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今年の夏も花火をしなかった。
子供の頃は花火をするのが夏休み一番の楽しみだったのに。
夕食の後、闇の気配が濃くなるのを待って庭に出る。姉弟妹達とはしゃぎながら花火の袋を覗き、我先に好きなものを選ぶ。ペラペラとした薄い紙の花火、細い枝のようなものに火薬を巻いた花火、そこらじゅうを走り回るネズミ花火。どの花火も火をつけられた途端に弾ける。その瞬間を心待ちにしながら、親がマッチを擦ってくれるのを待つ。
火を点けてもらうのは小さい子から順番だ。妹の花火が燃え上がり、次の妹の花火に火が付けられ、そして弟のやや大きな花火に火が点され、やがて自分の番だ。マッチが花火の先っぽに近づくと手元が明るくなり、手から光がこぼれる。最初の妹の花火が消えた頃、最後の姉の花火に皆の眼が集まる。
火薬が燃え尽きると火はパタリと消える。明るかった庭は闇に戻り、辺りはシーンとなる。花火は光だけでなく音も放っていたことに気付く。周囲を真昼のように照らす銀色の大きな花火は憧れであったし、強い光に向き合う覚悟も必要だった。いつも後の方まで残していた。そして一番最後まで残るのは線香花火だ。小さな光を躊躇いながらチリチリ放つ線香花火。地味な光は物足りなかった。途中でポトリと落ちてしまうのも癪だった。
普段、夜は外で遊ぶのは許されていなかった。花火の楽しさには、夜の空気を呼吸する解放感もあったのかもしれない。
やがて我々、歳の離れた子供たちは、皆でする花火から遠のいていった。
燃えた後に残る白い煙や火薬の臭いも思い出の中のものとなった。
暑さしのぎにルーフバルコニーで暗い海を眺め潮風に当たっていたら、相模湾を隔てた対面の半島の中ほどあたりから花火が上がっている。思わず身体をチェアーの背もたれから起こした。伊東か熱海だろう。
花火が開く音も、人々の歓声も海を隔てたここまでは届かない。ただ光の花は音も無く咲いて、音も無く散っていく。チェアーにもたれながら花火を見続けた。花火が上がるたびに命が生まれ、消えるたびに散るようだった。30分ほどで、光を放っていたその場所には闇が戻った。思いがけなく花火を見ることが出来た小さな驚きと同時に物足りなさが残った。腹まで響く花火の音や拍手や歓声が聞こえなかったせいだろう。
静かな花火は寂しい。