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(明月院/鎌倉)
紅葉が本番を迎える季節になると鍋料理が恋しくなる。
今日から公開という明月院の本堂後庭園の紅葉を観に出掛けた。数種類の楓が庭園の平坦部分の全体を取り囲むように黄色や紅や赤色で染まっている。また庭園を包むように位置している周囲の山々には落葉樹の黄葉の中に点々とツツジ、ニシキギ、ウルシ、ナナカマドなどの紅葉も見え隠れしている。しかし近寄って観ると楓の葉の先が白っぽくなり、縮れているのが多い。そう言えば今年の銀杏も色付きが良くなかった。先の台風による塩害だという寺の関係者が多かった。初日だからか人影は疎らだ。太陽は出ていない。
一通り写真を撮り終える頃、急に空気の冷たさがキンと首回りに入り込んできた。指先からも気温が下がってきたのが分かる。温かいモノを食べたくなった。
春の花々に対して秋の紅葉は、いつからか自分の美意識の根底をなしている。
紅葉鍋と言えば鹿の肉の鍋料理である。花札の紅葉の上には鹿があしらってあるからだ。また猪の肉の鍋料理は牡丹鍋という。しかし花札で猪が描かれているのは萩である。牡丹が描かれているのは蝶である。なぜ猪料理を萩鍋と言わないのか。これは屏風絵などに好まれた「牡丹に唐獅子」の絵柄からシシがイノシシになったという。
しかし花札のような鉄火遊びではなく雅な百人一首の”奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声を聞く時ぞ秋は悲しき”。
作は猿丸太夫(さるまるだゆう)作と言われている。伝説の歌人で、三十六歌仙の一人。しかし古今集では「詠み人知らず」として紹介されている。
人里離れた奥山で、散り敷かれた紅葉を踏み分けながら、雌鹿が恋しいと鳴いている雄の鹿の声を聞くときこそ、まさに秋は悲しいものだと感じられる。
これが”紅葉鍋”の由来であると思いたい。
テーブルの上の鍋から湯気が立ち上り、ほど良い熱気が顔から体中へとホッテリと暖かくなる。
やはり鍋料理は一人で食べるのは侘し過ぎる。「熱いィ」と独り言を漏らし、「フゥ」と息を吹きかけながら鍋から取り出したばかりの熱々のモノを口に頬張る。そして眼の前の好きな相手から、「ハイ、どうぞイッパイ!」と銚子を指し出される。この雰囲気の中でこそ鍋料理は初めて成り立つ料理だ。