の女性が言う。
聞けばどうやら誤解があるらしい。
小さな事に拘るのは人としてのスケールが小さいからだと思いがちだが、そうではない。人は元々小さな事に無防備なのだ。
ほんのチョットとした事である。帰宅すると夕食の支度が出来ていなかった。イヤミな一言を投げかけず、新聞を読むぐらいの時間を我慢していれば、和やかな夕食になったのに。或いは夫婦で待ち合わせて買い物しようと言う時、奥さんが十分ほど遅れた。「約束したのだから時間はキチンと守れョ」と、駆けつけた奥さんに夫が仏頂面で小言を言う。それから三日間互いに口をきかなかった。
人は大きな不幸には耐えられる。妻を亡くした夫は雄々しく悲しみに対処するだろう。大きな事には人間はいたって強い。しかし小さな事には無力である。ガンが発見された時には覚悟して入院・手術もするが、爪を切りすぎただけでイラつき、人に当り散らしたりする。
大きな不幸には社会に順応する術がある。知らず知らずのうちに対処の作法を学習している。しかし小さな出来事は、日常の生活に付き物ながら、現れ方や現れる時の条件がいつも違っている。そのとき学習しても。次の時には、もう役には立たない。イヤミな一言や仏頂面が飽きもせず繰り返される。
これらはその人の大きさやスケール、性格と言った事とまるで関係が無い。それは生きている証のようなものだ。
現実は、小さな不幸が単調になりがちな暮らしにメリハリをつけている。
しかし争い事は小さくても、失うものは大きい。