海側生活

「今さら」ではなく「今から」

山中さんの言葉に

2012年12月26日 | 海側生活

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             (クリスマスイヴ/江ノ島ヨットハーバー)

冬至も過ぎた。
『一年経つのが早い~』と、特にそれなりの歳のおネエさん達は、まるで呪文のように誰に言うともなく呟いている。

何かの雑誌で読んだ事がある、時間の感覚について。一年と言う時間は、5歳の子供にとっては自分が経験した時間の1/5だし、50歳の人にとっては自分の人生経験の1/50の時間だ。
だから例えば、子供にとって来年の誕生日まで待てと言われるのは、自分の経験の全ての1/5も待たなくてはいけないとなると、とんでもなく長く感じるだろうし、逆に50歳の大人にとっては、一年と言うのは自分が過ごした1/50の時間だ。更に60歳では1/60だ。加齢に反比例して徐々に一年と言う時間感覚は短くなっていくと。

12月になり意味不明の呪文を幾度となく聞きながら、スエーデンから流れたニュースの言葉一つ一つがココロに沁み入ってきた。
ノーベル賞を受賞した山中伸弥さん、心境を聞かれ迷わず色紙に書いたと言う「初心」の一言。『研究者を目指した最初の日に戻って又やりたい』と爽やかだ。そして『科学者としての新しい始まり』と自らに言い聞かすかの様だ。IPS細胞を医療応用に生かし、患者を救いたい。だから『ノーベル賞は私にとって過去形だ』と言い、贈られた金メダルは『大切に保管して、もう見ることもないと思う』と語っていた。また受賞をマラソンンの折り返し点に例えた山中さんは、少しでも足を休めたのだろうか。とっくに走り始めている。

「海側生活」を始めてから全てを決め付け、すぐにでも来るであろう“その刻”まで、ただ楽しく、ココロも気持ち良くありたいと過ごしてきた。しかし想定に反して今年も特に嫌な事は無かった、そして今日もお酒が美味い。

あらゆる事を遣り尽くしたと思ってはいないが、自分の人生を決め付けてはいけないと改めて知った。
正月を期してハートを新たにしようと思っていたが、人生の時間にはそんな節目は無い。
山中さんの言葉に何だか背中を押された気分だ。

自分のハートも今、入れ替えよう。明日の事は分らない。全てが変わる出来事が起こるかも知れない。人生を変える出会いが待っているかも知れない。

生きること自体が予想外との遭遇の連なりだから。

※明るい新年をお迎え下さい。


冬の花見

2012年12月18日 | 季節は巡る

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                        (妙本寺参道)
宝戒寺には今、八重咲きの椿が満開の時期を迎えた。

ここは白萩の寺として知られるが、冬の境内は人影も疎らだ。萩が咲き終わった後、季節は廻りリンドウやホトトギスや山茶花も咲いては散った。今、千両や万両の真紅の実が自分の番だとばかりに誇らしげだ。チラホラと早咲きの水仙もヒッソリと遠慮がちに咲き始めている。

広くもない境内を散策していると「水琴窟」と言う案内板が目に留まった。
早速、手水鉢の水を柄杓で汲み、黒い小石が敷き詰めてある瓶の底に注ぎ込んだ。久し振りに聴く音は、とても繊細な響きを持っていた。高く澄んだ音は金属の何かと叩いているような音だった。最初はやや賑やかな流水音で始まり、やがて早い水滴音に変わり、そして最後はユッタリとした水滴音で終わる。
何度も繰り返していると、落葉を踏む音が聞こえた。小学生らしい女の子が近づいて来たので柄杓を手渡した。照れたような素振りで、水琴窟に水を注いだ彼女は、水滴音が聞こえ出すと、あっと息を呑み、目を輝かせながら、黒い石を敷き詰めた瓶の底を食い入るように顔を近づけ覗き込もうとしている。顔を上げた途端に目が合った。目玉がキラキラしている。何かを言いたそうだ。『---』『---』。
少女の瞳に自分が映っていた。

何かと騒々しい現代にあって、じっと耳を澄ます機会を得た事は貴重だった。

水琴窟から本堂を挟み向こう側の椿の木に向かった。
幹に蔦が巻き付いている大きな樹を見上げながら、あれからもう五年が経つのかと言う感慨が湧いた。五年前ここに来た時は、手術・退院から間もない時期で、抗癌剤の服用中だった。明日への不安を抱きながら、生活に目的や目標が定まらず、身体のみならず心までウロウロしている時だった。

仰ぎ見るほどの高さに、空を摘もうとする幼子の手にも見える薄いピンクの花々が、今と同じように咲き誇っていた。

その清らかさの一欠けらでも今の自分に分けて欲しいと真剣に願う気持ちが、あの時は強かった。


諦め上手

2012年12月10日 | ちょっと一言

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                            (円覚寺)
分類上では自分は老人である。

しかし体力、気力、知力、胆力など全てが老人であるかと言えばそうでもない。残念ながら体力面は認めよう。厄介な病気も複数抱えている。しかしそれ以外の気力、知力、胆力などは、なかなかどうして、まだ老いてたまるかと主張している。現役気質を備えているから体力まで元気溌剌、精気満々に出来るかと言うとそうではない。弱ったものは弱ったもの、衰えたものは衰えたもの、萎えたものは萎えたものなのである。
これらは気合や幻想ではどうにもならないし、それらの事で一瞬の錯覚を感じたとしても、やはり錯覚でしかない。
これだけは神様との約束事で、永遠に青年の活力をと望んでも仕方が無い。何せ約束の相手が神様だ。

枯れるときは枯れ、朽ちる時は朽ちる。それが生き物の礼儀でもある。

余り触れたくないテーマについて書いているが、それと言うのも最近、高年者の犯罪が多いからである。毎日ニュースになる、高年者の犯罪と言うと、人生の清算的な、高年なるが故の深刻で哲学的なものを考えていたが、最近の事件はそうではない。生々しい。つまり情痴の果てとか狂乱の恋と言ったものも多い。

人間って言うのは、捨てる部分と諦める部分をつくっていかないと、重くて仕方が無いよと言いたくなる。元気は良いが、所詮錯覚、色ガキを高年になっても持ち続けようと言うのが、そもそも間違いではないか。

時代は高年者社会で、高年者に元気で居て欲しいと、あの手この手で励ましている。社会の様々な制度や仕組みまで変え煽ててお金を使わせ、社会に出させようとしている。しかし、いつまでもお元気で!の意味を誤解すると、とんでもない悲喜劇が起こる。

人間は有限の生命体で、しかも消滅するのではなく、衰弱するように出来ている。だから衰えるものの選択を自分の知恵でしなければ悲喜劇も生まれてしまう。

諦め上手か、諦め下手かで長い人生の幸せは決まる。


落葉炊き

2012年12月04日 | 季節は巡る

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                         (旧華頂宮邸)
紅葉は枯れ葉の前支度ではなく、秋の実りを吐き出した充実の色彩である。

その色彩を愉しむためにカメラを肩から提げ、滑川沿いを上流に向けてブラブラと歩いた。
胡桃の実は群がるカラス達によって啄ばみ尽されていた。細く白く縮んでハラハラと散る柳の葉の中にメジロを見かけた。
流れに沿って建っている屋敷の家の庭に豆柿がなっていた。この金柑ほどの大きさの実からは、良い柿渋が採れると以前、染色家に伺った事を思い出した。対岸の山は、まだ色とりどりの秋の装いのままだ。

東勝橋の袂の小さな公園に、紅葉した葉を落とした桜の木の側に、樹の下半分ほどに燦然と映えている黄葉が輝く大きな公孫樹があった。その樹下にぎっしりと黄葉が散り敷かれていた。

ふと懐かしい匂いに辺りを見渡すと、腰がやや曲がったオバァちゃんが公園の隅で拾い集めた枯れ葉で焚火を始めていた。
子供の頃から焚火を見るのが好きだった。学校の帰りに見かけては、ランドセルをカタカタ鳴らしながら近寄って、当たらせて貰うような子供だった。煙が目に沁みるというように、目を瞬かせながら火をくべている大人の人の穏やかな表情を眺めているのが好きだった。

あの時のように焚火に当たらせて貰いながら、甘苦い煙の匂いを嗅いでいると、焚火にまつわる記憶が蘇ってきた。
郷里でのある日、お腹を空かせた弟妹達と焼き芋をした。手分けして落ち葉を裏山で拾い集め、それに火を点ける。芋を投げ入れる。しかし集めた落ち葉はすぐ燃え尽き、何度も落ち葉集めに裏山に駆け出した事。またある時は、十分に落ち葉を集めて焼き始め、やがて焼き上がり、食べ頃になった頃、まだ落ち葉が足りないと伝え、弟妹達がその場を離れ駆け出したのを見て、火の中から焼き上がった芋を取り出し、自分だけで食べてしまった事など。

あの時の弟妹達は、燃え盛る火に両手を差し出し、あどけない表情の中にも目がキラキラとしていた。時々見に来る母親にも穏やかな笑顔があった。

白いビニール袋にいっぱいに拾い集めた落ち葉を、ドッコイショと持ち上げ、火の上に注いだオバァちゃんが『葉っぱって言ったって、これだけ集まると重いね。樹もぶら下っていた重しが取れて身軽になったのではないか』と目尻に深い皺を寄せて笑いながら言った。 

木の葉を上半分落とした公孫樹の幹がスッキリと直立して空を指している。それを見遣りながら、老人の言葉を味わった。