海側生活

「今さら」ではなく「今から」

幸せは団体でやって来る

2016年03月31日 | 鎌倉散策

出展作品「幕開け」/光明寺

「苦あれば楽あり」とか「浮世の苦楽は壁一重」とかいう無責任な諺があるが、人生がそんなに甘いもので無いことは、長く人間をやっていると誰だって思い知らされる。

不幸はいつもまとめてやってくる。

「検査の結果、悪性でした」と医師に告げられた瞬間、血の気が引き思考も混乱した九年前。手術前後の3か月間の病院生活から解放され、手術の後遺症と味覚障害は依然として強く残っていたものの、ホッとする時間も持てる日常生活を送り始めた。ところが、どうやら舌も回りほとんど普通に話せるようになった、手術から一年後に前とは種類の違う次の癌の発見があった。生活の全ての計画変更をせざるをえない突然の不幸な出来事だった。そして全てを覚悟した---。
相次ぐ不幸に見舞われて、もうこれ以上は悪くはならないだろう、なんて油断していると、どっこい本番はその後だったりする。どうやら幸福の天井が無い代わりに、不幸にも底は無いらしい。

その日は恒例の写真展の最終日だった。朝から冷たい風は吹いていたが晴れていた。自分も2点を出展していた。
会場に入る前に、ある小物を買うべく小町通りを歩いていたら、通りの端に佇んでいるオバァちゃんに呼び止められた。漬物屋さんの店の場所を知りたいらしい。指差しながらその店を説明したら、オバァちゃんは右手に抱えていたバッグを左手に持ち替え、バッグの中を覗き込み右手で何かを探している。「ハイ、オニィちゃん、ありがとう!」と光る紙に包まれた指先ぐらいの大きさのチョコレートを一個手渡された。街頭でモノを貰ったのは初めてだ。オバァちゃんのやや早歩きになった後ろ姿を見送りながら、何故だかホッコリと幸せな気持ちになった。

駅近くに戻りアジフライのランチを摂った。ビル内の10店ほどの店が春のイベントを偶々やっていた。なんと抽選で、鎌倉では有名な料理店のディナー券が当たった。何というラッキー。

写真展には1500人を超える来場者があった。プロの作品30点の他、愛好者の出展作品は100点。来場者に100点の内、好きな写真3点の人気投票をお願いした。
驚いた!自分の作品『幕開け』が第一位だった。

何故だか幸福も団体でやって来るらしい。
しかも突然に!

みっともない

2016年03月22日 | ちょっと一言

       (鶴丘八幡宮)
みっともないことが全く多い。
「みっともない」<見とうもない!の促音化。見るに絶えない。また外聞が悪い、の意>と辞書にはある。

ワイドショーで大騒ぎの経歴詐称の経営コンサルタント。三年間で特定の場所に日帰り出張を345回も繰り返し800万円を政務活動費として支出していたある県の県議。釈明会見では号泣した件など記憶に新しい。

先日も日中の上り横須賀線の電車内でまた出会ってしまった。みっともなく、見苦しい光景に。
25歳ぐらいの女性が座るなり、やおら化粧を始めたのだ。初めて目にする光景ではないが、見ていると眼を上に下にと、ある時は横に向け、また口を左右にねじ曲げながら化粧が進んでいく。表情が矢継ぎ早に変化する。化粧道具が小さい道具入れから次から次へと登場して来る。周囲の眼は気になっていないようだ。やがて睫毛を上下に付け終わった。顔は元の面影はない。スッカリ変わってしまった。女と言うものはこんな風に自分を変化させてゆくのかと改めて感じ入る。最後に手鏡にニコッと笑いかけ作業は終わった。

女はこれから会う人の前で化粧はしないだろうに、全くの他人の前では平気なのか。或は車内で化粧をしなくてはならない特別の理由があるのだろうかと想像を巡らした。

その後、呑み屋で話題にしたら、ある40歳代の女性が言うにはアイメークに多くの女性がこだわるようになり、化粧時間が長くなった。その結果、家の中だけでなく、メーク時間が移動途中にまではみ出すようになった。また別の女性は、化粧は他の車内でのどんな迷惑行為よりも、人に迷惑をかけていないと思うと言う。
一方、パジャマ姿で電車に乗って隅っこの方で着替えられるのと同じくらい嫌な気分がすると言う意見もあった。隣の男性は、電車の中で化粧するのって、男が街中で立ションベンするのと変わらなく恥ずかしいと言った。

しかし、化粧室という言葉を知らない人はいないと思うが、なぜトイレが化粧室と呼ばれているか?それは用足しも化粧も人前でするものではないという意味があるからではないか。まさか用足しを人前でする人間はいないだろう。

化粧を見届け、目元パチパチの女の顔をこれ以上は見たくなかったので隣の車両に移動した。座り直して考えた。自分の事は差し置いて、こうしてヌケヌケと他人の行為を批判するなんて、これまたみっともないなと。

独断と偏見で書いたが、男は見栄によって生きているものと昔から信じてきた。見栄は男の美学であり、見栄が崩れると男は崩壊する。女も同じである。

奥さんの笑顔

2016年03月11日 | 感じるまま

(建長寺)
永遠に女と男は解り合えないもの。
男が何か問題を起こした場合、女は怒るが、やがて女の怒りが取り敢えず静まり平常に戻れば、男はこれで一件落着だと思う。女の笑顔や、これまで通りの言動が回復すれば、全て解消したかのように男は考える。

ところが、これはとんでもない誤解で、女の笑顔や、これまで通りの言動は日常生活を不快にさせないための表面的な修復であることが多い。問題は解決されないまま心の底に不純物のように溜め込まれていく。忘れた振りしてほったらかしにしておけば消えてなくなると男が考えている問題の多くは、こうして女の心に恨みの虫として保存される。

ある60歳代の女性が定年退職して足手まといになった夫を離婚した。いつもニコニコしていて穏やかな性格で良妻賢母の典型のような女性だったので驚いた。
離婚の理由は何十年か前のいくつかの浮気だった。当時、夫は妻の嫉妬や不満を当然知りながら、妻の不快を一つずつ丁寧に潰してやる努力をしなかったらしい。不機嫌が続いても「その内に治る」としか思わなかった。確かに治った。しかし虫は生きていた。笑顔の日常の底でしっかり生きていた。

離婚を言い出された夫には全く理由が思い当たらない。これまでの全ては解決済だと考えていた。
「あなたには問題が無く私にはあった。それこそが問題なのです。あなたは私の事を何も解っていない!」

古来より言葉がある。
『女は一人の男を知れば、全ての男を理解できる。
男は全ての女を知っていても、一人の女も理解できない』

一度奥様の笑顔の底をジッと覗き込んではみる必要がありそうだ、男は。