(海蔵寺/鎌倉)
ここ数年は年を追うごとに“身辺整理”の意気込みで、日常生活に必要でないと思うモノは種類を選ばず捨ててきた。
掃除のついでに、ふと、日頃はほとんど開けないクロークの段ボールを開けてみた。
段ボールには本を縦にして二段に詰め込んでいる。その上にポンと横にして置かれたままの本を手に取った。元は白かったであろう表紙も黄色く変色してカビ臭い、いかにも古い本は高校生時代に読み耽り、影響を受けたヘルマン・ヘッセの詩集だ。これまで三十箱以上の本を処分してきたのに、どうしてこの詩集を手元に残したのか。そろりと一ページづつ捲ってみた。
本の空白部分には若かった当時の感想メモや赤字の傍線もそのまま残っている。あの頃のムキになって、「自分に何ができるのか?」、「何をしたら良いのか?」 と問い続けた若い自分に再会して、人間ってあまり変わらないと感じる。しかし「それは、あなたは成長していないのだ」と言われるかもしれない。自分の生きる意味や、更にそれが社会と繋がれるのかが、自分の迷いの問いであった。
この頃、歳を重ねた良さをしみじみと思う。
まるで短編小説のような人生の片々が記憶にあって、そのどれもがいぶし銀のように輝いている。
人との出会いでも、若い時には自分にとって良い人か悪い人か、または好きか嫌いかであった。しかし今ではどんなに変わった人でも面白い、会えて良かったと思う。退屈な人は一つのグループだけで「有名人に近づきたがる人」だけである。他の人はどんな好みや癖でも楽しく思える。
時間の持つ味わいも分かるようになり、電車の待ち時間も、待ち人が遅れて来ようとも楽しくなりかけている。困ったことだ。
今、我が年齢を振り返ると信じられない気がする。いつの間にか歳を重ねた。老いたとは言いたくない。ずいぶん遠くまで来てしまった。
そして若い日と同じ問いかけが心の底にあることを再確認する日々だ。
健やかで明るい新年をお迎えください