海側生活

「今さら」ではなく「今から」

オジさん!これ一つあげる

2008年12月30日 | 鎌倉散策

Photo

バルコニーから見た真っ青な空と、真っ白な富士山に誘われ材木座海岸に散歩に出た。

気温は4度だ、肌寒い。
逗子よりの浜から見ると正面に伊豆大島、やや右手に天城山そして箱根連山と連なり、富士山は四合目辺りまで冠雪している。
太陽は燦燦と眩いばかりにキラキラと輝いている。
2~300メートル沖には早くもサーファーが100人を超し思い思いの波を待っている。風は殆どなく波は小さい
のに---。
3kmぐらい沖には釣り船が10艘ぐらい見える。
貝を拾う子供たち、幼い子の手を引く親子連れ、愛犬と散歩するオジサンやチビチャン達。

浜には打ち上げられた海草の独特の香りが広がっている。

材木座海岸には港が無い。漁師達は漁を終えると舟をウインチで浜の上段まで引き上げる。籠を覗くと蛸やサザエやメバル等が獲れている。

浜の終点に歩き着く頃手袋を外した、暑くなってきた。

子供達が砂をイッパイ付けた小さな手に可愛い桜貝を握っている。
「オジさん、これ一つ上げる」と手を差し出した。有り難く頂戴した。

仲間達と遊ぶ、貝を拾う、仲間と分け合う、人に親切にする。
忘れかけた遠い幼い頃の記憶が甦ってくる。

自然に触れたらこんなにも素直な気持になれるものだなと、何となく嬉しい気持ちになった。
帰りに甘いスイーツを食べた、胃にも沁みた。


その時の準備を整える

2008年12月16日 | その時を覚悟した

万が一の場合の連絡リストを作った。

再度の入院を明日に控えた前夜、夢にイガイガ虫が登場した。
襖の隙間からなだれを打って次から次へと寝室に入って来る。
手には細い槍を夫々が持ち、皆が掛け声を掛けながら自分に向かってくる。
思わず出て行け!と自分が怒鳴っている声に目を覚ました。

病院の部屋にパソコンを持ち込んだ
そしてパソコン内の住所録を(あ)から見始めた。
改めて人数を確認すると約3000人---。
お世話になった方々やビジネス仲間、同窓生や旧友達、それに親戚の人々、
また魚釣りの仲間達、スキューバダイビングの仲間達の顔が次から次へと目に浮かびこれまでの楽しかった日々を思い出してしまう。

時間はいくらでも有る。念のためだと医師達は言うが様々な検査を再度行う時間以外はパソコンに向かう。           

08111415pb140135
連絡や話が不十分だと思った方には改めてメールで行った。
しかし自分が今、入院中だと言う事は誰にも伝えなかった。
連絡は手術後の経過を自分が判断してからでも遅くは無いと思った。

万が一の場合の連絡リストを作った。

退院できたらあの人には改めてあの話をしなければならない、この人には改めてこの事だけは伝えなければならないと思った人数がなんと多いことか、日ごろ何をやっていたのかと反省する事ばかりだ。

なぜ自分は今、こんなに冷静なのか---。


どうして二度も!

2008年12月15日 | その時を覚悟した

081214

「口腔底癌」での入院・手術・退院そしてリハビリも終盤を迎えようとする頃つまり退院から
九ヵ月後,胃の横辺りが何だかシクシクする。
かかりつけの病院で受診する。血液検査から始まった。
改めて二週間の予定で検査入院をする事になった。様々な検査が始まった。

結果は「膵臓癌」。

前の手術の「口」から転移したものではない、口からの転移は医学上考えられない、全く別のモノだと
夫々の病院の担当医師は言う。

「どうして二度も!」応えはどこからも無い。

この病気の五年生存率は10%の文字を目にする、また5%の文字もウエブサイトで見る。

手術は消化器の中でも膵臓の位置からしてかなり厄介らしい。
又部位が膵頭だと言うことで、十二指腸も同時に切除してしまうらしい。

そして覚悟した。