海側生活

「今さら」ではなく「今から」

柔らかな手

2019年02月22日 | 鎌倉散策

(佐助稲荷神社/鎌倉)
息が上がり長い階段の途中で立ち止まり、後ろから上がってきている若いオネェさん二人に道を譲った。二人も肩で息をしている。

佐助の谷戸の奥深く、高台にたたずむ佐助稲荷神社。平家との戦いで頼朝を歴史的勝利に導いた神様だとの縁起がある。成功成就や立身出世の神様として、受験生・就活生・起業家などが参拝に訪れる。一人旅らしき参拝者を見かけることも多い。
今日は初午だ。ここは赤い鳥居群がとても幻想的で鎌倉の出世開運スポットでもある。本殿までは長い上り階段がある。無数の鳥居を潜りながら歩を進める。鳥居の両側の柱には奉納された赤色の旗がそれぞれに結ばれている。赤い前掛けをした狐像が途中で迎えてくれる。まるで異空間に続く道にも思える。最初は坂も緩やかで踏面も広く蹴上げも低い。坂は緩く右に左にくねっている。京都の伏見稲荷大社の長く連なる赤い鳥居を思い出しながら半分を上ったあたりから坂は直線になり、勾配もきつくなる。歩調もユックリになる。やがて踏面も狭くなり、逆に蹴上げは高くなる。特に最後の50段ぐらいは登りが急だ。誰もが一休みしたくなる。腿が悲鳴を上げている。咽喉はカラカラになる。カメラが重く感じる。

すでに狭い境内には溢れるばかりの老若男女が式の始まりを待っている。話し声は聞こえない、静かだ。帽子と手袋を脱ぎ、息を整え拝殿でお参りのあと寺務所に目を向けると、巫女姿の若い女性と言うより少女が甘酒を振舞っている。思わず「下さい」と言う。紙コップに注がれた甘酒を受け取ろうと手を出すと、少女は出した手を下から支えるようにやや持ち上げ、笑顔でコップを手に乗せてくれた。その瞬間にいつもとは違う感触を感じた。手が温かくて柔らかい。忘れかけていた感触だ。

床几に腰を下ろし、久し振りの温かい甘酒は優しい甘さだ。冷えた体も暖まり、腿の悲鳴も治まった。落ち着いた。そして改めて自分の手を見た。手の甲を返しながら繰り返し見た。

少女の手の柔らかさは手ばかりではなく、これから変化の時を迎えても何事も柔軟に対処できるに違いないと感じさせる。

経験からくる先入観だけで全てを判断するのを少しだけ変えよう。もっと何事も柔軟に発想しよう。それだけのキャパシティーは、まだ持っているはずだ。少女の手の柔らかさが当たり前のことを想い起こさせてくれた。

苔むした境内にはどこに置こうと自由と言う小さな白い狐が所狭しと奉納されている。


ココロ変わり

2019年02月12日 | 鎌倉散策

(浄智寺/鎌倉)
目にした瞬間、ビクッと弾かれたように自分の気持ちまで奪われた。

毎月の勉強会に提出する作品が今月も定数に足りないと自覚しながら、何か感動を覚えるような瞬間に出会いたいと、北鎌倉界隈を歩いていた12月のある日。そこは見慣れたれた風景のはずだった。総門の奥に古びた石段が遥か先の方まで続いている。ここは鎌倉禅林の黄金時代に創建された浄智寺。仏殿の脇にそびえる高野槇は鎌倉随一の巨木と言われ、仏殿前の佰真や山門横には高々と枝を伸ばして春には見事な美しさを見せてくれる立彼岸桜、更に奥には白雲木があり、五月になると葉陰に白く群がり咲く花を観賞できる。裏庭には竹林や小径を辿って進むと岩壁をうがった深い横井戸や古い五輪塔群がある。洞門を抜けた洞窟には鎌倉七福神の一つに数えられる布袋尊も祀られている。一瞬小さな別天地に身を置いている想いに包まれる幽寂境である。

しかしその瞬間は見慣れた風景とは違った。今まで目にしたことが無いような色鮮やかな紅葉・黄葉が目に飛び込んできた。夢中で階段の途中まで歩を進め、この感動をどんな風に切り撮ろうかと考えた。太陽はほぼ正面に位置している。ファインダーを覗きながら自分の立つ位置を微妙に右に左に、また前に後ろにと構図を決めている間にも木漏れ日がファインダーに差し込んでくる。 

シャッターを押しながら想った。
秋と言う字の下に心と付けて愁と読ませるのは、誰がそうしたのか。心憎いほど良く考えたものだ。もの想う人は季節の移り変わりを敏感に感じ易いだろうし、中でも秋の気配が立ち込める様には、人一倍しみじみと感じるだろうと。また、人は季節や天候によって心が移ろうし、色や形によっても意思が変わったりする。人の言葉によっても気が変わるものだ。
この瞬間に紅葉・黄葉達の声が聞こえてくるようだった。「今日の、この時間が我々は一番煌めいています。しかし、これ以上は赤くは染まらない、染められないと決めました」。
久し振りに気持ちが昂る経験だった。

この時の一枚の写真が、20回目となる写真展(2/23~27)の案内状やポスターに採用された。鎌倉芸術館のギャラリーには120点を超える作品が展示される。

写真のタイトルは『ココロ変わり』と名付けた。