海側生活

「今さら」ではなく「今から」

地方移住

2015年07月20日 | 感じるまま

                         (天王祭/逗子・小坪)
「こんな空気が美味しい所で暮らしていると、東京になんか行きたくないでしょう」とよく言われる。

確かに海側の暮らしは快適で、二度と都会に住まいを移すつもりはない。しかし時には都会の空気を吸いたくなる。「時々は悪い空気を吸わないとココロに悪いから」と、自分に言い聞かせる。
一度都会に出たら、身体の定期検査をする。展覧会を観て、そして友人と会い、美味しいものを食べて、洒落た店で好きなブランディを飲む。興に乗ればカラオケで自分の声の張り具合を確かめたりする。かなり下手になった、腹から声が出なくなった。そして翌朝になると、やっぱり海側生活の雰囲気が恋しくなり家路につく。帰り着いた時の空気の美味しさは格別だ。
ある意味で、海側生活の良さを確かめるための都会行きをしているのかもしれない。
しかし現役の人にとっては、氾濫する情報と汚れた空気が生活の必需品かもしれない。

最近、地方創生をキーワードに様々なニュースが耳に飛び込んでくる。
日本の人口減少と東京一極集中是正の必要性から、政府は地方への移住希望者のニーズを満たす環境整備をする、と。
技術の進歩で地方と都会の感覚距離が無くなってきたのは事実だ。「地方でも出来ることや、地方だから出来ることがある」と行政は言う。一方で地方に居ては出来ない事も多くあることも事実だ。

地方移住を考えている人は、先ず自分に問うと良い。
「自分は何をやりたいのか?また自分は何が出来るのか?」と。

空気がキレイだけでは生きてはいけない。

実行の人

2015年07月14日 | 鎌倉散策

(瑞泉寺境内/鎌倉)
『思想を維持する精神は狂気でなければならない』
吉田松陰の語録の一部である。

吉田松陰と言えば、NHK「花燃ゆ」が低視聴率に苦心しているという。
幕末の長州藩の吉田松陰の妹・文を中心としたホームドラマだ。歴史好きの自分にはやや物足りなさがある。また吉田松陰って人は思想家で聖人君子みたいな人だとこれまで思い込んでいた。

カメラ持参で度々訪ねる好きな鎌倉・瑞泉寺の関係者に聞いた。
彼は22歳の時、当山に逗留していた記録があるという。母方の伯父の25世住職・竹院和尚を訪ねて2度来たらしい。メモを取りながら興味深くエピソードを聴いた。

無茶な連続だったらしい。
21歳の時、友人と東北旅行を計画した。
友人との出発日の約束を守るため、自藩の通行手形の発行を待たず、脱藩し約束の日を守った。帰着後、罪に問われて士籍剥奪・世禄没収の処分を受ける。

23歳の時、黒船が来航した。「外国留学のチャンス」と小舟を沖に停泊中の黒船・ボーハタン号に横づけし密航を企てた。当然追い返された。自首し、長州へ檻送され幽囚される。その時の句が残っている。『かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂』
その後出獄を許され幽閉処分となる。

26歳の時、叔父の松下村塾の名を引き継ぎ開塾。そこでは幕府が日本最大の障害になっていると批判し、塾生たちに倒幕を持ちかけ、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋などを教育する。
気になり足を延ばした松陰神社/東京・世田谷には、萩の松下村塾を模した小さな木造平屋が境内に建っていた。

27歳の時、幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したことを知って激怒。老中暗殺を企み、武器を提供してくれと藩に願う。そしてまた牢へ。
また、幕府に取り調べを受けた際、老中暗殺計画を自ら暴露し、幕府の度肝を抜いた。そして「安政の大獄」の最後の刑死者になった。

短い生涯であった。享年29歳。

明治と言う新しい時代を迎えたのは彼の死後から8年が経った時だった。
近代日本の夜明けの扉を開けた一人に違いない。まさに狂気であり、実行の人だった。