海側生活

「今さら」ではなく「今から」

どうぞ、イッパイ

2017年11月30日 | 鎌倉散策

(明月院/鎌倉)
紅葉が本番を迎える季節になると鍋料理が恋しくなる。

今日から公開という明月院の本堂後庭園の紅葉を観に出掛けた。数種類の楓が庭園の平坦部分の全体を取り囲むように黄色や紅や赤色で染まっている。また庭園を包むように位置している周囲の山々には落葉樹の黄葉の中に点々とツツジ、ニシキギ、ウルシ、ナナカマドなどの紅葉も見え隠れしている。しかし近寄って観ると楓の葉の先が白っぽくなり、縮れているのが多い。そう言えば今年の銀杏も色付きが良くなかった。先の台風による塩害だという寺の関係者が多かった。初日だからか人影は疎らだ。太陽は出ていない。
一通り写真を撮り終える頃、急に空気の冷たさがキンと首回りに入り込んできた。指先からも気温が下がってきたのが分かる。温かいモノを食べたくなった。

春の花々に対して秋の紅葉は、いつからか自分の美意識の根底をなしている。

紅葉鍋と言えば鹿の肉の鍋料理である。花札の紅葉の上には鹿があしらってあるからだ。また猪の肉の鍋料理は牡丹鍋という。しかし花札で猪が描かれているのは萩である。牡丹が描かれているのは蝶である。なぜ猪料理を萩鍋と言わないのか。これは屏風絵などに好まれた「牡丹に唐獅子」の絵柄からシシがイノシシになったという。

しかし花札のような鉄火遊びではなく雅な百人一首の”奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声を聞く時ぞ秋は悲しき”。
作は猿丸太夫(さるまるだゆう)作と言われている。伝説の歌人で、三十六歌仙の一人。しかし古今集では「詠み人知らず」として紹介されている。
人里離れた奥山で、散り敷かれた紅葉を踏み分けながら、雌鹿が恋しいと鳴いている雄の鹿の声を聞くときこそ、まさに秋は悲しいものだと感じられる。
これが”紅葉鍋”の由来であると思いたい。

テーブルの上の鍋から湯気が立ち上り、ほど良い熱気が顔から体中へとホッテリと暖かくなる。
やはり鍋料理は一人で食べるのは侘し過ぎる。「熱いィ」と独り言を漏らし、「フゥ」と息を吹きかけながら鍋から取り出したばかりの熱々のモノを口に頬張る。そして眼の前の好きな相手から、「ハイ、どうぞイッパイ!」と銚子を指し出される。この雰囲気の中でこそ鍋料理は初めて成り立つ料理だ。

家に帰りたくない

2017年11月19日 | 感じるまま

(報国寺/鎌倉)
先の入院の時、面会時間が終わろうとする時間に見舞いに来た後輩が「今日もこれから行きつけの居酒屋に行きます」と言う。

聞けば夕方、仕事が終わって 「さあ、やっと会社から家に帰れる」という時間になると憂鬱になる男が増えているそうだ。早く帰れることを喜ぶどころか、居酒屋やファーストフード、映画館やネットカフェなどで時間をつぶし、家族が寝静まったのを見計らって帰宅。さらにもっとひどくなると、カプセルホテルなどを泊まり歩いて、家に帰らなくなる男もいる。『帰宅拒否症』と言っています。さらに居酒屋で馴染みになった客の男達の例を紹介してくれた。
本来なら安らぎの場所であるはずの家に、なぜ帰りたくなくなるのか?それは、自宅にいる妻との関係、また家の雰囲気を決める妻の態度や行動に原因がある場合が殆どだそうだ。

ならば未婚と既婚女性の場合はどうなのだろうか。さらに子供がいるのといないのでは、きっと大きく違うのだろう。
未婚ならばカフェ、ショッピング、書店、図書館、たまに美術館なんて返事が返ってきそうだ。
既婚ならば、帰りたくなかったわけではなく、子供は塾で遅い。夫は早くても8時くらいなので、会社からの帰りに大きな公園でポケモンGOをしている。またコンビニはしごで雑誌の立ち読み、コスメのチェック、翌日の朝食用のパン購入など。
もし、子供がいなかったら、スタバや立ち飲み屋さんに行ってみたいな。ネイルやエステに行くのも良いなとの声も聞こえてきそうだ。
仕事モードと家庭モードの切り替えにもう少し時間が欲しいって感じで寄り道をするというのも分かるような気がする。

では、どんな妻が夫を帰宅拒否症にさせるのか。夫に「家に帰りたくない」と思わせる妻の特徴を、様々な知人たちの顔を思い浮かべながら判断してみた。
先ず、夫を支配・管理したがる妻
真面目で完璧主義者な妻にありがちだが、夫の行動を全て管理し、自分の思い通りにしないと気が済まない妻は要注意だ。夫の食事、服装、小遣いの使い道、休日の過ごし方まで、日常の全てを妻が管理したがると、夫は家庭での自由が無くなり、家に帰ることが苦痛になってくる。
次に、負けず嫌いな妻
夫婦が協力関係というよりライバル関係にあり、常に勝ち負けで物事を考える妻も要注意。意見が違った場合、相手の主張を「なるほど、それも良いね」と認めることができず、とにかく自分の意見に従わせようと無理矢理にねじ伏せてしまう妻。夫は自分の意見が常に否定され、次第に妻となるべく顔を合わせたくない気持ちになってしまう。
その他思いつくのは、被害者意識が強い妻、家の中を片付けない妻、自立しすぎて夫を必要としない妻などがあるのではないか。

そこで、ふと思った。
なぜ私たちは「家に帰る」と言って、「家に行く」と言わないのだろう。「帰った」と言うからい嫌な顔をされるのではないか。「来たよ」と言えば「あら、いらっしゃい」と、いそいそと笑顔で迎えられるかもしれない、と。

見える景色

2017年11月12日 | 海側生活

(東京タワー/病室から)
誰の言葉だったか『時計の振子は必ず元の位置に戻る。しかしその転換点に於いてはもっとも激しい出来事を経験する』。
11年前の手術以来、後遺症とも言える急性膵炎での三度目の入院だった。

安静を指示され、絶飲食の三日間はベッドから見える景色は決まっていた。
昼間は狭い視野の窓越に見える、微妙に変化する空の色や夏とは明らかに違った形で輪郭がボヤけている秋の雲など。東京タワーの柱が時々陽光に反射してキラッと光が時々目に飛び込んでくる。空に暗闇が訪れる頃、上階しか見えないオフィスビルの一部の窓に明かりが灯り、ライトアップされた東京タワーには1000の文字がかなり大きく浮かんで見える。後で分かったことだが東京オリンピック開催まであと1000日を表示したそうだ。

時々唇だけを濡らす冷たい水にホッとする。

四日目になり、やっと水だけは飲む許可が出た。毎朝の血液検査の結果は日を追って正常に近づきつつあるようだ。それでも肝心な数値はまだ異常だ。
身体を動かしたくなった。また太陽を無性に浴びたくて、それに外の冷たい空気に触れたくて点滴台をガラガラと手で引っ張り、十階から一階の玄関近くの外に出た。思わず空を見上げながら深呼吸をする。25℃に保たれた病室の温度に三日間で慣れてしまった身体に13℃の冷たい空気が流れ込む。真夏のカキ氷を口にした時、咽喉から胃にかけて冷たさが流れる感じと似ている。それにしても高層ビルに遮られた東京の空は狭い。首を大きく後ろに反らさないと空が見えない。パタパタと大きな音を響かせヘリコプターが一定の範囲を旋回している。トランプさんが来日しているのだ。警護の一環か、街区の角々には制服警官の姿も見える。通勤を急ぐ人々はコートを着ている人が多い。女性のマフラー姿もチラホラと見える。看護師の白衣姿に慣れた目には男性の黒っぽい色調の背広姿が新鮮に目に映る。歩道に目を転ずると、手の指の全部をやや内側に曲げたような形をした茶色がかった街路樹の桐の枯葉がカサカサと忙し気に、人が歩く以上の速さで風に流されている。   

身体を動かさなければ一定の景色しか目にすることはできない。動かして初めて違った景色に出会うことができることを改めて知る。

人は、長い文章の中にある句読点のように時折休み、病み、考え考え歩くものなのか。