海側生活

「今さら」ではなく「今から」

酒も美味くなる

2015年04月20日 | 海側生活

海蔵寺/鎌倉
それにしても喫煙者は、まるで何かの罪を犯した者のように追いやられたものだ。

端から見ていると可愛そうでたまらない。空港ロビーのガラス張りの喫煙所は、あらゆる種類のタバコの煙が見た眼にも充満し、喫煙者さえ入口で思わず咽てしまいそうな臭いは強烈だ。また新幹線の車両の繋目辺りに設置してある喫煙室はまるで小さな“檻”だ。排気が良くないし狭い。パンダでももっと広い自分の空間がある。通路に面しているから通る人は必ずガラス張りの中を見る。「何見てんだよ、見世物じゃないんだよ!」と言いたげな表情で通路に目を向ける愛煙家など、すでに“檻”の中から看守を見る姿を思わせ、可愛そうと言うよりむしろ悲しいくらいだ。街中でのカフェでも喫煙者用の“檻”が設けられている店が殆どだ。

どんな瞬間に喫いたくなるのか。人は様々だろうけど、自分の場合は起き抜けに、食事の直後に、酒を飲んでいる時に、コーヒーを飲む瞬間に、又眠くても眠ってはいけない時など、いわゆる習慣化した喫煙行動だ。

三度の禁煙経験がある。
息子と禁煙を約束した一回目は、息子の大学入学と同時に何となく吸い始めた。膵臓癌で二カ月にわたる長い入院生活、退院と同時に喫った一服は頭はクラクラとしたがココロはホッとした二回目。三回目は現在だ。頸動脈内に付いた石灰化したモノを切除して一か月経過した。石灰化の理由の一つに喫煙習慣があった。この手術を機会に完全に禁煙しよう。しかし先日、友人との快気祝いの席で、友人の細やかな気遣いのアレコレに感情が緩んだのか、眼の前のカウンターの灰皿を見て、ついバッグのタバコに手が伸び喫ってしまった---。
もう喫煙はしない!止められる、大丈夫と幾度となく自分に言い聞かせている。

今、ポケットにノンカロリー飴や禁煙ガムを常時忍ばせている。やはり口寂しい。

禁煙した友人は言う。
私は禁煙外来で言われました。「禁煙するのは難しいですが、喫煙者に戻るのは簡単です。だから貴方の場合は420円のたばこを一日一箱吸うと、1年間に約15万も使うことになります。タバコを止める事で一体どんなものが買えるか!を考えて下さい」と。

これからタバコを喫う場所を探したり、周囲の非喫煙者への気遣いも無くなる。“檻”にも入りたくない。
何よりも末梢神経が再成長を始めることを期待しよう。

味覚がパワーアップし、更にご飯やお酒が美味しくなるに違いない。

思い出の多い分

2015年04月07日 | 思い出した

   竣工直前の新宿東宝ビル
“コマ劇場”が、装いを新たに間もなくオープンする。

30階建、高さ130メートルの新宿東宝ビルとして。
1階と2階に飲食店、3階から6階に12スクリーンで2500席のシネマコンプレックス、9階から31階に1030室のホテルと言う概要らしい。
ゴジラの頭部分のオブジェを8階テラス部分に設置し、街のシンボルにするらしい。

上京したての貧乏学生だった頃、収入面で他よりも良かったこの街のトリスバーでアルバイトをしていた。
当時、歌舞伎町は、「東洋一の歓楽街」と言われていたが、現在の様相はさらに変容し、3,000軒を数える風俗営業店が密集し、「欲望の迷宮都市」「外国人労働者の新租界」等とも評されている。 “コマ劇場“は街の中心に在り、ニュージカル公演や演歌の殿堂として50年間、街のランドマークであり続けた。

その頃は、ホームシックにかかっていたのか何しろ寂しかった。それよりも、いつもお腹が空いていた。
”コマ劇場“の公演の演目の看板--自分のアパートの部屋より広くて大きくて、夜でも昼間と見間違えるほどの煌々と灯された看板を横目で眺め上げながら、横を通り抜けた奥の路地裏に小さな狭い定食屋があった。ホカホカの白い湯気が立つご飯と味噌汁の夕食の味は今でも忘れることは無い。一日の内で一番安らぐ時間だった。公演などを見たことは一度も無い、下宿代が一畳千円の貧乏学生には無縁だった。周囲の働いている者は皆が貧乏だった。

店には様々な人達がいた。演劇を志し、上京して3年目と言う色黒で小柄な青年、タップダンスが得意だと言っていた。夢か恋かと問われた私 恋を捨てました、夢か恋かと問われた私 夢を取りました--まるで演歌を地で行くような歌手希望と言う色白の女性もいた。郷里の幼い弟妹達に仕送りしているんだ、目的は今の稼ぎを5倍にする事と大きな眼をグルグルと回しながら夢を語る、いつも朗らかな通称オジさんも懐かしい。
学生たちも通うハイボール50円のトリスバーでカクテルを作る男の中には、バ-テンダーなど言う職業の粋をはるかに超えて、用心棒・人生相談屋・夜の神父・又どんな人物をも演じる役者などをこなす凄玉が多かった。皆が歯を食い縛り、目的を持っていた。

やがて気が付いた。東京人は、この街にはいない、皆が地方出身者だと。
また孤独でない生き物など居ない。人間は誰かの喜怒哀楽を聞きながら成長をするものだと。

変化するとは命あるものだけではない、作ったもの全てが変化する。
また経験とは何を指すのだろう、と思うことがある。その時重大だと考えたことも後で振り返ってみれば陳腐な出来事だったり、何気なく過ぎたことが一生の曲がり角であったと思い知る場合もある。

きっと今、思い出の多さだけ豊かな人生を歩んでいるはずだ。