海側生活

「今さら」ではなく「今から」

令和を迎える

2019年04月24日 | 海側生活

(材木座海岸から)
“平成“も暮れた。
初めて“平成”との呼び名と文字を目にした時、何だか「気の抜けたビールみたいな響きだな」と妙に感じた。

元号とは時代の記号みたいなもので、合理的な意味はないとしても、元号で人の気分が変わるのは間違いない。改元は全てにおいて新しい事に踏み出すきっかけになるだろうか。
明治といえば維新、大正といえばデモクラシーやロマン、昭和といえば戦争と経済成長などと、元号とともにその時代が振り返られる。平成にはどうもマイナスイメージがつきまとうところがあるが、昭和という言葉が、漠然とした「古き良き時代」の代名詞として使われるようになった時代でもあった。
日本が戦争をすることなく過ぎた平成の30年間。それを受け継いで始まる“令和”の時代。そんな平穏のなかでの改元だからこそ、人々は不思議な端境期を楽しんでいられる。

自身を振り返れば、平成は文字通り激動の時代だった。しかもその大きな変化のきっかけはいつも病気発見と、その戦いでもあった。
大学卒業と同時に長年勤めた会社を、椎間板ヘルニアの手術を切っ掛けとして退任し、起業したのが“平成”の始まりの年だった。後に言われるバブル経済の真っただ中だった。数年間は経験が無いほどの高い山と深い谷を味わった。そして深い谷のどん底の頃、いくつかの幸運に恵まれ、普通の社会人に戻ることが出来た。
その後、順風満帆の“平成”の後半には二度の癌に見舞われた。そして一切のビジネスから離れた。同時に想うところがあり、ストレスを感じない好きな海側生活を始めて10年が経った。

この間、思い知らされた。人の厚情、思いやり、慈愛、気遣い、心遣いなどいわゆる情けを。思い起せば、今はただ感謝の気持ちだけが日々新たになる。
“平成”は自分が普通の人間に戻れた時代だったとしみじみ感じる。

この間、情けを頂いた方々に、このブログを通じて、わがまま生活の近況報告をしてきた。しかし、自分の様々な節目が今に集まり、大きな転換期が来た事を強く感じている。これを機にして、ブログも卒業したい。

“平成“の向こうへ、どんな”令和“が動き出すのか。どんな時代が待っているのか。
自分はどう変わるのか、“令和”の少し先の目で今を見詰めてみたい。

長い間、お付き合い頂き、有難うございました

異空間に入る

2019年04月11日 | 季節は巡る
            
(表参道/東京)
日常とは違う雰囲気を五感に感じながら神宮前駅から歩いた。

古都グラファーとして活躍中の我が写真の師・原田寛さんの個展を観に出掛けた。『古都櫻』出版記念の個展だ。鎌倉と奈良それに京都の桜だけを撮った写真30数点が展示されていた。自分の眼に映る風景の切り取り方と、作品は全く大違いだ。圧倒されて息苦しくなった。来週(4/9~4/14)は京都でもこの個展を開催するという。

外に出て呼吸を整えながら歩くと、高くはないビルの間に満開の桜がチラチラと見え隠れする。表参道を横切り通りに沿ったガラス張りのビルの二階でコーヒータイム。街路樹の欅の若葉が逆光を浴びて鮮やかな薄緑色が爽やかだ。

明治神宮への参道の一つが表参道だが、神宮前や青山を含めこの地区は、銀座と並んで高級ブランド店の集積地でもあり、若者文化や流行の発信地として活気を得ている。窓の外を見ながら、クリスマス時の街路樹への電飾は当時としては珍しく、ステキな空間の演出だなと、通りの端から端までそぞろ歩いたのを思い出す。

ビルの横の狭くて車は通れない道に多くの人が往来している。なんのアテもなく、興味本位で入って行った。
原宿・表参道には可愛くてプチプラな雑貨屋さんや、海外からセレクトされたお洒落なアイテムを揃えた店が並んでいる。見るだけでもワクワクする人も多いだろう。しかし路地を進み時間が経つにつれ、何だか妙に落ち着かない自分に気が付いた。アンタの居場所はここではないよと言われているような感覚だ。

狭い道を往来している若者たちは、凡そ半分ぐらいが外国人だ。皆が若い。やがて落ち着かない理由に気が付いた。居並ぶ店の看板やカフェのメニューに漢字や平仮名・片仮名などのいわゆる日本語の表記が殆どない。改めて野次馬根性で歩みを進めると、行列が出来ている店に行き当った。並んでいるのは殆ど全員が外国人で、しかも白人だ。看板を見上げると大きく太く墨字で描かれた店名があった、「○○ラーメン」と。
何となくホッすると同時に再び落ち着かなくなった。