海側生活

「今さら」ではなく「今から」

美味しいモノ

2018年05月29日 | 好きなもの

          (源平池/鶴岡八幡宮)
楽しい付き合いというものは、ありのままの自分を見せ合うことのできる付き合いである。
これまで多くの時間を共有し、何でも言い合い、何を聞いても驚かず、そして理解と信頼を深めてきた人だけだ。

「これ、食べない?」「いらない?じゃ食べるよ」と言って自分が食べるような人との付き合いが楽しい。
「食べない?」「いらない、美味しくないから」という人との付き合いも悪くない。

まずいモノを美味しいと言いつつ食べる食事会は楽しくない。しかし、まずいモノでも美味しいと言って食べるのが付き合いと思っている人達もいる事は確かで、要するにこれは気質の問題かもしれない。変人は変人と、常識人は常識人と、それぞれ気質に合った付き合いが楽しい。だがそうはいっても変人が常識人と付き合わねばならない場合があるのが世の常である。その付き合いは楽しくはないだろうが、これも人生と考えるしかないと思ってきた。

たまには「美味しいモノ」を食べに行こうと、家の者に言われても、「美味しいモノ」とはどんなモノか瞬間考えてしまう。出汁の効いた味噌汁と炊きたてのホカホカご飯が自分の「美味しいモノ」
だから。そんな自分に気が付くと「良し、順調!」と思う。たいして努力もしていないのに、自然に順調に欲望が涸れていっていることに満足する。

しかし、あらゆる欲望が涸れていくのを何かの都度に感じることが多くなった今、人生の修行とばかりに何事も我慢はしたくない。
もっと我が儘になりたい。

棘のないバラ

2018年05月18日 | 感じるまま

(鎌倉文学館)
人はある場面に出会ったり、また五感に何かを感じた瞬間に自分が昔体験した出来事を思い出したり、気になっている事に結び付けて考える時がある。

仲間と満開のバラの撮影を行った。
200種のバラの中に、鎌倉の地にゆかりの深い名を持つ「鎌倉」、「星月夜」、「静の舞」、「流鏑馬」、「実朝」などの漢字表記のバラも咲き誇っている。イギリスやフランスやドイツ生まれのカタカナ表記のバラは覚えにくいが漢字表記だとより親しみが湧く。

思い思いに撮影が終わりコーヒータイムの事。
長谷寺に近いその店は床が木張りで、テーブルや椅子もクラシックだ。ふと「走ってはいけません!」と聞こえたような気がした。決して優しい口調ではなかった。授業中の雑談には白墨や黒板消しが飛んできた時代、木造建築の小学校は室内も廊下も木張りだったのを思い出した。

またテレビに北朝鮮から解放されたアメリカ国籍の三人が飛行機のタラップを降りてくる場面が放映されていた。
あの国にはこれまで国際社会を震撼させるような様々な大きな棘(トゲ)から、判断を迷わせるようなチクチクする小さな棘まであらゆる棘を持っている。今年になって棘の出し方も変わってきたようだ。交渉の駆け引きに使ったり、揺さぶりを掛ける際にも、棘を出したり引っ込めたりと自在だ。
タラップを降りてくる場面を、我が国の拉致被害者に置き換えて眺めた。アメリカの三人と拉致被害者達とは拘束された動機も歳月もすべてが大きく違うが、その家族はどんな迎え方をするのだろう。言葉では表せられない歓びが、家族のみならず我が国全体に瞬時に爆発するだろう。しかしどんな棘を覚悟しておく心構えが必要なのだろうか。

そう言えば20㎝以上もある大輪の黄色の「鎌倉」には棘がないのが特徴だ。
愛と美の象徴として扱われることが多いバラの花言葉は多いが、黄色は平和と友情を表すらしいが---

明かりを灯す

2018年05月09日 | 感じるまま

(海蔵寺/鎌倉)

今日も北朝鮮に関するニュースが飛び交っている。
関係国の人の往来も頻繁になってきた。

グーグルアースで改めて朝鮮半島を見た。夜の地球の映像を見た。アメリカ東西部の海岸地帯、ヨーロッパ、そして我が国日本などは宇宙から見ても明かりが煌々と輝いている。韓国もそうである。だがその北側はクッキリと暗黒の世界である。最大に地図を拡大しても明かりは全く無い。
輝くことを誇る人々がいる。輝かないことを恥じる人々がいる。早く輝くようになりたいと必死に願望する人々がいる。また早く輝かせてやりたいと余計なお節介をやく人々がいる。

我々には四十年前まではテレビに深夜の放送は無かった。深夜営業のコンビニも無かった。
無かった時代には、無いことをなんの不思議とも思わなかったし、まァそんなものがあれば多少は便利かもしれないが、無くても当たり前に生活をしていた。しかし生まれた時から身の周りにそれらが有り、それが当たり前と思い込んで人間を始めた世代にとっては、それらが無くなったらとんでもなく不便だと、眉を逆立てて怒り出すに違いない。
今は飛行機も国内線は深夜には飛ばない。また新幹線も夜中には走らない。しかし、もし10年後にそれらが終日運航するようになったら、その時代の人々は今を振り返って「エッ!新幹線が深夜は動いていなかった?そんな不便な!信じられない!どうして皆、我慢していたのだろう」と思うかもしれない。
当たり前の感覚が良し悪しは別として、時の経過と共に変化を遂げていく。

古くから我々と様々な行き来があり、関係が深かった隣国の朝鮮半島の北側にも、我が国が新幹線や飛行機の深夜運航をするようになった時、グーグルアースで見て、輝く明かりを見つけられるだろうか。
先ず、その国民にとって食生活は普通だよと言える当たり前の感覚の明かりを灯して欲しいと願うのは自分だけだろうか。