後ろの壁には大きなそして色鮮やかな旗が掲げてある。幅5メートル、縦3メートルはあるだろう大漁旗だ。
神妙に座っているのは花嫁だけだ。花婿は控え室ででも飲んだのかすでに真っ赤な顔をしている。
主賓の挨拶が済むと、招いた100人を前に、花婿は「賑やかにやろう!」とやおら立ち上がり、マイクを手に取るや何やら歌いだした、大きな声だ。打合せに無い出来事に会場の係りの者が催促され、慌てて音楽テープをセットした。良く聞くと歌謡曲の“兄弟舟”だ。花婿は曲に合わせ最初から唄い直している。参列者は呆気にとられている。花嫁は何か言いたそうに花婿に何度となく顔を向けている。
♪兄弟舟はオヤジの形見---♪
♪たった一人のオフクロさんに 楽な暮らしをさせたくて♪
花婿のオフクロさんに目をやると小さな肩を上下に揺らして目を拭っている。唄い終わる頃“せいちゃん”もモーニングの袖で目を拭っている。
会場から溢れるばかりの大きな拍手が起きた。
まるで昨日の事のように思い出される、6年前の出来事だ。二人は運命的な出会いをして、50歳近くになっての結婚だった。
一まわり以上も年が離れている奥さんは、どことなく小ざっぱりとしたファッションで身を包み、休む事無く身体を動かしている、漁師の女房には見えない。全く世界の違う漁師の女房に成り切ったとホッとする。間もなく5歳になる息子は保育園が休みになる土・日曜日には早朝からオヤジの職場・浜小屋に来る。そして作業を手伝ったり(手伝っている積り)浜で遊んだり、舟に乗せてくれだの一時もジッとしていない。
誰よりも頼りになるオヤジの職場は息子にとって、最大の安心と安らぎを覚える所に違いない。
高齢化が進む浜では幼児はマスコットみたいだ、皆に可愛がられている。
息子は自分にカラオケに連れて行ってとせがんで来る。
理由を聞くと「兄弟舟」を唄いたいのだと言う。
彼が成長した時、オヤジを、オフクロをどんな風に語るだろう。
きっとオヤジみたいに照れて多くは言わないが、親思いの青年になる事だけは請け合いだ。